戦国策 / 魏之圍邯鄲
魏之圍邯鄲也。申不害始合於韓王,然未知王之所欲也,恐言而未必中於王也。王問申子曰:「吾誰與而可?」對曰:「此安危之要,國家之大事也。臣請深惟而苦思之。」乃微謂趙卓、韓鼂曰:「子皆國之辯士也,夫為人臣者,言可必用,盡忠而已矣。」二人各進議於王以事。申子微視王之所說以言於王,王大說之。
新字:魏之囲邯鄲也。申不害始合於韓王,然未知王之所欲也,恐言而未必中於王也。王問申子曰:「吾誰与而可?」対曰:「此安危之要,国家之大事也。臣請深惟而苦思之。」乃微謂趙卓、韓鼂曰:「子皆国之弁士也,夫為人臣者,言可必用,尽忠而已矣。」二人各進議於王以事。申子微視王之所説以言於王,王大説之。
書き下し
魏の邯鄲を囲むや。申不害始めて韓王に合するも、未だ王の欲する所を知らず、言いて未だ必ずしも王に中らざるを恐る。王申子に問いて曰く、「吾誰と与にせば可ならん。」対えて曰く、「此れ安危の要、国家の大事なり。臣請う深く惟りて之を苦思せん。」乃ち微かに趙卓・韓鼂に謂いて曰く、「子は皆国の弁士なり、夫れ人臣為る者は、言必ず用うべく、忠を尽くすのみ。」二人各々王に議を進めて事を以てす。申子微かに王の説ぶ所を視て以て王に言い、王大いに之を説ぶ。
現代語訳
魏が趙の都・邯鄲を包囲したときのこと。申不害はまだ韓王に仕え始めたばかりで、王が何を望んでいるかをまだ把握しておらず、うかつに意見を述べても王の意にかなわないのではないかと恐れていた。王は申子(申不害)に尋ねた。「わたしはどちらに味方すればよいだろうか。」申子は答えた。「これは国の安危に関わる要、国家の大事でございます。わたくしに、深く考え、じっくり思案させてくださいませ。」そこでひそかに趙卓・韓鼂の二人に言った。「あなた方はどちらも国随一の弁論家です。そもそも人の臣下たる者は、その言葉が必ず用いられるようにし、忠誠を尽くすのみです。」こうして二人はそれぞれ王のもとへ意見を進言した。申子はひそかに王がどちらの意見を喜んだかを見て取り、それに沿った形で王に進言し、王は大いにこれを喜んだ。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・韓趙相難韓・趙相い難(にく)む。韓、兵を魏に索めて曰わく、「願わくは師を借るを得て以て趙を伐たん。」魏文侯曰わく、「寡人趙と兄弟なり、敢えて従わず。」趙又兵を索めて以て韓を攻めんとす、文侯曰わく、「寡人韓と兄弟なり、敢えて従わず。」二国兵を得ず、怒りて反る。已にして乃ち文侯の以て己に講ずるを知り、皆魏に朝す。
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戦国策・邯鄲之難邯鄲の難に、昭奚恤、楚王に謂いて曰わく、「王は趙を救う無くして、以て魏を強くするに如かず。魏強ければ、其の趙を割くこと必ず深からん。趙聴く能わざれば、則ち必ず堅守せん、是れ両つながら弊るるなり。」景舎曰わく、「然らず。昭奚恤知らざるなり。夫れ魏の趙を攻むるや、楚の其の後を攻めんことを恐る。今趙を救わざれば、趙に亡ぶるの形あり、而して魏に楚の憂い無し、是れ楚・魏、趙を共にするなり、害必ず深からん。何を以て両つながら弊れんや。且つ魏、兵を令して以て深く趙を割かば、趙、亡ぶるの形を見、而して楚の己を救わざる有らば、必ず魏と合して以て楚を謀らん。故に王は少しく兵を出だして、以て趙の援と為すに如かず。趙、楚の勁きを恃みて、必ず魏と戦わん。魏、趙の勁きに怒りて、楚の救い畏るるに足らざるを見れば、必ず趙を釈かず。趙・魏相い弊れて、斉・秦楚に応ぜば、則ち魏破るべきなり。」楚因りて景舎をして兵を起こして趙を救わしむ。邯鄲抜けて、楚睢・濊の間を取る。
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戦国策・韓公叔有齊魏韓の公叔、斉・魏を有し、太子は楚・秦を有して以て国を争う。鄭申、楚の為に韓に使いし、矯めて新城・陽人を以て太子に予う。楚王怒りて、将に之を罪せんとす。対えて曰わく、「臣矯めて之を予えしは、以て国の為なり。臣太子の為に新城・陽人を得しめ、以て公叔と国を争いて之を得しめたり。斉・魏必ず韓を伐たん。韓氏急ならば、必ず命を楚に懸けん、又何ぞ新城・陽人の敢えて求めんや。太子勝たずとも、然れども死せず、今将に冠を倒しまにして至らんとす、又安くんぞ敢えて地を言わんや。」楚王曰わく、「善し。」乃ち罪せず。
