戦国策 / 或謂魏王王儆彊之內
或謂魏王:「王儆四彊之內,其從於王者,十日之內,備不具者死。王因取其游之舟上擊之。臣為王之楚,王胥臣反,乃行。」春申君聞之,謂使者曰:「子為我反,無見王矣。十日之內,數萬之眾,今涉魏境。」秦使聞之,以告秦王。秦王謂魏王曰:「大國有意,必來以是而足矣。」
新字:或謂魏王:「王儆四彊之内,其従於王者,十日之内,備不具者死。王因取其游之舟上撃之。臣為王之楚,王胥臣反,乃行。」春申君聞之,謂使者曰:「子為我反,無見王矣。十日之内,数万之衆,今渉魏境。」秦使聞之,以告秦王。秦王謂魏王曰:「大国有意,必来以是而足矣。」
書き下し
或るひと魏王に謂う、「王四彊の内を儆め、其の王に従う者、十日の内に、備え具わらざる者は死せしめよ。王因りて其の游の舟を取りて上に之を撃たしめよ。臣王の為に楚に之かん、王臣の反るを胥たば、乃ち行え。」春申君之を聞き、使者に謂いて曰く、「子我が為に反れ、王に見ゆる無かれ。十日の内に、数万の衆、今魏の境を渉る。」秦の使い之を聞き、以て秦王に告ぐ。秦王魏王に謂いて曰く、「大国意有り、必ず来たること是を以て足れり。」
現代語訳
ある者が魏王に言った。「王は国境四方の内を戒め、王に従う者たちに、十日以内に軍備を整えさせ、整わない者は死罪になさいませ。王はそれに乗じて、その遊覧用の舟を接収して、それに乗せた兵で攻め上らせるとよいでしょう。わたくしは王のために楚に参りましょう。王はわたくしが戻るのをお待ちになってから、事を行ってください。」春申君はこれを聞きつけ、魏からの使者に言った。「あなたは私のために帰りなさい、王にお会いになるには及びません。十日以内に、数万の軍勢が、いままさに魏の国境を越えて進んでおります。」秦の使者はこれを聞き、秦王に報告した。秦王は魏王に言った。「大国にはその気があるのだ。必ず軍勢が来るということだけで、もう十分だろう。」
解説

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史記 周本紀成王将に崩ぜんとし、太子釗の任へざるを懼れ、乃ち召公・畢公に命じて諸侯を率ゐて以て太子を相けて之を立てしむ。成王既に崩じ、二公諸侯を率ゐ、太子釗を以て先王の廟に見えしめ、申ねて告ぐるに文王・武王の王業を為すの易からざる所以を以てし、務めは節倹に在り、多欲毋く、篤信を以て之に臨めと、顧命を作る。太子釗遂に立つ。是を康王と為す。康王即位し、遍く諸侯に告げ、宣告するに文武の業を以て之を申ね、康誥を作る。故に成康の際、天下安寧にして、刑錯きて四十余年用ゐず。康王命じて策を作らしめ、畢公をして居里を分かち、成周の郊とせしめ、畢命を作る。康王卒し、子昭王瑕立つ。昭王の時、王道微缺す。昭王南に巡狩して返らず、江上に卒す。其の卒を赴告せず、之を諱むなり。昭王の子満を立つ。是を穆王と為す。穆王即位し、春秋已に五十なり。王道衰微す。穆王文武の道の缺くるを閔み、乃ち伯臩に命じて申ねて太僕国の政を誡めしめ、臩命を作る。復た寧し。穆王将に犬戎を征せんとす。祭公謀父諫めて曰く、「不可なり。先王は徳を燿かして兵を観さず。夫れ兵は戢めて時に動く、動けば則ち威あり。観せば則ち玩ばれ、玩ばるれば則ち震ふこと無し。是の故に周文公の頌に曰く、『載ち干戈を戢め、載ち弓矢を櫜にす。我懿徳を求め、時の夏に肆ぶ。允に王之を保たん』と。先王の民に於けるや、其の徳を茂正して其の性を厚くし、其の財求を阜かにして其の器用を利し、利害の郷を明らかにし、文を以て之を修め、之をして利を務めて害を辟け、徳を懐ひて威を畏れしむ。故に能く世を保ちて以て滋大なり。昔我が先王世后稷として以て虞・夏に服事す。夏の衰ふるに及びてや、稷を棄てて務めず、我が先王不窋用て其の官を失ひて、自ら戎狄の間に竄る。
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『韓非子』守道第二十六夫れ貪盗も谿に赴きて金を掇らず。谿に赴きて金を掇らば則ち身全からず。
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荀子・大略篇斉人(せいひと)魯(ろ)を伐(う)たんと欲するも、卞荘子(べんそうし)を忌(い)みて、敢(あ)へて卞(べん)を過(よぎ)らず。晋人(しんひと)衛(えい)を伐たんと欲するも、子路(しろ)を畏(おそ)れて、敢へて蒲(ほ)を過らず。
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『韓非子』六反第四十六故に曰く、「一姦の罪を重くして、境内の邪を止む。」・・・所謂重刑とは、姦の利する所の者細にして、而も上の焉に加うる所の者大なるなり。民小利を以て大罪を加えられんとせず。故に姦は必ず止む者なり。
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呂氏春秋・期賢②趙簡子晝居し、喟然として太息して曰く、「異なるかな。吾、衛を伐たんと欲すること十年、而るに衛伐たず。」侍者曰く、「趙の大を以て、而して衛の細を伐つ、君若し欲せずんば則ち可なり。君若し之を欲せば、請う令して之を伐たんことを。」簡子曰く、「而の言の如からざるなり。衛に士十人有り、吾が所に於り。吾乃ち且に之を伐たんとすれば、十人の者、其の不義を言うなり。而して我之を伐たば、是れ我不義を為すなり。」故に簡子の時、衛十人の者を以て趙の兵を按じ、簡子の身を歿せしめたり。衛は人を用うることを知れりと謂う可し。十士を遊ばして、國家安きを得たり。簡子は好く諫に從えりと謂う可し。十士に聽きて小を侵し弱を奪うの名無し。
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