戦国策 / 文侯與虞人期獵
文侯與虞人期獵。是日,飲酒樂,天雨。文侯將出,左右曰:「今日飲酒樂,天又雨,公將焉之?」文侯曰:「吾與虞人期獵,雖樂,豈可不一會期哉!」乃往,身自罷之。魏於是乎始強。
新字:文侯与虞人期猟。是日,飲酒楽,天雨。文侯将出,左右曰:「今日飲酒楽,天又雨,公将焉之?」文侯曰:「吾与虞人期猟,雖楽,豈可不一会期哉!」乃往,身自罷之。魏於是乎始強。
書き下し
文侯、虞人と猟を期す。是の日、飲酒楽しみ、天雨ふる。文侯将に出でんとす、左右曰わく、「今日飲酒楽しみ、天又雨ふる、公将に焉(いず)くにか之(ゆ)かんとする。」文侯曰わく、「吾虞人と猟を期す、楽しむと雖も、豈に一たび期に会せざるべけんや。」乃ち往き、身自ら之を罷(や)む。魏是に於いて始めて強し。
現代語訳
文侯は猟場の役人と狩りの約束をしていた。ちょうどその日、酒宴を楽しんでいるさなかに雨が降り出した。文侯が出かけようとすると、側近たちが言った。「今日は酒宴を楽しんでおられますし、雨まで降っております。公はいったいどちらへお出かけになるのですか。」文侯は言った。「私は猟場の役人と狩りの約束をしている。酒宴は楽しいとはいえ、どうして一度交わした約束の場に自ら出向かずにいられようか。」そう言って自ら出向き、自分の口から狩りの中止を告げた。魏はこの出来事をきっかけに、初めて強国としての礎を築いた。
解説
この一篇は、雨の降る中、酒宴の楽しみを中断してまで、身分の低い猟場役人との些細な約束を自ら守りに行った魏の文侯の逸話です。実際には狩りそのものは行われず、文侯はわざわざ出向いて自分の口から中止を伝えただけですが、そこに重要な意味があります。どんな相手との約束であっても、たとえ形だけであっても誠実に果たそうとする姿勢を、文侯は自ら実践して見せたのです。この話は「魏是於乎始強」という一文で締めくくられ、この誠実さこそが魏の国力伸長の出発点になったと位置づけられています。約束を守るという当たり前の行為を、地位や状況に関わらず徹底することが、周囲からの信頼を積み重ね、ひいては国家や組織全体の力の源泉になるという教訓は、現代のリーダーシップ論にもそのまま通じます。
この章句が説くこと
戦国策魏一魏文侯信義約束
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