戦国策 / 初蘇秦弟厲因燕質子而求見齊王
初,蘇秦弟厲因燕質子而求見齊王。齊王怨蘇秦,欲囚厲,燕質子為謝乃已,遂委質為臣。燕相子之與蘇代婚,而欲得燕權,乃使蘇代持質子於齊。齊使代報燕,燕王噲問曰:「齊王其伯也乎?」曰:「不能。」曰:「何也?」曰:「不信其臣。」於是燕王專任子之,已而讓位,燕大亂。齊伐燕,殺王噲、子之。燕立昭王。而蘇代、厲遂不敢入燕,皆終歸齊,齊善待之。蘇代過魏,魏為燕執代。齊使人謂魏王曰:「齊請以宋封涇陽君,秦不受。秦非不利有齊而得宋埊也,不信齊王與蘇子也。今齊、魏不和,如此其甚,則齊不欺秦。秦信齊,齊、秦合,涇陽君有宋地,非魏之利也。故王不如東蘇子,秦必疑而不信蘇子矣。齊、秦不合,天下無變,伐齊之形成矣。」於是出蘇伐之宋,宋善待之。
新字:初,蘇秦弟厲因燕質子而求見斉王。斉王怨蘇秦,欲囚厲,燕質子為謝乃已,遂委質為臣。燕相子之与蘇代婚,而欲得燕権,乃使蘇代持質子於斉。斉使代報燕,燕王噲問曰:「斉王其伯也乎?」曰:「不能。」曰:「何也?」曰:「不信其臣。」於是燕王専任子之,已而譲位,燕大乱。斉伐燕,殺王噲、子之。燕立昭王。而蘇代、厲遂不敢入燕,皆終帰斉,斉善待之。蘇代過魏,魏為燕執代。斉使人謂魏王曰:「斉請以宋封涇陽君,秦不受。秦非不利有斉而得宋埊也,不信斉王与蘇子也。今斉、魏不和,如此其甚,則斉不欺秦。秦信斉,斉、秦合,涇陽君有宋地,非魏之利也。故王不如東蘇子,秦必疑而不信蘇子矣。斉、秦不合,天下無変,伐斉之形成矣。」於是出蘇伐之宋,宋善待之。
書き下し
初め、蘇秦の弟厲、燕の質子に因りて齊王に見えんことを求む。齊王蘇秦を怨み、厲を囚えんと欲するも、燕の質子謝を為して乃ち已む、遂に質を委ねて臣と為る。燕の相子之、蘇代と婚し、燕の權を得んと欲し、乃ち蘇代をして質子を齊に持せしむ。齊代をして燕に報ぜしむ、燕王噲問いて曰く、「齊王は其れ伯たるか」と。曰く、「能わず」と。曰く、「何ぞや」と。曰く、「其の臣を信ぜず」と。是に於て燕王專ら子之に任じ、已にして位を讓り、燕大いに亂る。齊燕を伐ち、王噲・子之を殺す。燕昭王を立つ。而して蘇代・厲遂に敢えて燕に入らず、皆終に齊に歸し、齊善く之を待す。蘇代魏を過ぐるに、魏燕の爲に代を執う。齊人をして魏王に謂わしめて曰く、「齊宋を以て涇陽君に封ぜんことを請うも、秦受けず。秦齊有りて宋埊を得るを利とせざるに非ざるなり、齊王と蘇子とを信ぜざるなり。今齊・魏和せざること、此くの如く其れ甚だし、則ち齊秦を欺かず。秦齊を信じ、齊・秦合せば、涇陽君宋地を有たん、魏の利に非ざるなり。故に王蘇子を東するに如くは莫く、秦必ず疑いて蘇子を信ぜざらん。齊・秦合せずんば、天下變無く、齊を伐つの形成らん」と。是に於て蘇代を出だして之を宋に伐り、宋善く之を待す。
現代語訳
かつて、蘇秦の弟の蘇厲は、燕から斉に送られていた人質の縁を頼って斉王に謁見を求めた。斉王は蘇秦を怨んでいたため、蘇厲を捕らえようとしたが、燕の人質が詫びを入れたためにそれは中止となり、蘇厲はそのまま人質として斉に仕えることとなった。燕の宰相子之は蘇代と姻戚関係にあり、燕の実権を握ろうとして、蘇代に人質を斉へ届けさせた。斉は蘇代を通じて燕に返答させ、燕王噲は蘇代に尋ねた。「斉王は覇者となれる器か。」蘇代は「なれますまい」と答えた。王が「なぜか」と問うと、「自分の家臣を信用しないからです」と答えた。これによって燕王はもっぱら子之に国政を任せるようになり、やがて王位まで譲り、燕は大いに乱れた。斉は燕を討伐し、王噲と子之を殺した。燕は昭王を立てた。蘇代と蘇厲はその後あえて燕には戻らず、二人とも最終的に斉に身を寄せ、斉は二人を厚遇した。蘇代が魏を通りかかったとき、魏は燕のために蘇代を捕らえた。斉はそこで人を遣わし魏王に説かせた。「斉が宋の地を涇陽君(秦の公子)に分け与えようと申し出ましたが、秦はこれを受けませんでした。秦は斉と結んで宋の地を得ることを不利益とみなしたわけではなく、斉王と蘇子(蘇代)を信用していないだけなのです。いま斉と魏の不和がこれほど甚だしければ、斉は秦を欺くことはできません。秦が斉を信頼し、斉と秦が結べば、涇陽君は宋の地を得ることになり、それは魏の利益にはなりません。ですから王は蘇子を東の斉へ送り返すに越したことはなく、そうすれば秦は必ず疑って蘇子を信用しなくなるでしょう。斉と秦が結ばなければ、天下に大きな変動は起こらず、斉を討伐する態勢が整うことになります。」そこで蘇代を魏から送り出して宋へ向かわせ、宋は彼を厚遇した。
