戦国策 / 楚昭獻相韓
楚昭獻相韓。秦且攻韓,韓廢昭獻。昭獻令人謂公叔曰:「不如貴昭獻以固楚,秦必曰楚、韓合矣。」
新字:楚昭献相韓。秦且攻韓,韓廃昭献。昭献令人謂公叔曰:「不如貴昭献以固楚,秦必曰楚、韓合矣。」
書き下し
楚の昭献韓に相たり。秦且に韓を攻めんとす、韓昭献を廃す。昭献人をして公叔に謂わしめて曰く、「昭献を貴くして以て楚を固むるに如かず、秦必ず楚・韓合すと曰わん。」
現代語訳
楚出身の昭献が韓の宰相を務めていた。秦がまさに韓を攻めようとしたため、韓は昭献を罷免しようとした。昭献は人を遣わして公叔に言わせた。「わたし(昭献)を重んじて楚との関係を固めるに越したことはありません。そうすれば秦は必ず『楚と韓が結束している』と考えるでしょう。」
解説
楚出身の人物である昭献が韓の宰相を務めていたところ、秦の来攻を前にして、韓が楚との関係悪化を恐れて昭献を罷免しようとした場面です。昭献はこれに対し、逆に自分を重んじることで楚との結びつきを世に示せば、秦は「楚と韓が結束している」と警戒し、攻撃をためらうだろうと説き返します。罷免されそうになった当人が、自分を切り捨てることのリスクを逆手に取り、むしろ自分を留任させることの戦略的価値を訴えるという、危機下での自己弁護の巧みさが表れています。一見不利な状況に追い込まれたときこそ、自分の存在がもたらす具体的な利益を相手に再認識させることが、立場を守るための有効な手立てになるという教訓です。現代の組織においても、自分の役割が軽んじられそうになったとき、感情的に抵抗するのではなく、自分を維持することの合理的な利点を筋道立てて説明する姿勢が、局面を打開する鍵になり得ます。
この章句が説くこと
昭献公叔韓楚危機下の自己弁護
関連する章句
-
戦国策・韓相公仲珉使韓侈之秦韓の相公仲珉韓侈をして秦に之かしめ、魏を攻めんことを請わしむ、秦王之を說ぶ。韓侈唐に在り、公仲珉死す。韓侈秦王に謂いて曰く、「魏の使者後相韓辰に謂いて曰く、『公必ず魏の為に韓侈を罪せよ』と。韓辰曰く、『不可なり。秦王之を仕え、又與に事を約す』と。使者曰く、『秦の韓侈を仕うるや、以て公仲を重んずればなり。今公仲死せば、韓侈秦に之くとも、秦必ず入れざらん。入るとも、又奚ぞ之を挾みて以て魏王を恨まんや』と。韓辰之を患い、將に之に聽かんとす。今王韓侈を召さずんば、韓侈且に山中に伏せんとす。」秦王曰く、「何ぞ寡人を如是の權と意うや。令安くにか伏せしめん。」韓侈を召して之を仕う。
-
戦国策・公叔使馮君於秦公叔馮君を秦に使いせしむるや、留められんことを恐れ、陽向に教えて秦王に說かしめて曰く、「馮君を留めて以て韓臣に善くするは、上知に非ざるなり。主君馮君に善くして、之に資するに秦を以てするに如かず。馮君王を廣めて公叔を聽かず、以て太子と爭わしめば、則ち王澤布きて、韓に害あらん。」
-
戦国策・韓公叔有齊魏韓の公叔、斉・魏を有し、太子は楚・秦を有して以て国を争う。鄭申、楚の為に韓に使いし、矯めて新城・陽人を以て太子に予う。楚王怒りて、将に之を罪せんとす。対えて曰わく、「臣矯めて之を予えしは、以て国の為なり。臣太子の為に新城・陽人を得しめ、以て公叔と国を争いて之を得しめたり。斉・魏必ず韓を伐たん。韓氏急ならば、必ず命を楚に懸けん、又何ぞ新城・陽人の敢えて求めんや。太子勝たずとも、然れども死せず、今将に冠を倒しまにして至らんとす、又安くんぞ敢えて地を言わんや。」楚王曰わく、「善し。」乃ち罪せず。
