戦国策 / 知伯索地於魏桓子
知伯索地於魏桓子,魏桓子弗予。任章曰:「何故弗予?」桓子曰:「無故索地,故弗予。」任章曰:「無故索地,鄰國必恐;重欲無厭,天下必懼。君予之地,知伯必憍。憍而輕敵,鄰國懼而相親。以相親之兵,待輕敵之國,知氏之命不長矣!周書曰:『將欲敗之,必姑輔之;將欲取之,必姑與之。』君不如與之,以驕知伯。君何釋以天下圖知氏,而獨以吾國為知氏質乎?」君曰:「善。」乃與之萬家之邑一。知伯大說。因索蔡、皋梁於趙,趙弗與,因圍晉陽。韓、魏反於外,趙氏應之於內,知氏遂亡。
新字:知伯索地於魏桓子,魏桓子弗予。任章曰:「何故弗予?」桓子曰:「無故索地,故弗予。」任章曰:「無故索地,鄰国必恐;重欲無厭,天下必懼。君予之地,知伯必憍。憍而軽敵,鄰国懼而相親。以相親之兵,待軽敵之国,知氏之命不長矣!周書曰:『将欲敗之,必姑輔之;将欲取之,必姑与之。』君不如与之,以驕知伯。君何釈以天下図知氏,而独以吾国為知氏質乎?」君曰:「善。」乃与之万家之邑一。知伯大説。因索蔡、皋梁於趙,趙弗与,因囲晋陽。韓、魏反於外,趙氏応之於内,知氏遂亡。
書き下し
知伯、地を魏桓子に索(もと)む、魏桓子予えず。任章曰わく、「何の故にか予えざる。」桓子曰わく、「故無くして地を索む、故に予えず。」任章曰わく、「故無くして地を索むれば、隣国必ず恐れん。重欲厭くこと無ければ、天下必ず懼れん。君之に地を予えば、知伯必ず憍(おご)らん。憍りて敵を軽んずれば、隣国懼れて相親しまん。相親しむの兵を以て、敵を軽んずるの国を待たば、知氏の命長からず。周書に曰わく、『将に之を敗らんとせば、必ず姑(しばら)く之を輔(たす)け、将に之を取らんとせば、必ず姑く之に与えよ』と。君之に与うるに如かず、以て知伯を驕らしめよ。君何ぞ天下を以て知氏を図るを釈(す)てて、独り吾が国を以て知氏の質と為すか。」君曰わく、「善し。」乃ち之に万家の邑一つを与う。知伯大いに説(よろこ)ぶ。因りて蔡・皋梁を趙に索むるも、趙与えず、因りて晋陽を囲む。韓・魏外に反き、趙氏之に内に応じ、知氏遂に亡ぶ。
現代語訳
知伯が魏の桓子に領地を要求したが、桓子はこれを与えなかった。任章が言った。「なぜ与えないのですか。」桓子は言った。「理由もなく土地を要求してきたので、与えないのだ。」任章は言った。「理由もなく土地を要求してくれば、隣国は必ず恐れます。欲望に飽くところがなければ、天下の諸国は必ず懼れるでしょう。あなた様が知伯に土地を与えれば、知伯は必ずおごり高ぶります。おごり高ぶって敵を軽んじれば、隣国は懼れて互いに親しみ合うようになります。互いに親しみ合う軍勢をもって、敵を軽んじる国に対抗すれば、知氏の命脈は長く続かないでしょう。周書にはこうあります。『相手を打ち破ろうとするなら、まずしばらくは助けてやれ。相手から奪い取ろうとするなら、まずしばらくは与えてやれ。』あなた様は知伯に土地を与えて、彼をおごらせておくのが得策です。あなた様はどうして、天下の諸国とともに知氏を討つ道を捨てて、あなた様の国一国だけを知氏への人質のようにしてしまうのですか。」桓子は「よろしい」と言い、一万戸の邑一つを知伯に与えた。知伯は大いに喜んだ。そこで知伯は趙にも蔡・皋梁の地を要求したが、趙はこれを与えず、知伯はそのまま晋陽を包囲した。すると韓・魏が外から知伯に背き、趙がこれに内から呼応し、知氏はついに滅んだ。
解説

