戦国策 / 燕王喜使栗腹以百金為趙孝成王壽
燕王喜使栗腹以百金為趙孝成王壽,酒三日,反報曰:「趙民其壯者皆死於長平,其孤未壯,可伐也。」王乃召昌國君樂間而問曰:「何如?」對曰:「趙,四達之國也,其民皆習於兵,不可與戰。」王曰:「吾以倍攻之,可乎?」曰:「不可。」曰:「以三,可乎?」曰:「不可。」王大怒。左右皆以為趙可伐,遽起六十萬以攻趙。令栗腹以四十萬攻鄗,使慶秦以二十萬攻代。趙使廉頗以八萬遇栗腹於鄗,使樂乘以五萬遇慶秦於代。燕人大敗。樂間入趙。燕王以書且謝焉,曰:「寡人不佞,不能奉順君意,故君捐國而去,則寡人之不肖明矣。敢端其願,而君不肯聽,故使使者陳愚意,君試論之。語曰:『仁不輕絕,智不輕怨。』君之於先王也,世之所明知也。寡人望有非則君掩蓋之,不虞君之明罪之也;望有過則君教誨之,不虞君之明罪之也。且寡人之罪,國人莫不知,天下莫不聞,君微出明怨以棄寡人,寡人必有罪矣。雖然,恐君之未盡厚也。諺曰:『厚者不毀人以自益也,仁者不危人以要名。』以故掩人之邪者,厚人之行也;救人之過者,仁者之道也。世有掩寡人之邪,救寡人之過,非君心所望之?今君厚受位於先王以成尊,輕棄寡人以快心,則掩邪救過,難得於君矣。且世有薄於故厚施,行有失而故惠用。今使寡人任不肖之罪,而君有失厚之累,於為君擇之也,無所取之。國之有封疆,猶家之有垣牆,所以合好掩惡也。室不能相和,出語鄰家,未為通計也。怨惡未見而明棄之,未盡厚也。寡人雖不肖乎,未如殷紂之亂也;君雖不得意乎,未如商容、箕子之累也。然則不內蓋寡人,而明怨於外,恐其適足以傷於高而薄於行也,非然也。苟可以明君之義,成君之高,雖任惡名,不難受也。本欲以為明寡人之薄,而君不得厚;揚寡人之辱,而君不得榮,此一舉而兩失也。義者不虧人以自益,況傷人以自損乎!願君無以寡人不肖,累往事之美。昔者,柳下惠吏於魯,三黜而不去。或謂之曰:『可以去。』柳下惠曰:『苟與人之異,惡往而不黜乎?猶且黜乎,寧於故國爾。』柳下惠不以三黜自累,故前業不忘;不以去為心,故遠近無議。今寡人之罪,國人未知,而議寡人者遍天下。語曰:『論不脩心,議不累物,仁不輕絕,智不簡功。』棄大功者,輟也;輕絕厚利者,怨也。輟而棄之,怨而累之,宜在遠者,不望之乎君也。今以寡人無罪,君豈怨之乎?願君捐怨,追惟先王,復以教寡人!意君曰,余且慝心以成而過,不顧先王以明而惡,使寡人進不得脩功,退不得改過,君之所揣也,唯君圖之!此寡人之愚意也。敬以書謁之。」樂間、樂乘怨不用其計,二人卒留趙,不報。
新字:燕王喜使栗腹以百金為趙孝成王寿,酒三日,反報曰:「趙民其壮者皆死於長平,其孤未壮,可伐也。」王乃召昌国君楽間而問曰:「何如?」対曰:「趙,四達之国也,其民皆習於兵,不可与戦。」王曰:「吾以倍攻之,可乎?」曰:「不可。」曰:「以三,可乎?」曰:「不可。」王大怒。左右皆以為趙可伐,遽起六十万以攻趙。令栗腹以四十万攻鄗,使慶秦以二十万攻代。趙使廉頗以八万遇栗腹於鄗,使楽乗以五万遇慶秦於代。燕人大敗。楽間入趙。燕王以書且謝焉,曰:「寡人不佞,不能奉順君意,故君捐国而去,則寡人之不肖明矣。敢端其願,而君不肯聴,故使使者陳愚意,君試論之。語曰:『仁不軽絶,智不軽怨。』君之於先王也,世之所明知也。寡人望有非則君掩蓋之,不虞君之明罪之也;望有過則君教誨之,不虞君之明罪之也。且寡人之罪,国人莫不知,天下莫不聞,君微出明怨以棄寡人,寡人必有罪矣。雖然,恐君之未尽厚也。諺曰:『厚者不毀人以自益也,仁者不危人以要名。』以故掩人之邪者,厚人之行也;救人之過者,仁者之道也。世有掩寡人之邪,救寡人之過,非君心所望之?今君厚受位於先王以成尊,軽棄寡人以快心,則掩邪救過,難得於君矣。且世有薄於故厚施,行有失而故恵用。今使寡人任不肖之罪,而君有失厚之累,於為君択之也,無所取之。国之有封疆,猶家之有垣牆,所以合好掩悪也。室不能相和,出語鄰家,未為通計也。怨悪未見而明棄之,未尽厚也。寡人雖不肖乎,未如殷紂之乱也;君雖不得意乎,未如商容、箕子之累也。然則不内蓋寡人,而明怨於外,恐其適足以傷於高而薄於行也,非然也。