解説

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史記 蘇秦列伝対へて曰く、「天の時与せずんば、清済・濁河有りと雖も、悪くんぞ以て固めと為すに足らん。民力罷敝せば、長城・鉅防有りと雖も、悪くんぞ以て塞と為すに足らん。且つ異日済西に師せざるは、趙に備ふる所以なり。河北に師せざるは、燕に備ふる所以なり。今済西河北尽く已に役せり、封内敝れたり。夫れ驕君は必ず利を好み、而して亡国の臣は必ず財を貪る。王誠に能く子母弟を以て質と為すを羞づる無く、珠玉帛を宝として以て左右に事へば、彼将に燕を徳として宋を亡ぼすを軽んぜんとす、則ち斉亡ぼすべきのみ」と。燕王曰く、「吾終に子を以て命を天に受けたり」と。燕乃ち一子をして斉に質たらしむ。而して蘇厲燕の質子に因りて斉王に見えんことを求む。斉王蘇秦を怨み、蘇厲を囚へんと欲す。燕の質子為に謝し、已にして遂に質を委ねて斉の臣と為る。燕の相子之蘇代と婚し、而して燕の権を得んと欲し、乃ち蘇代をして質子に斉に侍せしむ。斉代をして燕に報ぜしむ、燕王噲問ひて曰く、「斉王其れ霸たらんか」と。曰く、「能はず」と。曰く、「何ぞや」と。曰く、「其の臣を信ぜず」と。是に於いて燕王専ら子之に任じ、已にして位を譲り、燕大いに乱る。斉燕を伐ち、王噲・子之を殺す。燕昭王を立て、而して蘇代・蘇厲遂に敢へて燕に入らず、皆終に斉に帰す、斉善く之を待す。蘇代魏を過る、魏燕の為に代を執ふ。斉人をして魏王に謂はしめて曰く、「斉宋の地を以て涇陽君を封ぜんことを請ふも、秦必ず受けず。秦斉を有ちて宋の地を得るを利とせざるに非ざるなり、斉王と蘇子とを信ぜざるなり。今斉魏の和せざること此くの如く其れ甚だしくば、則ち斉秦を欺かず。秦斉を信じ、斉秦合し、涇陽君宋の地を有するは、魏の利に非ざるなり。故に王蘇子を東するに如かず、秦必ず斉を疑ひて蘇子を信ぜざらん。斉秦合せずんば、天下変無く、斉を伐つの形成らん」と。是に於いて蘇代を出だす。代宋に之く、宋善く之を待す。
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史記 蘇秦列伝蘇秦既に死し、其の事大いに泄る。斉後に之を聞き、乃ち燕を恨み怒る。燕甚だ恐る。蘇秦の弟を代と曰ひ、代の弟は蘇厲、兄の遂ぐるを見て、亦皆学ぶ。蘇秦死するに及び、代乃ち燕王に見えんことを求め、故事を襲はんと欲す。曰く、「臣は、東周の鄙人なり。竊かに聞く大王の義甚だ高しと、鄙人不敏なれども、鉏耨を釈てて大王に干む。邯鄲に至るに、見る所の者は東周に聞く所より絀る、臣竊かに其の志に負く。燕廷に至るに及び、王の群臣下吏を観るに、王は、天下の明王なり」と。燕王曰く、「子の所謂明王とは何如」と。対へて曰く、「臣聞く、明王は務めて其の過ちを聞き、其の善を聞くを欲せずと、臣請ふ王の過ちを謁さん。夫れ斉・趙は、燕の仇讎なり。楚・魏は、燕の援国なり。今王仇讎を奉じて以て援国を伐つ、燕を利する所以に非ざるなり。王自ら之を慮れ、此れ則ち計の過ちなり、以て聞する無き者は、忠臣に非ざるなり」と。王曰く、「夫れ斉は固より寡人の讎なり、伐たんと欲する所なり、直だ国敝れ力足らざるを患ふるのみ。子能く燕を以て斉を伐たば、則ち寡人国を挙げて子に委ねん」と。対へて曰く、「凡そ天下の戦国七、燕は弱に処る。独り戦へば則ち能はず、附く所有れば則ち重からざる無し。南のかた楚に附けば、楚重く、西のかた秦に附けば、秦重く、中のかた韓・魏に附けば、韓・魏重し。且つ苟も附く所の国重ければ、此れ必ず王をして重からしめん。今夫れ斉は、長主にして自ら用ふ。南のかた楚を攻むること五年、畜聚竭く。西のかた秦を困しむること三年、士卒罷敝す。北のかた燕人と戦ひ、三軍を覆し、二将を得。然り而して其の余兵を以て南面して五千乗の大宋を挙げ、而して十二諸侯を包む。此れ其の君は得んと欲し、其の民は力竭く、悪くんぞ取るに足らんや。且つ臣之を聞く、数々戦へば則ち民労し、師を久しくすれば則ち兵敝ると」と。燕王曰く、「吾聞く斉は清済・濁河有りて以て固めと為すべく、長城・鉅防以て塞と為すに足ると、誠に之有るか」と。
