戦国策 / 韓趙相難
韓、趙相難。韓索兵於魏,曰:「願得借師以伐趙。」魏文侯曰:「寡人與趙兄弟,不敢從。」趙又索兵以攻韓,文侯曰:「寡人與韓兄弟,不敢從。」二國不得兵,怒而反。已乃知文侯以講於己也,皆朝魏。
新字:韓、趙相難。韓索兵於魏,曰:「願得借師以伐趙。」魏文侯曰:「寡人与趙兄弟,不敢従。」趙又索兵以攻韓,文侯曰:「寡人与韓兄弟,不敢従。」二国不得兵,怒而反。已乃知文侯以講於己也,皆朝魏。
書き下し
韓・趙相い難(にく)む。韓、兵を魏に索めて曰わく、「願わくは師を借るを得て以て趙を伐たん。」魏文侯曰わく、「寡人趙と兄弟なり、敢えて従わず。」趙又兵を索めて以て韓を攻めんとす、文侯曰わく、「寡人韓と兄弟なり、敢えて従わず。」二国兵を得ず、怒りて反る。已にして乃ち文侯の以て己に講ずるを知り、皆魏に朝す。
現代語訳
韓と趙が互いに争い、仲が悪くなった。韓は魏に兵を借りようとして言った。「どうか援軍をお貸しいただき、趙を討たせてください。」魏の文侯は言った。「私と趙とは兄弟のような間柄だ。あえて従うことはできない。」趙もまた兵を借りて韓を攻めようとしたが、文侯は言った。「私と韓とは兄弟のような間柄だ。あえて従うことはできない。」両国とも兵を得られず、怒って自国へ引き返した。しかし後になって、文侯がそのようにして両国の仲を取り持とうとしていたのだと知り、韓・趙はどちらも魏に参内するようになった。
解説
この一篇は、対立する韓と趙がそれぞれ魏に援軍を求めたのに対し、魏の文侯がどちらにも「兄弟の国だから協力できない」と同じ理由で断り、結果的に両国から信頼を得たという逸話です。目先の利害だけを見れば、文侯はどちらの依頼も断ることで両国を怒らせたように見えますが、実際にはどちらか一方に肩入れせず中立を貫く姿勢そのものが、韓・趙双方に「魏は公平で信頼できる国だ」という印象を与え、結果として両国が魏に朝貢するという形で影響力を強めることに成功しました。目先の同盟や恩を売ることよりも、公平さを貫くことが長期的な信頼と影響力につながるという教訓は、組織間の調停や中立的な立場を求められる場面において、今も色あせない知恵です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
戦国策魏一魏文侯中立信頼
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