戦国策 / 申子請仕其從兄官
申子請仕其從兄官,昭侯不許也。申子有怨色。昭侯曰:「非所謂學於子者也。聽子之謁,而廢子之道乎?又亡其行子之術,而廢子之謁乎?子嘗教寡人循功勞,視次第。今有所求,此我將奚聽乎?」申子乃辟舍請罪,曰:「君真其人也!」
新字:申子請仕其従兄官,昭侯不許也。申子有怨色。昭侯曰:「非所謂学於子者也。聴子之謁,而廃子之道乎?又亡其行子之術,而廃子之謁乎?子嘗教寡人循功労,視次第。今有所求,此我将奚聴乎?」申子乃辟舎請罪,曰:「君真其人也!」
書き下し
申子其の従兄の官を仕えしめんことを請う、昭侯許さず。申子怨色有り。昭侯曰く、「子に学ぶ所謂に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を廃せんか。又た其れ子の術を行いて、子の謁を廃せんか。子嘗て寡人に功労に循い、次第を視るを教う。今求むる所有り、此れ我将た奚をか聴かんや。」申子乃ち舎を辟け罪を請いて曰く、「君真に其の人なり。」
現代語訳
申不害が、自分の従兄を役人に取り立ててほしいと願い出たが、昭侯はこれを許さなかった。申不害は不満げな顔をした。昭侯は言った。「それは、そなたに学んだこととは違うのではないか。そなたの願いを聞き入れれば、そなたが説く『道』(法や術による統治原則)を廃することになる。かといって、そなたの説く『術』を行おうとすれば、そなたの願いを退けねばならぬ。そなたはかつて、わたしに『功績や労苦に応じて、序列を見極めよ』と教えたではないか。いまそなたが個人的な願いを持ち出してきたが、わたしはいったいどちらを聞き入れればよいのか。」申不害はそこで自邸に引きこもり、罪を認めて言った。「君主こそまさに、真に法術を体得したその人でいらっしゃいます。」
解説
法家思想の祖の一人・申不害が、自分の従兄を役人に登用してほしいと願い出たところ、韓の昭侯にきっぱりと拒絶された話です。昭侯は、申不害自身がかつて「功績や序列に基づいて人材を登用すべきだ」と説いていたことを引き合いに出し、その教えと私的な口利きの願いとが矛盾していることを鋭く指摘します。申不害は反論できず、非を認めて謝罪しました。自らが説いた原則を、自分の身内可愛さで破ろうとした瞬間を主君に見抜かれ、正されたこの逸話は、法治や公正な人事の原則を説く者ほど、身内への例外を求める誘惑に自ら陥りやすいという普遍的な人間の弱さを浮き彫りにしています。ルールを作る側・説く側であるほど、自分自身がそのルールから逃れようとしていないか、常に問い直す姿勢が求められるという教訓は、現代の組織運営やコンプライアンスにも通じます。
この章句が説くこと
申不害昭侯法治縁故人事原則と実践の一致
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史記 老子韓非列伝申不害は、京の人なり、故と鄭の賎臣なり。術を学び、以て韓の昭侯に干む。昭侯、用て相と為す。内に政教を修め、外に諸侯に応ずること十五年。申子の身終ふるまで、国治まり兵彊く、韓を侵す者無し。申子の学は黄老を本にして刑名を主とす。書二篇を著し、号して申子と曰ふ。
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戦国策・魏之圍邯鄲魏の邯鄲を囲むや。申不害始めて韓王に合するも、未だ王の欲する所を知らず、言いて未だ必ずしも王に中らざるを恐る。王申子に問いて曰く、「吾誰と与にせば可ならん。」対えて曰く、「此れ安危の要、国家の大事なり。臣請う深く惟りて之を苦思せん。」乃ち微かに趙卓・韓鼂に謂いて曰く、「子は皆国の弁士なり、夫れ人臣為る者は、言必ず用うべく、忠を尽くすのみ。」二人各々王に議を進めて事を以てす。申子微かに王の説ぶ所を視て以て王に言い、王大いに之を説ぶ。
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史記 韓世家八年、申不害韓に相たり、術を修め道を行ふ、国内以て治まり、諸侯来たりて侵伐せず。
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戦国策・楚昭獻相韓楚の昭献韓に相たり。秦且に韓を攻めんとす、韓昭献を廃す。昭献人をして公叔に謂わしめて曰く、「昭献を貴くして以て楚を固むるに如かず、秦必ず楚・韓合すと曰わん。」
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戦国策・昭獻在陽翟昭獻陽翟に在り、周君将に相国をして往かしめんとす、相国将に欲せざらんとす。蘇厲之が為に周君に謂ひて曰く、「楚王と魏王と遇するや、主君陳封をして楚に之かしめ、向公をして魏に之かしむ。楚・韓の遇するや、主君許公をして楚に之かしめ、向公をして韓に之かしむ。今昭獻人主に非ざるに、主君相国をして往かしむ。若し其の王陽翟に在らば、主君将に誰をか往かしめん」と。周君曰く、「善し」と。乃ち其の行を止む。
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『淮南子』要略申子なる者は、昭厘に朝するの佐なり。韓は、晉の別國なり。地 墽く民 險にして、大國の間に介まる。晉國の故禮 未だ滅びず、韓國の新法 重ねて出づ。先君の令 未だ收められず、後君の令 又た下る。新故 相い反し、前後 相い繆り、百官 背亂して、用うる所を知らず。故に刑名の書 生ず。