戦国策 / 史舉非犀首於王
史舉非犀首於王。犀首欲窮之,謂張儀曰:「請令王讓先生以國,王為堯、舜矣;而先生弗受,亦許由也。衍請因令王致萬戶邑於先生。」張儀說,因令史舉數見犀首。王聞之而弗任也,史舉不辭而去。
新字:史舉非犀首於王。犀首欲窮之,謂張儀曰:「請令王譲先生以国,王為堯、舜矣;而先生弗受,亦許由也。衍請因令王致万戸邑於先生。」張儀説,因令史舉数見犀首。王聞之而弗任也,史舉不辞而去。
書き下し
史挙、犀首を王に非(そし)る。犀首之を窮せしめんと欲し、張儀に謂いて曰く、「請う、王をして国を先生に譲らしめば、王は堯・舜と為らん。而して先生受けざれば、亦た許由なり。衍請う因りて王をして万戸の邑を先生に致さしめん」と。張儀説(よろこ)び、因りて史挙をして数(しばしば)犀首に見(まみ)えしむ。王之を聞きて任ぜざるなり、史挙辞せずして去る。
現代語訳
史挙が王の前で犀首を非難した。犀首はこれをやり込めようと考え、張儀にこう持ちかけた。「王に国を史挙先生に譲らせれば、王は堯・舜のような聖王ということになる。それでも先生が受けなければ、先生は許由のような高潔の士ということになる。私(衍)からも王に働きかけ、万戸の邑を先生に与えさせよう。」張儀はこれを喜び、そこで史挙をしばしば犀首のもとに出入りさせた。王はこの様子を聞いて史挙を重用しなくなり、史挙は何も言わずに立ち去った。
解説
犀首(公孫衍)が自分を非難する史挙を陥れるため、あえて「王位を譲ってもよいほどの人物だ」と持ち上げる形で罠を仕掛けた話です。張儀を巻き込んで史挙を厚遇するふりをし、結果として史挙が犀首に取り入っているかのような印象を王に与え、王の信頼を失わせることに成功しています。直接反論するのではなく、過剰な賞賛を利用して相手の立場を危うくするという、遊説家社会特有の陰湿な駆け引きが描かれています。事実そのものを曲げずとも、演出や見せ方によって他者の評価を操作できてしまう点は、現代の組織内政治にも通じる教訓です。過剰な称賛や便宜を安易に受け入れることが、かえって自分の信用を損ないかねないという戒めとしても読むことができます。
この章句が説くこと
犀首史挙張儀讒言処世術
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