戦国策 / 趙魏攻華陽
趙、魏攻華陽,韓謁急於秦。冠蓋相望,秦不救。韓相國謂田苓曰:「事急,願公雖疾,為一宿之行。」田苓見穰侯,穰侯曰:「韓急乎?何故使公來?」田苓對曰:「未急也。」穰侯怒曰:「是何以為公之王使乎?冠蓋相望,告弊邑甚急,公曰未急,何也?」田苓曰:「彼韓急,則將變矣。」穰侯曰:「公無見王矣,臣請令發兵救韓。」八日中,大敗趙、魏於華陽之下。
新字:趙、魏攻華陽,韓謁急於秦。冠蓋相望,秦不救。韓相国謂田苓曰:「事急,願公雖疾,為一宿之行。」田苓見穰侯,穰侯曰:「韓急乎?何故使公来?」田苓対曰:「未急也。」穰侯怒曰:「是何以為公之王使乎?冠蓋相望,告弊邑甚急,公曰未急,何也?」田苓曰:「彼韓急,則将変矣。」穰侯曰:「公無見王矣,臣請令発兵救韓。」八日中,大敗趙、魏於華陽之下。
書き下し
趙・魏華陽を攻む、韓急を秦に謁す。冠蓋相望むも、秦救わず。韓の相國田苓に謂いて曰く、「事急なり、願わくは公疾ありと雖も、一宿の行を為せ。」田苓穰侯に見ゆ、穰侯曰く、「韓急なるか、何の故に公をして來らしむるや。」田苓對えて曰く、「未だ急ならざるなり。」穰侯怒りて曰く、「是れ何を以て公の王の使いと為すか。冠蓋相望みて、弊邑に告ぐるに甚だ急なりとするに、公未だ急ならずと曰う、何ぞや。」田苓曰く、「彼れ韓急ならば、則ち將に變ぜんとす。」穰侯曰く、「公王に見ゆる勿かれ、臣請う兵を發して韓を救わしめん。」八日中、大いに趙・魏を華陽の下に敗る。
現代語訳
趙と魏が華陽を攻撃した。韓は秦に危急を訴えた。使者の車馬が絶え間なく秦へ向かったが、秦は救援しようとしなかった。韓の宰相は田苓に言った。「事態は急を要する。あなたは病を押してでも、一晩かけて秦へ行ってほしい。」田苓は穰侯(秦の宰相)に会った。穰侯は「韓は危急なのか。それならばなぜあなたを寄こしたのか」と尋ねた。田苓は答えた。「まだ危急ではありません。」穰侯は怒って言った。「これはどういうことか。あなたは王の使者ではないのか。使者の車馬が絶えず、我が国に危急だと訴えてきているのに、あなたは危急ではないと言う。どういうわけだ。」田苓は言った。「もし本当に韓が危急であれば、態度を変える(秦を見限って他国と結ぶ)でしょう。」穰侯は言った。「あなたは王に会うには及ばない。私が兵を出して韓を救うよう取り計らおう。」そして八日のうちに、秦軍は華陽の麓で趙・魏の軍を大いに打ち破った。
解説

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史記 張耳陳余列伝范陽の令乃ち蒯通をして武信君に見えしめて曰く、「足下必ず将に戦ひ勝ちて然る後に地を略し、攻め得て然る後に城を下さんとす。臣竊かに以て過てりと為す。誠に臣の計を聴かば、攻めずして城を降し、戦はずして地を略し、檄を伝へて千里定むべし。可ならんか」と。武信君曰く、「何の謂ぞや」と。蒯通曰く、「今范陽の令宜しく其の士卒を整頓して以て守戦すべき者なり。怯にして死を畏れ、貪にして富貴を重んず。故に天下に先んじて降らんと欲するも、君の秦の置く所の吏なるを以て、誅殺すること前の十城の如くならんことを畏る。然れども今范陽の少年亦方に其の令を殺し、自ら城を以て君を距がんとす。君何ぞ臣に侯印を齎して、范陽の令に拝せざる。范陽の令則ち城を以て君に下らん。少年も亦敢て其の令を殺さず。范陽の令をして朱輪華轂に乗り、燕・趙の郊に駆馳せしめよ。燕・趙の郊之を見て、皆曰はん、此れ范陽の令、先に下る者なりと。即ち喜ばん。燕・趙の城は戦ふ毋くして降るべきなり。此れ臣の所謂檄を伝へて千里定まる者なり」と。