戦国策 / 魏文侯與田子方飲酒而稱樂
魏文侯與田子方飲酒而稱樂。文侯曰:「鍾聲不比乎,左高。」田子方笑。文侯曰:「奚笑?」子方曰:「臣聞之,君明則樂官,不明則樂音。今君審於聲,臣恐君之聾於官也。」文侯曰:「善,敬聞命。」
新字:魏文侯与田子方飲酒而称楽。文侯曰:「鍾声不比乎,左高。」田子方笑。文侯曰:「奚笑?」子方曰:「臣聞之,君明則楽官,不明則楽音。今君審於声,臣恐君之聾於官也。」文侯曰:「善,敬聞命。」
書き下し
魏文侯、田子方と飲酒して楽を称す。文侯曰わく、「鍾声比(ととの)わざるか、左高し。」田子方笑う。文侯曰わく、「奚ぞ笑う。」子方曰わく、「臣之を聞く、君明なれば則ち官を楽しみ、明ならざれば則ち音を楽しむと。今君声に審らかなり、臣君の官に聾(ろう)ならんことを恐る。」文侯曰わく、「善し、敬んで命を聞かん。」
現代語訳
魏の文侯は田子方と酒を酌み交わしながら音楽を楽しんでいた。文侯は言った。「鐘の音が調和していないな。左の音が高すぎる。」田子方はこれを聞いて笑った。文侯は言った。「なぜ笑うのか。」子方は言った。「私はこう聞いております。『君主が明察であれば人事(官)を楽しみ、明察でなければ音楽(音)を楽しむ』と。今、王は音の細部にまで通じておられますが、私は王が人事については聞き分ける耳をお持ちでないのではないかと心配しております。」文侯は言った。「もっともなことだ、謹んでその教えを承ろう。」
解説
この一篇は、魏の文侯が音楽の演奏における音程のわずかなずれを鋭く指摘したことを、賢者田子方が逆手に取って諫めた場面です。子方は「君主が本当に明察であるなら、関心を向けるべきは音楽の精度ではなく、人事や政治(官)の適否であるはずだ」と説き、音楽の細部にまで通じていることは、裏を返せば人事という本来もっと重要な領域への関心が薄いことの表れではないかと問いかけます。文侯は反論せず素直にこの指摘を受け入れました。ある分野への鋭敏さや几帳面さが、必ずしもリーダーとしての優先順位の正しさを意味しないという指摘は、現代の経営者にも刺さる警句です。細部への強いこだわりを持つ人ほど、それが本当に注力すべき優先課題からの逃避になっていないか、自問する価値があります。
この章句が説くこと
戦国策魏一魏文侯田子方優先順位
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