戦国策 / 魏王令惠施之楚
魏王令惠施之楚,令犀首之齊。鈞二子者,乘數鈞,將測交也。楚王聞之,施因令人先之楚,言曰:「魏王令犀首之齊,惠施之楚,鈞二子者,將測交也。」楚王聞之,因郊迎惠施。
新字:魏王令恵施之楚,令犀首之斉。鈞二子者,乗数鈞,将測交也。楚王聞之,施因令人先之楚,言曰:「魏王令犀首之斉,恵施之楚,鈞二子者,将測交也。」楚王聞之,因郊迎恵施。
書き下し
魏王惠施をして楚に之(ゆ)かしめ、犀首をして齊に之かしむ。二子を鈞(ひと)しくする者、乗数鈞(ひと)しくして、将に交わりを測らんとするなり。楚王之を聞き、施因りて人をして先に楚に之かしめ、言わしめて曰く、「魏王犀首をして齊に之かしめ、惠施をして楚に之かしむ。二子を鈞しくする者は、将に交わりを測らんとするなり」と。楚王之を聞き、因りて郊に惠施を迎う。
現代語訳
魏王は惠施を楚へ、犀首を斉へと同時に使者として遣わした。二人の使者の格を等しくし、随行の車の数まで揃えたのは、楚と斉のどちらが魏を重んじるか、その交わりの厚薄を見極めようとしたからである。楚王がこのことを聞くと、惠施は先に人を楚へ走らせ、「魏王は犀首を斉へ、惠施を楚へ遣わしました。二人の使者の格を等しくしたのは、楚と斉のどちらの交わりが厚いかを見極めるためです」と伝えさせた。楚王はこれを聞き、そこで郊外まで出て惠施を出迎えた。
解説
魏が楚と斉のどちらをより重んじているかを、両国に使者を同格で送るという形で探ろうとした話です。惠施は自らこの意図を先回りして楚側に伝えることで、楚王に「対等に扱われなければ魏に軽んじられたことになる」という意識を植え付け、結果として盛大な出迎えを引き出しました。相手に「試されている」という事実そのものを伝えることで、相手の対応を自分に有利な方向へ誘導する手法です。情報を隠すのではなく、あえて開示することで相手の行動を操るという逆説的な駆け引きは、外交や交渉における情報戦略の一例として興味深いものです。現代でも、比較や序列を意識させることで相手からより良い対応を引き出す交渉術は広く見られます。
この章句が説くこと
恵施犀首楚外交情報戦
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