戦国策 / 韓相公仲珉使韓侈之秦
韓相公仲珉使韓侈之秦,請攻魏,秦王說之。韓侈在唐,公仲珉死。韓侈謂秦王曰:「魏之使者謂後相韓辰曰:『公必為魏罪韓侈。』韓辰曰:『不可。秦王仕之,又與約事。』使者曰:『秦之仕韓侈也,以重公仲也。今公仲死,韓侈之秦,秦必弗入。入,又奚為挾之以恨魏王乎?』韓辰患之,將聽之矣。今王不召韓侈,韓侈且伏於山中矣。」秦王曰:「何意寡人如是之權也!令安伏?」召韓侈而仕之。
新字:韓相公仲珉使韓侈之秦,請攻魏,秦王説之。韓侈在唐,公仲珉死。韓侈謂秦王曰:「魏之使者謂後相韓辰曰:『公必為魏罪韓侈。』韓辰曰:『不可。秦王仕之,又与約事。』使者曰:『秦之仕韓侈也,以重公仲也。今公仲死,韓侈之秦,秦必弗入。入,又奚為挟之以恨魏王乎?』韓辰患之,将聴之矣。今王不召韓侈,韓侈且伏於山中矣。」秦王曰:「何意寡人如是之権也!令安伏?」召韓侈而仕之。
書き下し
韓の相公仲珉韓侈をして秦に之かしめ、魏を攻めんことを請わしむ、秦王之を說ぶ。韓侈唐に在り、公仲珉死す。韓侈秦王に謂いて曰く、「魏の使者後相韓辰に謂いて曰く、『公必ず魏の為に韓侈を罪せよ』と。韓辰曰く、『不可なり。秦王之を仕え、又與に事を約す』と。使者曰く、『秦の韓侈を仕うるや、以て公仲を重んずればなり。今公仲死せば、韓侈秦に之くとも、秦必ず入れざらん。入るとも、又奚ぞ之を挾みて以て魏王を恨まんや』と。韓辰之を患い、將に之に聽かんとす。今王韓侈を召さずんば、韓侈且に山中に伏せんとす。」秦王曰く、「何ぞ寡人を如是の權と意うや。令安くにか伏せしめん。」韓侈を召して之を仕う。
現代語訳
韓の宰相・公仲珉は韓侈を秦に派遣し、魏を攻めるよう要請させ、秦王はこれを喜んだ。韓侈がまだ唐の地にとどまっていた間に、公仲珉が死去した。韓侈は秦王にこう言った。「魏の使者が(公仲珉の後任である)新しい宰相の韓辰にこう言いました。『あなたは必ず魏のために韓侈を罪に問うべきです。』韓辰は答えました。『それはできない。秦王が彼を任用し、しかも共に事を約束しているのだから。』すると使者は言いました。『秦が韓侈を任用したのは、公仲珉を重んじていたからにすぎません。今、公仲珉が死んだ以上、韓侈が秦に行っても、秦は必ず彼を受け入れないでしょう。仮に受け入れたとしても、どうしてわざわざ彼を用いて魏王の恨みを買うようなことをしましょうか。』韓辰はこれを聞いて思い悩み、その言葉に従おうとしています。もし王が今、韓侈を呼び寄せなければ、韓侈は山中に身を隠すほかなくなるでしょう。」秦王は言った。「なんと私をそのように軽々しい者だと思っているのか。今、韓侈はどこに身を隠しているのか。」そして韓侈を呼び寄せ、任用した。
解説
この章句が説くこと
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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『韓非子』存韓第二夫れ韓は小國なり、而して以て天下の四撃に應ず。主辱められ臣苦しみ、上下相い與に憂いを同じうすること久し。
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説苑・君道宋大水す。魯人之を弔いて曰く、「天淫雨を降らし、谿谷満盈し、延いて君の地に及び、以て執政を憂えしむ、臣をして敬んで弔わしむ」と。宋人之に応えて曰く、「寡人不佞にして、斎戒謹まず、邑封修まらず、人を使うこと時ならず、天殃を加え、又君の憂いを遺す、命を拝するの辱を」と。君子之を聞きて曰く、「宋国其れ庶幾からんか」と。問いて曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「昔夏の桀殷の紂は其の過ちを任ぜず、其の亡ぶるや忽焉たり。成湯文武は其の過ちを任ずることを知り、其の興るや勃焉たり。夫れ過ちて之を改むるは、是れ猶お過たざるがごとし。故に曰く其れ庶幾からんかと」と。宋人之を聞き、夙に興き夜に寐ね、早に朝し晏に退き、死を弔い疾を問い、力を宇内に戮す。三年にして、歳豊かに政平らかなり。嚮に宋人をして君子の語を聞かざらしめば、則ち年穀未だ豊かならずして国未だ寧からず。詩に曰く、「時の仔肩を佛け、我に顕徳の行いを示す」と、此を之れ謂うなり。
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牧民忠告・救荒民或いは火を失えば、則ち鼓を伐(う)ちて衆を集め、親(みずか)ら蒞(のぞ)みて以て之を救う。惻隠(そくいん)の心は、人の共に有する所なり。誠に能く鼓舞して以て其の気を作(おこ)さば、仇人(きゅうじん)と雖も亦将に焦頭爛額(しょうとうらんがく)して相患難に趨(おもむ)かんとす。
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牧民忠告・救荒故事(こじ):蝗(いなご)境内に生ずれば、必ず馳(は)せて上に聞(もう)す、少しく頃刻(けいこく)を淹(とど)むれば、坐する所軽からず。然れども民に長たる者は亦須(すべか)らく其の小大多寡を相(み)て、害を為すの軽重を為すべし。若し遽然(きょぜん)として以て聞せば、其の上に蒞(のぞ)む者群集族赴(ぞくふ)し、供張征索(きょうちょうせいさく)し、一境騒然として、其の害反って蝗より甚だしき者あり。其れ或いは勢い微にして種稚なれば、則ち当に亟(すみ)やかに衆力を率いて以て之を図るべし、必ずしも細虞(さいぐ)に因りて大難を民に来(きた)すべからざるなり。故に凡そ官に居るは、必ず先ず負荷(ふか)に敢えてして、而る後に以て為す有る可し。