-
戦国策・昭獻在陽翟昭獻陽翟に在り、周君将に相国をして往かしめんとす、相国将に欲せざらんとす。蘇厲之が為に周君に謂ひて曰く、「楚王と魏王と遇するや、主君陳封をして楚に之かしめ、向公をして魏に之かしむ。楚・韓の遇するや、主君許公をして楚に之かしめ、向公をして韓に之かしむ。今昭獻人主に非ざるに、主君相国をして往かしむ。若し其の王陽翟に在らば、主君将に誰をか往かしめん」と。周君曰く、「善し」と。乃ち其の行を止む。
-
戦国策・韓公仲相韓の公仲相たり。斉・楚の交わり秦に善し。秦・魏遇う、且に斉に善くして以て斉を楚に絶たしめんとす。王景鯉をして秦に之かしめ、鯉秦・魏の遇に与る。楚王景鯉を怒り、斉の楚の遇を以て秦・魏に陰有りと為すを恐れ、且つ景鯉を罪せんとす。為に楚王に謂いて曰く、「臣鯉の遇に与るを賀す。秦・魏の遇うや、将に斉・秦を合して斉を楚に絶たしめんとするなり。今、鯉遇に与る、斉以て魏の己を秦に合して楚を攻むるを信ずる無し。斉又た楚の秦・魏に陰有るを畏れ、必ず楚を重んぜん。故に鯉の遇に与るは、王の大資なり。今、鯉遇に与らずんば、魏の斉を楚に絶つこと明らかなり。斉・楚之を信ぜば、必ず王を軽んぜん。故に王は景鯉を罪する無く、以て斉に秦・魏有るを視すに如かず、斉必ず楚を重んじ、且つ秦・魏を斉に疑わん。」王曰く、「諾。」因りて罪せずして其の列を益す。
-
戦国策・楚圍雍氏五月楚、雍氏を圍むこと五月。韓、使者をして秦に救を求めしむるも、冠蓋相望むも、秦師殽を下らず。韓又尚靳をして秦に使いせしめ、秦王に謂いて曰く、「韓の秦に於けるや、居りては隱蔽と為り、出でては鴈行と為る。今韓已に病めり、秦師殽を下らず。臣之を聞く、脣揭がるれば其の齒寒しと。願わくは大王之を熟計せよ。」宣太后曰く、「使者來る者眾しと雖も、獨り尚子の言是なり。」尚子を召して入らしむ。宣太后尚子に謂いて曰く、「妾先王に事うるや、先王其の髀を以て妾の身に加うるも、妾困しみて疲れず。盡く其の身を妾の上に置くも、妾重しとせず。何ぞや。其の少しく利有るを以てなり。今韓を佐くるに、兵眾からず、糧多からざれば、則ち以て韓を救うに足らず。夫れ韓の危を救うは、日に千金を費やす。獨り妾をして少しく利有らしむ可からざるか。」尚靳歸りて書もて韓王に報ず。韓王張翠を遣わす。張翠病と稱し、日に一縣を行く。張翠至るや、甘茂曰く、「韓急なり、先生病みて來れり。」張翠曰く、「韓未だ急ならざるなり、且に急ならんとす。」甘茂曰く、「秦は重國にして王を知る、韓の急緩知らざる莫し。今先生急ならずと言う、可ならんや。」張翠曰く、「韓急ならば則ち折れて楚に入らん、臣安んぞ敢えて來らんや。」甘茂曰く、「先生復た言う毋かれ。」甘茂入りて秦王に言いて曰く、「公仲柄秦師を得たり、故に敢えて楚に捍る。今雍氏圍まれて、秦師殽を下らざれば、是れ韓無きなり。公仲且に首を抑えて朝せざらんとし、公叔且に國を以て南のかた楚に合せんとす。楚・韓一と為らば、魏氏敢えて聽かざる莫からん、是れ楚三國を以て秦を謀るなり。此くの如くんば則ち秦を伐つの形成る。坐して伐たるるを待つと、人を伐つの利と孰與れぞ。」秦王曰く、「善し。」果たして師を殽に下して以て韓を救う。