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戦国策・楚昭獻相韓楚の昭献韓に相たり。秦且に韓を攻めんとす、韓昭献を廃す。昭献人をして公叔に謂わしめて曰く、「昭献を貴くして以て楚を固むるに如かず、秦必ず楚・韓合すと曰わん。」
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戦国策・韓咎立為君而未定韓咎立ちて君と為るも未だ定まらざるなり、其の弟周に在り、周車百乘の重きを以て之を送らんと欲するも、韓咎韓に入るの立たざるを恐る。綦母恢曰く、「百金を以て之に從うに如かず。韓咎立たば、因りて以て戒と為さん。立たずんば、則ち賊を效しに來たれりと曰わん。」
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戦国策・謂鄭王鄭王に謂いて曰く、「昭釐侯は、一世の明君なり。申不害は、一世の賢士なり。韓と魏とは敵侔の國なり、申不害昭釐侯と珪を執りて梁君に見ゆるは、卑を好みて尊を惡むに非ず、慮過ちて議失するに非ざるなり。申不害の事を計るや、曰く、『我魏に珪を執らば、魏君必ず志を韓に得て、必ず外天下に靡かん、是れ魏弊るるなり。諸侯魏を惡みて必ず韓に事えん、是れ我一人の下を免れて、萬人の上に信ぜらるるなり。夫れ魏の兵を弱め、韓の權を重くするは、魏に朝するに如くは莫し』と。昭釐侯聽きて之を行う、明君なり。申不害事を慮りて之を言う、忠臣なり。今の韓は始の韓より弱く、今の秦は始の秦より強し。今秦梁君の心有り、而して王と諸臣秦を尊びて韓を定むるを事とせざる者は、臣竊かに以為らく王の明昭釐侯に如かず、王の諸臣の忠申不害に若く莫しと。「昔者穆公一たび韓原に勝ちて西州に霸たり、晉の文公一たび城濮に勝ちて天下を定む、此れ一勝を以て尊令を立て、功名を天下に成す。今秦數世強し、大勝千を以て數え、小勝百を以て數うるも、大にして王たらず、小にして霸たらず、名尊立つる所無く、制令行わるる所無し、然れども春秋兵を用うる者は、以て主の尊きを求め名を天下に成すに非ざるなり。昔先王の攻めるや、名の為にする者有り、實の為にする者有り。名の為にする者は其の心を攻め、實の為にする者は其の形を攻む。昔者呉と越と戰い、越人大いに敗れ、會稽の上に保つ。呉人越に入りて戶ごとに之を撫す。越王大夫種をして呉に行成せしめ、男は臣と為り、女は妾と為り、身禽を執りて諸御に隨わんことを請う。呉人果たして其の辭を聽き、成を與うるも盟わず、此れ其の心を攻むる者なり。其の後越呉と戰い、呉人大いに敗れ、亦男は臣と為り、女は妾と為らんことを請い、反りて越の呉に事うるの禮を以て越に事えんとす。越人聽かず、遂に呉國を殘いて夫差を禽にす、此れ其の形を攻むる者なり。今將に其の心を攻めんとするか、宜しく呉の如くならしむべし。其の形を攻めんとするか、宜しく越の如くならしむべし。夫れ形を攻むるは越に如かず、心を攻むるは呉に如かず、而して君臣・上下・少長・貴賤、畢く霸王を呼ぶは、臣竊かに以て猶井中に之きて謂いて曰わく、『我將に爾が為に火を求めんとす』と言うがごとしと為す。「東孟の會、聶政・陽堅相兼君を刺す。許異哀侯を蹴りて之を殪し、立てて鄭君と為す。韓氏の眾令を聽かざる者無きは、則ち許異之が先を為ればなり。是の故に哀侯君と為り、而して許異終身相たり。而して韓氏の許異を尊ぶや、猶其の哀侯を尊ぶがごとし。今日鄭君と為るを得可からざるも、終身之に相たりと雖も、然れども吾為さずと云う者、豈過謀を為すに非ざらんや。昔齊の桓公九たび諸侯を合するも、未だ嘗て周の襄王の命を以てせずんばあらず。然らば則ち襄王を尊ぶと雖も、桓公も亦霸を定む。九合の桓公を尊ぶや、猶其の襄王を尊ぶがごとし。今日天子と為るを得可からざるも、桓公と為ると雖も吾為さずと云う者、豈過謀にして尊を知らざるを為すに非ざらんや。韓氏の士數十萬、皆哀侯を戴きて以て君と為すも、許異獨り相を取る者は、他無し。諸侯の君、周室に事を任ぜざる無きも、桓公獨り霸を取る者も、亦他無し。今強國將に帝王の亹有らんとし、而して國を以て先んずる者は、此れ桓公・許異の類なり。豈善謀と謂わざる可けんや。夫れ強國の利に先んじ與するは、強國能く王たれば、則ち我必ず之が霸為らん。強國王たる能わずんば、則ち以て其の兵を辟け、之をして我を伐つ無からしむ可し。然らば則ち強國の事成らば、則ち我帝を立てて霸たらん。強國の事成らずとも、猶之れ我を厚德せん。今強國に與するに、強國の事成らば則ち福有り、成らずんば則ち患無し、然らば則ち強國に先んじ與する者は、聖人の計なり。」