苟可以明君之義,成君之高,雖任悪名,不難受也。本欲以為明寡人之薄,而君不得厚;揚寡人之辱,而君不得栄,此一舉而両失也。義者不虧人以自益,況傷人以自損乎!願君無以寡人不肖,累往事之美。昔者,柳下恵吏於魯,三黜而不去。或謂之曰:『可以去。』柳下恵曰:『苟与人之異,悪往而不黜乎?猶且黜乎,寧於故国爾。』柳下恵不以三黜自累,故前業不忘;不以去為心,故遠近無議。今寡人之罪,国人未知,而議寡人者遍天下。語曰:『論不脩心,議不累物,仁不軽絶,智不簡功。』棄大功者,輟也;軽絶厚利者,怨也。輟而棄之,怨而累之,宜在遠者,不望之乎君也。今以寡人無罪,君豈怨之乎?願君捐怨,追惟先王,復以教寡人!意君曰,余且慝心以成而過,不顧先王以明而悪,使寡人進不得脩功,退不得改過,君之所揣也,唯君図之!此寡人之愚意也。敬以書謁之。」楽間、楽乗怨不用其計,二人卒留趙,不報。
書き下し
燕王喜、栗腹をして百金を以て趙の孝成王の寿を為さしめ、酒すること三日、反りて報じて曰く、「趙民其の壮者は皆長平に死し、其の孤未だ壮ならず、伐つべきなり」と。王乃ち昌国君楽間を召して問いて曰く、「何如」と。対えて曰く、「趙は四達の国なり、其の民皆兵に習う、与に戦うべからず」と。王曰く、「吾倍を以て之を攻めば、可ならんか」と。曰く、「不可なり」と。曰く、「三を以てせば、可ならんか」と。曰く、「不可なり」と。王大いに怒る。左右皆趙伐つべしと以為い、遽かに六十万を起こして以て趙を攻む。栗腹をして四十万を以て鄗を攻めしめ、慶秦をして二十万を以て代を攻めしむ。趙廉頗をして八万を以て栗腹に鄗に遇わしめ、楽乗をして五万を以て慶秦に代に遇わしむ。燕人大いに敗る。楽間趙に入る。燕王書を以て且つ之に謝して曰く、「寡人不佞にして、君の意に奉順する能わず、故に君国を捐てて去る、則ち寡人の不肖明らかなり。敢えて其の願いを端さんとするも、君肯えて聴かず、故に使者をして愚意を陳べしめん、君試みに之を論ぜよ。語に曰く、『仁は軽々しく絶たず、智は軽々しく怨みず』と。君の先王に於けるや、世の明らかに知る所なり。寡人望むらくは非有れば則ち君之を掩蓋せんことを、君の明らかに之を罪するを虞らざるなり。望むらくは過ち有れば則ち君之を教誨せんことを、君の明らかに之を罪するを虞らざるなり。且つ寡人の罪、国人知らざる莫く、天下聞かざる莫し。君微かに明らかなる怨みを出だして以て寡人を棄つれば、寡人必ず罪有らん。然りと雖も、恐らくは君の未だ厚きを尽くさざるなり。諺に曰く、『厚き者は人を毀りて以て自ら益さず、仁者は人を危うくして以て名を要めず』と。故を以て人の邪を掩う者は、厚き人の行いなり。人の過ちを救う者は、仁者の道なり。世に寡人の邪を掩い、寡人の過ちを救う有るは、君の心の望む所に非ずや。今君厚く位を先王に受けて以て尊を成すに、軽々しく寡人を棄てて以て心を快くせば、則ち邪を掩い過ちを救うこと、君に得難し。且つ世に故に厚く施すに薄き有り、行い失有るに故に恵用いらる。今寡人をして不肖の罪に任ぜしめ、君に厚きを失うの累有らしむるは、君の為に之を択ぶに於いて、取る所無し。国に封疆有るは、猶お家に垣牆有るがごとし、好を合わせ悪を掩う所以なり。室相い和する能わずして、出でて鄰家に語るは、未だ通計と為さざるなり。怨悪未だ見れずして明らかに之を棄つるは、未だ厚きを尽くさざるなり。寡人不肖なりと雖も、未だ殷紂の乱の如くならず。君意を得ずと雖も、未だ商容・箕子の累の如くならず。然らば則ち内に寡人を蓋わずして、明らかに外に怨むは、恐らくは其れ適々高きを傷い行いに薄きに足るのみにして、然るに非ざるなり。苟くも君の義を明らかにし、君の高きを成すべくんば、悪名を任うと雖も、受くるに難からず。本悪の意は以て寡人の薄きを明らかにせんとするも、君厚きを得ず。寡人の辱を揚げんとするも、君栄を得ず、此れ一挙にして両つながら失うなり。義者は人を虧きて以て自ら益さず、況んや人を傷つけて以て自ら損なうをや。願わくは君寡人の不肖を以て、往事の美を累わすこと無からんことを。