戦国策 / 芮宋欲絕秦趙之交
芮宋欲絕秦、趙之交,故令魏氏收秦太后之養地秦王於秦。芮宋謂秦王曰:「魏委國於王,而王不受,故委國於趙也。李郝謂臣曰:『子言無秦,而養秦太后以地,是欺我也,故敝邑收之。』」秦王怒,遂絕趙也。
新字:芮宋欲絶秦、趙之交,故令魏氏収秦太后之養地秦王於秦。芮宋謂秦王曰:「魏委国於王,而王不受,故委国於趙也。李郝謂臣曰:『子言無秦,而養秦太后以地,是欺我也,故敝邑収之。』」秦王怒,遂絶趙也。
書き下し
芮宋、秦・趙の交わりを絶たんと欲す。故に魏氏をして秦太后の養地を秦に収めしめ、秦王秦に於いて、芮宋秦王に謂いて曰く、「魏国を王に委ぬるも、王受けず、故に国を趙に委ぬるなり。李郝臣に謂いて曰く、『子言うに秦無しと言いて、秦太后を養うに地を以てす、是れ我を欺くなり、故に敝邑之を収む』と。」秦王怒り、遂に趙を絶つ。
現代語訳
芮宋は秦と趙の外交関係を断たせようと考えた。そこで魏に、秦の太后(宣太后)の封地を秦国内で接収させ、秦王が秦にいるところへ、芮宋は秦王に言った。「魏は国を挙げて王にお仕えしようとしましたが、王がそれをお受けにならなかったため、やむなく国を趙にお預けしたのです。趙の李郝はわたくしにこう申しました。『そなたは秦とは関わらないと言っていながら、秦の太后の封地に土地を提供して養っているとは、我々を欺くものだ。だからわが国(趙)はその土地を接収する』と。」秦王は怒り、そこで趙との関係を断った。
解説
芮宋は、秦と趙の同盟関係を断ち切ろうと画策し、まず魏に秦の太后の封地を接収させ、それを口実に秦王のもとへ出向いて、趙の重臣・李郝が「魏が秦と内通して太后に取り入っている」と難詰してきたと報告しました。事の真偽よりも、秦王に「趙が自分たちの内情に干渉してきた」という怒りを植え付けることが芮宋の狙いであり、案の定、秦王は怒って趙との関係を断ちました。当事者同士を直接争わせるのではなく、第三者を介して疑心や怒りを媒介し、狙った相手同士の関係を破綻させるという情報操作の手口が描かれています。事実関係がやや込み入っており、原文自体にも解釈の難しい箇所が残りますが、「相手の感情を操作して同盟を破壊する」という策略の骨格は明確です。現代でも、第三者からの偽情報や誤解によって信頼関係が壊れる事例は多く、情報の出所を冷静に確かめる姿勢の大切さを、逆説的に教えてくれる逸話です。

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