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戦国策・蘇秦死其弟蘇代欲繼之蘇秦死し、其の弟蘇代之に繼がんと欲し、乃ち北のかた燕王噲を見て曰く、「臣は東周の鄙人なり、竊かに王の義甚だ高く甚だ順なるを聞き、鄙人不敏なれども、竊かに鉏耨を釋てて大王に干む。邯鄲に至るに及び、邯鄲に聞く所の者、又東周に聞く所より高し。臣竊かに其の志を負い、乃ち燕廷に至り、王の群臣下吏を觀るに、大王は天下の明主なり」と。王曰く、「子の所謂天下の明主なる者は、何如なる者ぞや」と。對えて曰く、「臣之を聞く、明主は其の過ちを聞くに務め、其の善を聞かんと欲せずと。臣請う王の過ちを謁せん。夫れ齊・趙は、王の仇讎なり。楚・魏は、王の援國なり。今王仇讎を奉じて以て援國を伐つは、燕を利する所以に非ざるなり。王自ら此を慮らば則ち計過つ。以て諫むる無き者は、忠臣に非ざるなり」と。王曰く、「寡人の齊・趙に於けるや、敢えて伐たんと欲する所に非ざるなり」と。曰く、「夫れ人を謀るの心無くして、人をして之を疑わしむるは殆うし、人を謀るの心有りて、人をして之を知らしむるは拙なり、謀未だ發せずして外に聞こゆれば、則ち危うし。今臣聞く、王居處安からず、食飲甘からず、齊に報いんことを思念し、身自ら甲扎を削り、大數有りと曰い、妻自ら甲絣を組み、大數有りと曰うと。之れ有りや」と。王曰く、「子之を聞く、寡人敢えて隱さず。我齊に深怨積怒有りて、之に報いんと欲すること二年なり。齊は我が讎國なり、故に寡人の伐たんと欲する所なり。直だ國弊れ、力足らざるを患うるのみ。子能く燕を以て齊に敵せしめば、則ち寡人國を奉じて之を子に委ねん」と。對えて曰く、「凡そ天下の戰國七にして、燕弱に處る。獨り戰えば則ち能わず、附く所有れば則ち重んぜられざる無し。南のかた楚に附けば則ち楚重く、西のかた秦に附けば則ち秦重く、中ごろ韓・魏に附けば則ち韓・魏重し。且つ苟くも附く所の國重ければ、此れ必ず王をして重んぜられしめん。今夫れ齊王は、長主にして、自ら用うるなり。南のかた楚を攻むること五年、稸積散ず。西のかた秦を困しむこと三年、民憔瘁し、士罷弊す。北のかた燕と戰い、三軍を覆し、二將を獲たり。而して又其の餘兵を以て南面して五千乘の勁宋を舉げ、十二諸侯を包ぬ。此れ其の君の得んと欲する所なるも、其の民力竭くるなり、安くんぞ猶取らんや。且つ臣之を聞く、數戰えば則ち民勞し、久しく師すれば則ち兵弊ると」と。王曰く、「吾聞く齊に清濟・濁河有り、以て固しと為すべし、長城・鉅防有り、以て塞と為すに足ると。誠に之有りや」と。對えて曰く、「天時與せずんば、清濟・濁河有りと雖も、何ぞ以て固しと為すに足らんや。民力窮弊すれば、長城・鉅防有りと雖も、何ぞ以て塞と為すに足らんや。且つ異日は、濟西役せざるは、趙に備うる所以なり。河北師せざるは、燕に備うる所以なり。今濟西・河北、盡く以て役す、封內弊れり。夫れ驕主は必ず計を好まず、亡國の臣は財を貪る。王誠に能く寵子・母弟を愛しむこと毋くして以て質と為し、寶珠玉帛もて其の左右に事えしめば、彼且に燕を德とし宋を亡うを輕んぜんとし、則ち齊亡ぶべきのみ」と。王曰く、「吾終に子を以て天に命を受くとせん」と。曰く、「內寇與せずんば、外敵距ぐべからず。王自ら其の外を治め、臣自ら其の內に報いん、此れ乃ち之を亡ぼすの勢いなり」と。
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