戦国策 / 或謂韓相國
或謂韓相國曰:「人之所以善扁鵲者,為有臃腫也;使善扁鵲而無臃腫也,則人莫之為之也。今君以所事善平原君者,為惡於秦也;而善平原君乃所以惡於秦也。願君之熟計之也。」
新字:或謂韓相国曰:「人之所以善扁鵲者,為有臃腫也;使善扁鵲而無臃腫也,則人莫之為之也。今君以所事善平原君者,為悪於秦也;而善平原君乃所以悪於秦也。願君之熟計之也。」
書き下し
或るひと韓の相國に謂いて曰く、「人の扁鵲を善くする所以の者は、臃腫有ればなり。扁鵲を善くせしめて臃腫無からしめば、則ち人之を為す莫し。今君事うる所を以て平原君に善くするは、秦に惡まるる為なり。而して平原君に善くするは乃ち秦に惡まるる所以なり。願わくは君之を熟計せよ。」
現代語訳
ある人が韓の相国に言った。「人が名医の扁鵲を大切にするのは、腫れ物などの病があるからです。もし扁鵲の腕を評価しながらも腫れ物そのものがなければ、誰もわざわざ彼のもとへ行こうとはしないでしょう。今、あなたが平原君によくしているのは、秦に憎まれることを恐れてのことだと思われます。しかし、平原君によくすること自体が、まさに秦に憎まれる原因になっているのです。どうかよくお考えください。」
解説
この章は、比喩を用いて相手の行動に潜む矛盾を鋭く指摘する話です。名医が重宝されるのは病があるからだという当たり前の理屈を引き合いに出し、韓の相国が「秦に憎まれないため」と称して平原君(趙の公子)と親しくしている行為が、実はその目的と正反対の結果、すなわち秦に憎まれる原因そのものになっていると喝破します。人はしばしば、ある問題を避けようとして取った行動が、実はその問題を引き起こしている当の原因であることに気づかないものです。目的と手段が食い違っていないか、行動の結果を一歩引いて客観的に検証する視点の大切さを、身近な比喩を用いて印象深く伝えている一編です。
この章句が説くこと
扁鵲の比喩平原君秦韓関係目的と手段矛盾
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