史記 / 韓世家
八年,申不害相韓,修術行道,國内以治,諸侯不來侵伐。
新字:八年,申不害相韓,修術行道,国内以治,諸侯不来侵伐。
書き下し
八年、申不害韓に相たり、術を修め道を行ふ、国内以て治まり、諸侯来たりて侵伐せず。
現代語訳
八年、申不害が韓の宰相となり、術を修め道を行った。国内はそれによって治まり、諸侯もやって来て侵し攻めることはなかった。
解説
「内を、きちんと治めていれば、外から攻められることもない」——名宰相・申不害の、簡潔な功績を記した一段です。韓の昭侯の治世八年、申不害が、韓の宰相と、なりました。申不害は、(法家の系譜に連なる、)優れた統治の理論家であり、実務家でした。史記は、その功績を、実に、簡潔に、しかし、要点を突いて、記しています。「(申不害は、)術(=統治の技術・仕組み。とりわけ、君主が、臣下を、正しく用い、統御するための方法)を、修め、道(=正しい統治の道理)を、行った(修術行道)」と。理論と、実践の、両面から、統治の、仕組みを、整えたのです。その結果は、二つの言葉に、集約されます。第一に——「国内は、これによって、(よく)治まった(國內以治)」。内政が、整い、国が、安定した。そして、第二に——「(そのおかげで、)諸侯(周辺の国々)は、(韓を、)攻め、侵略しに、来ることが、なくなった(諸侯不來侵伐)」。内が、きちんと治まっていたので、外国も、付け入る隙を、見出せず、攻めてこなくなった、というのです。「内を治める」ことが、そのまま、「外から攻められない」ことに、つながる。これが、統治の、要諦です。ここに、内政と防衛についての教訓があります。第一に、組織の、最も確かな「守り」は——(外に向けた、防衛策や、対抗策ではなく、)まず、「内を、きちんと治めること」に、あるということ(國內以治→諸侯不來侵伐)。内部が、しっかりと固まり、乱れがなければ、外部の敵は、付け入る隙を、見出せない。逆に、内部が、乱れ、混乱していれば、外部は、必ず、そこを突いてくる。第二に、そして、その「内を治める」ためには——場当たり的な、対応ではなく、「術(仕組み・方法)」を、きちんと、整えることが、必要だということ(修術行道)。人の、思いつきや、頑張りだけに頼らず、統治の、確かな仕組みを、作る。第三に、それが、正しい道理(道)に、かなっていること。組織や経営で、最も確かな守りが外への対抗策でなくまず内をきちんと治めることにあると知ること、内を治めるには場当たり的でなく確かな仕組み(術)を整える必要があると理解すること、そしてその仕組みが正しい道理にかなっていること——申不害の統治は、内を治めることが最強の守りだと教えます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
韓申不害修術行道内を治めれば外から攻められない国内以治諸侯不来侵伐最強の守りは内を治めること確かな仕組み(術)を整える
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戦国策・申子請仕其從兄官申子其の従兄の官を仕えしめんことを請う、昭侯許さず。申子怨色有り。昭侯曰く、「子に学ぶ所謂に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を廃せんか。又た其れ子の術を行いて、子の謁を廃せんか。子嘗て寡人に功労に循い、次第を視るを教う。今求むる所有り、此れ我将た奚をか聴かんや。」申子乃ち舎を辟け罪を請いて曰く、「君真に其の人なり。」
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