昔者、柳下惠魯に吏たり、三たび黜けられて去らず。或るひと之に謂いて曰く、『以て去るべし』と。柳下惠曰く、『苟くも人と異ならば、悪くにか往きて黜けられざらんや。猶お且つ黜けられんには、故国に寧んずるのみ』と。柳下惠三黜を以て自ら累わさず、故に前業忘れられず。去るを以て心と為さず、故に遠近議する無し。今寡人の罪、国人未だ知らざるに、寡人を議する者天下に遍し。語に曰く、『論は心を脩めず、議は物を累わさず、仁は軽々しく絶たず、智は功を簡てず』と。大功を棄つる者は、輟むるなり。厚利を軽々しく絶つ者は、怨むなり。輟めて之を棄て、怨みて之を累わすは、宜しく遠き者に在るべく、之を君に望まざるなり。今寡人罪無きを以て、君豈に之を怨まんや。願わくは君怨みを捐て、先王を追惟し、復た以て寡人に教えよ。意うに君曰わん、余且に心を慝して而の過ちを成し、先王を顧みずして而の悪を明らかにし、寡人をして進みては功を脩むるを得ず、退きては過ちを改むるを得ざらしめん、と。君の揣る所なり、唯だ君之を図れ。此れ寡人の愚意なり。敬んで書を以て之を謁す」と。楽間・楽乗其の計を用いざるを怨み、二人卒に趙に留まり、報ぜず。
現代語訳
燕王喜は、栗腹に百金を持たせて趙の孝成王への祝賀の使者とした。三日間酒宴を重ねた栗腹は、帰国して報告した。「趙の民は壮年の男子がみな長平の戦いで戦死し、残された孤児たちはまだ成人していません。今こそ討伐の好機です。」王はそこで昌国君・楽間を召してこう尋ねた。「どう思うか。」楽間は答えた。「趙は四方に通じる要衝の国であり、その民は皆戦いに習熟しています。戦をしてはなりません。」王は「では倍の兵力で攻めればどうか」と尋ねた。「なりません」と答えた。「では三倍の兵力なら」と尋ねた。「なりません」と答えた。王は激怒した。側近たちは皆、趙は討伐できると考え、にわかに六十万の兵を起こして趙を攻めた。栗腹に四十万の兵で鄗を攻めさせ、慶秦に二十万の兵で代を攻めさせた。趙は廉頗に八万の兵を率いさせて鄗で栗腹を迎え撃たせ、楽乗に五万の兵を率いさせて代で慶秦を迎え撃たせた。燕軍は大敗した。楽間はそのまま趙に入り帰らなかった。燕王は手紙を送ってこう詫びた。「私は不才で、あなたの意にかなうことができず、あなたは国を捨てて去ってしまった。これは私の不肖ぶりが明白であるということだ。あえてその願いを正そうとしたが、あなたは聞き入れてくれなかった。そこで使者に私の愚かな考えを述べさせよう、あなたも試しにこれを論じてみてほしい。ことわざに『仁ある者は軽々しく縁を絶たず、智ある者は軽々しく人を怨まない』とある。あなたが先王にどれほど尽くしてくれたかは、世間が明らかに知るところだ。私はあなたが私の過ちを覆い隠してくれることを望んでいたのであって、あなたが公然と私を罪に問うようなことになるとは思いもしなかった。過失があれば私を教え諭してくれることを望んでいたのであって、公然と私を罪に問われるとは思わなかった。そして私の罪は、国民の誰もが知らぬ者はなく、天下に知れ渡らぬ者はない。あなたがわずかでも公然と恨みを表して私を見捨てれば、私には確かに罪があることになろう。しかしながら、それでもあなたの厚情はまだ尽くされていないのではないかと思う。ことわざに『厚情ある者は人をそしって自分の利益とはせず、仁ある者は人を危険にさらして名声を求めない』とある。だからこそ、人の過ちを覆い隠すのは厚情ある人の行いであり、人の過失を救うのは仁ある者の道である。世間には私の過ちを覆い隠し、私の過失を救ってくれる人がいるものだが、それはあなたの心が望むところではないのか。いまあなたは先王から厚く地位を受けて尊い身分を成したのに、軽々しく私を見捨てて自分の気を晴らそうとするなら、過ちを覆い隠し過失を救うということは、あなたには望めないことになる。そもそも世には、故意に厚く施しながら実は薄い場合があり、行いに失敗があっても故意に恩恵とみなされる場合がある。