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説苑・權謀智伯地を魏の宣子に請ふ。宣子與へず。任增曰く、「何爲れぞ與へざる」と。宣子曰く、「彼故無くして地を請ふ。吾是を以て與へず」と。任增曰く、「彼故無くして地を請ふ者は、故無くして之に與ふれば、是れ重ねて欲すること厭くこと無きなり。彼喜ばば、必ず又た地を諸侯に請はん。諸侯與へざれば、必ず怒りて之を伐たん」と。宣子曰く、「善し」と。遂に地を與ふ。智伯喜び、又た地を趙に請ふ。趙與へず。智伯怒り、晉陽を圍む。韓・魏趙に合して智氏に反す。智氏遂に滅ぶ。
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戦国策・知伯帥趙韓魏而伐范中行氏知伯、趙・韓・魏を帥いて范中行氏を伐ち、之を滅ぼす。休すること數年、人をして地を韓に請わしむ。韓康子與えんと欲せず、段䂓諫めて曰く、「不可なり。夫れ知伯の人と爲りや、利を好みて鷙復なり、來りて地を請いて與えずんば、必ず兵を韓に加えん。君其れ之に與えよ。之に與うれば彼狃れて、又將に地を他國に請わんとす、他國聽かずんば、必ず之に鄉うに兵を以てせん。然らば則ち韓は以て患難を免れて、事の變を待つ可し。」康子曰く、「善し。」使者をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして地を魏に請わしむ。魏宣子與えんと欲せず。趙葭諫めて曰く、「彼地を韓に請い、韓之に與う。地を魏に請いて、魏與えずんば、則ち是れ魏內自ら強くして、外知伯を怒らすなり。然らば則ち其の兵を魏に錯くこと必せり。之に與うるに如かず。」宣子曰く、「諾。」因りて人をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして趙に之かしめ、蔡・皋狼の地を請わしむ。趙襄子與えず。知伯因りて陰かに韓・魏を結び、將に以て趙を伐たんとす。趙襄子張孟談を召して之に告げて曰く、「夫れ知伯の人と爲り、陽には親しみて陰には疏んず、三たび韓・魏に使いして、寡人與からず、其の兵を移すこと寡人に必せん。今吾安くにか居りて可ならん。」張孟談曰く、「夫れ董閼安于は簡主の才臣なり、世々晉陽を治め、尹澤之に循う、其の餘の政教猶お存す、君其れ晉陽に居を定めよ。」君曰く、「諾。」乃ち延陵王をして車騎を將いて先に晉陽に之かしめ、君因りて之に從う。至りて、城郭を行り、府庫を案じ、倉廩を視、張孟談を召して曰く、「吾が城郭の完きこと、府庫の用に足ること、倉廩の實つること、矢無きは奈何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の垣、皆狄蒿苫楚を以て之を廧す、其の高さ丈餘に至る、君發して之を用いよ。」是に於て發して之を試むるに、其の堅きこと則ち箘簬の勁も過ぐる能わず。君曰く、「足れり、吾が銅少きこと若何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の室、皆鍊銅を以て柱質と爲す、請う發して之を用いば、則ち餘銅有らん。」君曰く、「善し。」號令以て定まり、備守以て具わる。三國の兵晉陽の城に乘り、遂に戰う。三月拔く能わず、因りて軍を舒べて之を圍み、晉水を決して之に灌ぐ。晉陽を圍むこと三年、城中巢居して處り、釜を懸けて炊ぎ、財食將に盡きんとし、士卒病み羸る。襄子張孟談に謂いて曰く、「糧食匱しく、城力盡き、士大夫病めり、吾守る能わず。城を以て下らんと欲す、何如。」張孟談曰く、「臣之を聞く、亡びて存する能わず、危うくして安んずる能わずんば、則ち知士を貴ぶ爲し無きなり。君此の計を釋てて、復言うこと勿かれ。臣請う韓・魏の君に見えん。」襄子曰く、「諾。」張孟談是に於て陰かに韓・魏の君に見えて曰く、「臣聞く、脣亡ぶれば則ち齒寒しと、今知伯二國の君を帥いて趙を伐つ、趙將に亡びんとす、亡ぶれば則ち二君之に次たらん。」