武信君其の計に従ひ、因りて蒯通をして范陽の令に侯印を賜はしむ。趙の地之を聞き、戦はずして城を以て下る者三十余城。邯鄲に至り、張耳・陳餘、周章の軍関に入り、戯に至りて卻くを聞く。又諸将陳王の為に地を徇へ、多く讒毀を以て罪を得て誅せらるるを聞き、陳王の其の筴を不とし以て将と為さずして校尉と為すを怨む。乃ち武臣に説きて曰く、「陳王蘄に起こり、陳に至りて王たり。必ずしも六国の後を立てず。将軍今三千人を以て趙の数十城を下し、独り河北に介居す。王たらずんば以て之を塡むる無し。且つ陳王讒を聴く。還り報ずれば、恐らくは禍より脱れざらん。又其の兄弟を立つるに如かず。不なれば、即ち趙の後を立てよ。将軍時を失ふ毋かれ。時は間に息を容れず」と。武臣乃ち之を聴き、遂に立ちて趙王と為る。陳餘を以て大将軍と為し、張耳を右丞相と為し、邵騒を左丞相と為す。
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『墨子』號令人、自ら大いに版に書し、之を其の署の隔に著く。守、必ず自ら其の先後を謀り、其の署に非ずして妄りに之に入る者は、斷ず。署を離れ左右し、共に他署に入り、左右、捕らえず、私書を挾み、行きて請謁し、及び行書を為し、守事を釋てて私家の事を治め、卒民、相い家室・嬰兒を盜む者は、皆な斷じて赦す無し。人、舉げて之を藉す。符節無くして軍中を横行する者は、斷ず。客、城下に在らば、數しば其の署を易えて其の養を易うる無し。敵を譽めて少なきを以て衆しと為し、亂を以て治と為し、敵の攻の拙きを以て巧と為す者は、斷ず。客と主人と、相い與に言い及び相い藉するを得る無し。客、射るに書を以てするも、譽むるを得る無し。外、内に示すに善を以てするも、應ずるを得る無し。令に従わざる者は皆な斷ず。禁じて矢書を舉げ若しくは書を以て寇に射るを得る無し。令を犯す者は、父母・妻子、皆な斷じ、身は城上に梟す。能く之を捕らえ告ぐる者有らば、之に賞するに黄金二十斤。時に非ずして行く者は、唯だ守及び太守の節を摻りて使いする者のみ。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 平陰の役冬十月、魯の濟に會し、溴梁の言を尋ね、同じく齊を伐つ。齊侯諸を平陰に禦ぎ、防門に塹して之を廣里に守る。夙沙衛曰く、「戰ふ能はずんば、險を守るに如くは莫し」と。聽かず。諸侯の士焉に門す。齊人多く死す。范宣子析文子に告げて曰く、「吾子を知る、敢へて情を匿さんや。魯人・莒人、皆車千乘を以って其の鄉より入らんことを請ふ。既に之を許せり。若し入らば、君必ず國を失はん。子盍ぞ之を圖らざる」と。子家以って公に告ぐ。公恐る。晏嬰之を聞きて曰く、「君固より勇無し。而して又是を聞く。久しき能はざらん」と。齊侯巫山に登りて以って晉の師を望む。晉人司馬をして山澤の險を斥はしめ、至らざる所と雖も、必ず旆して疏らに之を陳ね、車に乘る者をして左は實にし右は偽りならしめ、旆を以って先んじ、輿は柴を曳きて之に從ふ。齊侯之を見て、其の眾きを畏るるなり。乃ち脫して歸る。丙寅晦、齊の師夜に遁る。師曠晉侯に告げて曰く、「鳥烏の聲樂し。齊の師其れ遁れん」と。邢伯中行伯に告げて曰く、「班馬の聲有り。齊の師其れ遁れん」と。叔向晉侯に告げて曰く、「城上に烏有り。齊の師其れ遁れん」と。
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孫子・九地篇利に合いて動き、利に合わずして止まる。
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