いま私に不肖の罪を負わせ、あなたに厚情を失ったという汚名を負わせることは、あなたのために選ぶべき道としては、取るところがない。国に国境があるのは、家に垣根があるのと同じで、内輪の親睦を保ち恥を覆い隠すためのものだ。家の中で仲直りできないからといって、外に出て隣家に訴えるのは、まだ良い策とは言えない。恨みや悪意がまだ明らかでもないのに、公然とこれを見捨てるのは、まだ厚情を尽くしたとは言えない。私は不肖ではあるが、まだ殷の紂王のような乱行には及んでいない。あなたは意にかなわぬことがあったとしても、まだ商容や箕子のような苦難には及んでいない。それなのに、内輪で私をかばうこともせず、公然と外で恨みを表すのは、恐らくかえって自分の高潔さを傷つけ、行いを軽薄にするだけであって、真にそうすべきことではない。もしあなたの道義を明らかにし、あなたの高潔さを成し遂げるためであるなら、たとえ悪名を私が引き受けることになろうとも、受け入れるのは難しくない。しかし本来、悪意によって私の薄情さを明らかにしようとしても、あなたは厚情の評判を得られず、私の恥を暴こうとしても、あなたは栄誉を得られない。これは一挙にして両方とも失うことになる。道義ある者は人を損なって自分を益することはしない、まして人を傷つけて自分をも損なうようなことはしないはずだ。どうかあなたには、私が不肖であることを理由に、これまでの美しい功績を汚さないでいただきたい。昔、柳下惠は魯に仕える役人であったが、三度罷免されても国を去らなかった。ある人が彼に『あなたはもう去ってもよいのではないか』と言うと、柳下惠はこう答えた。『もし人と異なる正しい道を行けば、どこへ行っても罷免されないところがあろうか。どうせ罷免されるのなら、むしろ故国に落ち着いていたい。』柳下惠は三度の罷免を自分の負い目とはせず、それゆえに彼のこれまでの功績は忘れられなかった。国を去ることを心に決めなかったからこそ、遠くの者も近くの者も彼を非難することがなかった。いま私の罪は、国民もまだ知らないうちに、私を非難する声が天下に広まっている。ことわざに『論評は本心を修めず、議論は物事の実態を損なわない、仁ある者は軽々しく縁を絶たず、智ある者は功績を軽んじない』とある。大きな功績を棄てる者は、みずから関係を断ち切っているのであり、大きな利益を軽々しく絶つ者は、恨みによってそうしているのだ。関係を断って見捨て、恨んで縁を汚すようなことは、疎遠な他人にこそふさわしいのであって、あなたにそれを望んではいない。いま私に罪がないとすれば、あなたはどうしてそれを恨むことがあろうか。どうかあなたには恨みを捨て、先王のことを思い返し、再び私を教え導いていただきたい。思うにあなたはこう言うだろう、『私はあえて悪意を抱いてあなたの過ちを完成させ、先王のことを顧みずにあなたの悪をあらわにし、あなたに、前進しては功績を修めることもできず、後退しては過ちを改めることもできないようにさせよう』と。それはあなたの推し量ることであって、ただあなた自身がこれを考えてほしい。これが私の愚かな考えである。謹んで手紙をもってこれをお伝えする。」楽間・楽乗は自分たちの進言が用いられなかったことを恨み、二人はついに趙にとどまり、燕王への返事をしなかった。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
-
葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
-
史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
-
史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
-
史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
-
『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。