二君曰く、「我其の然るを知る。夫れ知伯の人と爲り、麁中にして親しむこと少なし、我が謀未だ遂げずして知られなば、則ち其の禍必ず至らん、之を奈何せん。」張孟談曰く、「謀は二君の口より出でて、臣の耳に入る、人之を知る莫きなり。」二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と期して曰く、夜、遣りて晉陽に入らしめんと。張孟談以て襄子に報ず、襄子之に再拜す。張孟談因りて知伯に朝して出で、知過に轅門の外に遇う。知過入りて知伯に見えて曰く、「二主殆ど將に變有らんとす。」君曰く、「何如。」對えて曰く、「臣張孟談に轅門の外に遇う、其の志矜り、其の行高し。」知伯曰く、「然らず。吾二主と約すること謹めり、趙を破りて其の地を三分せば、寡人之を親しむ所なり、必ず欺かざらん。子之を釋てて、口より出だすこと勿かれ。」知過出でて二主に見え、入りて知伯に說きて曰く、「二主色動きて意變ず、必ず君に背かん、之を殺さしむるに如かず。」知伯曰く、「兵晉陽に箸くこと三年なり、旦暮に當に之を拔きて其の利を饗くべし、乃ち他心有らんや。不可なり、子愼みて復言うこと勿かれ。」知過曰く、「殺さずんば則ち遂に之に親しめ。」知伯曰く、「之に親しむこと奈何せん。」知過曰く、「魏宣子の謀臣を趙葭と曰い、康子の謀臣を段䂓と曰う、是れ皆能く其の君の計を移す。君其れ二君と約し、趙を破らば二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせよ、是の如くんば則ち二主の心變ぜざる可くして、君其の欲する所を得ん。」知伯曰く、「趙を破りて其の地を三分し、又二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせば、則ち吾が得る所少なし、不可なり。」知過君の用いざるを見るや、言いて聽かれず、出でて其の姓を更めて輔氏と爲し、遂に去りて見えず。張孟談之を聞き、入りて襄子に見えて曰く、「臣知過に轅門の外に遇う、其の視るに臣を疑うの心有り、入りて知伯に見え、出でて其の姓を更む。今暮撃たずんば、必ず之に後れん。」襄子曰く、「諾。」張孟談をして韓・魏の君に見えしめて曰く、「夜堤を守るの吏を殺すことを期し、水を決して知伯の軍に灌がん。」知伯の軍水を救いて亂れ、韓・魏翼にして之を撃ち、襄子將卒其の前を犯し、大いに知伯の軍を敗りて知伯を禽う。知伯身死し、國亡び地分たれ、天下の笑いと爲る、此れ貪欲厭くこと無ければなり。夫れ知過に聽かざる、亦亡ぶる所以なり。知氏盡く滅び、唯輔氏のみ存す。
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『淮南子』人間訓智伯 地を魏の宣子に求む。宣子 之に與うるを欲せず。任登曰く「智伯の強きこと、威 天下に行わる。地を求めて與えざるは、是れ諸侯の爲に先ず禍を受くるなり。之に與うるに若かず」と。宣子曰く「地を求めて已まざれば、之を爲すこと奈何」と。任登曰く「之に與えて、喜ばしめば、必ず將に復た地を諸侯に求めんとす。諸侯 必ず耳を植てん。天下と心を同じくして之を圖らば、一心の得る所の者は、直だ吾が亡う所のみに非ざるなり」と。魏の宣子 地を裂きて之に授く。又た地を韓の康子に求む。韓の康子 敢えて予えずんばあらず。諸侯 皆な恐る。又た地を趙の襄子に求む。襄子 與えず。是に於いて智伯 乃ち韓・魏を從えて襄子を晉陽に圍む。三國 謀を通じ、智伯を禽えて其の國を三分す。此れ所謂 人を奪いて反って人の奪う所と爲る者なり。
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戦国策・知伯從韓魏兵以攻趙知伯、韓・魏の兵に從いて以て趙を攻め、晉陽を圍みて之に水す、城の沈まざる者三板のみ。郤疵、知伯に謂いて曰く、「韓・魏の君必ず反せん。」知伯曰く、「何を以て之を知るや。」郤疵曰く、「其の人事を以て之を知る。夫れ韓・魏の兵に從いて趙を攻め、趙亡べば、難必ず韓・魏に及ばん。今約するに趙に勝ちて其の地を三分せんとす。今城の沒せざる者三板、臼灶に蛙を生じ、人馬相食むも、城降ること日有り、而して韓・魏の君憙ぶ志無くして憂うる色有り、是れ反するに非ずして何ぞや。」明日、知伯以て韓・魏の君に告げて曰く、「郤疵言う、君且に反せんとすと。」韓・魏の君曰く、「夫れ趙に勝ちて其の地を三分せんとするに、城今且に拔かれんとす。夫れ三家愚なりと雖も、美利を前に棄てて、信盟の約に背き、危難成る可からざるの事を爲さん、其の勢い見る可きなり。是れ疵の趙の爲に計るなり、君をして二主の心を疑わしめ、而して攻趙に解れしむるなり。今君讒臣の言を聽きて、二主の交わりを離す、君の爲に之を惜しむ。」趨りて出づ。郤疵、知伯に謂いて曰く、「君又何ぞ疵の言を以て韓・魏の君に告ぐるを爲すや。」知伯曰く、「子安くんぞ之を知るや。」對えて曰く、「韓・魏の君疵を視ること端にして趨ること疾し。」郤疵其の言の聽かれざるを知り、齊に使いせんことを請う、知伯之を遣わす。韓・魏の君果たして反せり。
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『韓非子』十過第十韓の康子与ふる勿からんと欲す、段規諫めて曰く、「与へざるべからざるなり。夫れ知伯の人と為りや、利を好みて驁愎なり。彼来りて地を請ひて与へずんば、則ち兵を韓に移すこと必せり。君其れ之に与へよ。之に与へば、彼狃れて、又将に地を他国に請はんとす。他国且に聴かざる有らん、聴かざれば、則ち知伯必ず之に兵を加へん。是くの如くんば、韓以て患ひを免れて其の事の変を待つべし」と。康子曰く、「諾」と。因りて使者をして万家の県一を知伯に致さしむ。知伯説び、又人をして地を魏に請はしむ。宣子与ふる勿からんと欲す、趙葭諫めて曰く、「彼地を韓に請ひ、韓之に与ふ。今地を魏に請ひ、魏与へずんば、則ち是れ魏内に自ら強くして、外に知伯を怒らすなり。如し予へずんば、其の兵を魏に措くこと必せり。之に予ふるに如かず」と。宣子曰く、「諾」と。因りて人をして万家の県一を知伯に致さしむ。知伯又人をして趙に之きて蔡・皐狼の地を請はしむ、趙の襄子与へず。知伯因りて陰かに韓・魏と約し将に以て趙を伐たんとす。襄子張孟談を召して之に告げて曰く、「夫れ知伯の人と為りや、陽に親しみて陰に疏んず。三たび韓・魏に使ひして寡人与らず、其の兵を寡人に措くこと必せり。今吾安くに居りて可ならん」と。張孟談曰く、「夫れ董閼子は、簡主の才臣なり、其の晋陽を治むるや、尹鐸之に循ひ、其の余教猶ほ存す、君其れ晋陽に定居せんのみ」と。君曰く、「諾」と。乃ち延陵生を召し、車騎を将ゐて先づ晋陽に至らしめ、君因りて之に従ふ。君至りて、其の城郭及び五官の蔵を行る。城郭治まらず、倉に積粟無く、府に儲銭無く、庫に甲兵無く、邑に守具無し。襄子懼れ、乃ち張孟談を召して曰く、「寡人城郭及び五官の蔵を行るに、皆備具せず、吾将に何を以て敵に応ぜんとす」と。張孟談曰く、「臣聞く、聖人の治は、民に蔵して、府庫に蔵せず、其の教へを脩むるを務めて城郭を治めず。
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『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。