戦国策 / 秦攻魏取寧邑
秦攻魏,取寧邑,諸侯皆賀。趙王使往賀,三反不得通。趙王憂之,謂左右曰:「以秦之強,得寧邑,以制齊、趙。諸侯皆賀,吾往賀而獨不得通,此必加兵我,為之奈何?」左右曰:「使者三往不得通者,必所使者非其人也。曰諒毅者,辨士也,大王可試使之。」諒毅親受命而往。至秦,獻書秦王曰:「大王廣地寧邑,諸侯皆賀,敝邑寡君亦竊嘉之,不敢寧居,使下臣奉其幣物三至王廷,而使不得通。使若無罪,願大王無絕其歡;若使有罪,願得請之。」秦王使使者報曰:「吾所使趙國者,小大皆聽吾言,則受書幣。若不從吾言,則使者歸矣。」諒毅對曰:「下臣之來,固願承大國之意也,豈敢有難?大王若有以令之,請奉而西行之,無所敢疑。」於是秦王乃見使者,曰:「趙豹、平原君,數欺弄寡人。趙能殺此二人,則可。若不能殺,請今率諸侯受命邯鄲城下。」諒毅曰:「趙豹、平原君,親寡君之母弟也,猶大王之有葉陽、涇陽君也。大王以孝治聞於天下,衣服使之便於體,膳啗使之嗛於口,未嘗不分於葉陽、涇陽君。葉陽君、涇陽君之車馬衣服,無非大王之服御者。臣聞之:『有覆巢毀卵,而鳳皇不翔;刳胎焚夭,而騏驎不至。』今使臣受大王之令以還報,敝邑之君,畏懼不敢不行,無乃傷葉陽君、涇陽君之心乎?」秦王曰:「諾。勿使從政。」諒毅曰:「敝邑之君,有母弟不能教誨,以惡大國,請黜之,勿使與政事,以稱大國。」秦王乃喜,受其弊而厚遇之。
新字:秦攻魏,取寧邑,諸侯皆賀。趙王使往賀,三反不得通。趙王憂之,謂左右曰:「以秦之強,得寧邑,以制斉、趙。諸侯皆賀,吾往賀而独不得通,此必加兵我,為之奈何?」左右曰:「使者三往不得通者,必所使者非其人也。曰諒毅者,弁士也,大王可試使之。」諒毅親受命而往。至秦,献書秦王曰:「大王広地寧邑,諸侯皆賀,敝邑寡君亦竊嘉之,不敢寧居,使下臣奉其幣物三至王廷,而使不得通。使若無罪,願大王無絶其歓;若使有罪,願得請之。」秦王使使者報曰:「吾所使趙国者,小大皆聴吾言,則受書幣。若不従吾言,則使者帰矣。」諒毅対曰:「下臣之来,固願承大国之意也,豈敢有難?大王若有以令之,請奉而西行之,無所敢疑。」於是秦王乃見使者,曰:「趙豹、平原君,数欺弄寡人。趙能殺此二人,則可。若不能殺,請今率諸侯受命邯鄲城下。」諒毅曰:「趙豹、平原君,親寡君之母弟也,猶大王之有葉陽、涇陽君也。大王以孝治聞於天下,衣服使之便於体,膳啗使之嗛於口,未嘗不分於葉陽、涇陽君。葉陽君、涇陽君之車馬衣服,無非大王之服御者。臣聞之:『有覆巣毀卵,而鳳皇不翔;刳胎焚夭,而騏驎不至。』今使臣受大王之令以還報,敝邑之君,畏懼不敢不行,無乃傷葉陽君、涇陽君之心乎?」秦王曰:「諾。勿使従政。」諒毅曰:「敝邑之君,有母弟不能教誨,以悪大国,請黜之,勿使与政事,以称大国。」秦王乃喜,受其弊而厚遇之。
書き下し
秦、魏を攻めて寧邑を取り、諸侯皆賀す。趙王往きて賀せしむるも、三たび反りて通ずるを得ず。趙王之を憂い、左右に謂いて曰わく、「秦の強きを以て、寧邑を得て、以て斉・趙を制す。諸侯皆賀するに、吾往きて賀すれど独り通ずるを得ず、此れ必ず我に兵を加えん、之を為すこと奈何せん。」左右曰わく、「使者三たび往きて通ずるを得ざる者は、必ず使う所の者其の人に非ざればなり。諒毅なる者は、弁士なり、大王試みに之を使うべし。」諒毅親しく命を受けて往く。秦に至り、書を秦王に献じて曰わく、「大王地を寧邑に広げ、諸侯皆賀す、敝邑の寡君も亦竊かに之を嘉し、敢えて寧居せず、下臣をして其の幣物を奉じて三たび王廷に至らしむるも、使い通ずるを得ず。使いに若し罪無くば、願わくは大王其の歓を絶つこと無かれ。若し使いに罪有らば、願わくは之を請わん。」秦王使者をして報ぜしめて曰わく、「吾が趙国に使わす所の者、小大皆吾が言を聴かば、則ち書幣を受けん。若し吾が言に従わずんば、則ち使者帰らん。」諒毅対えて曰わく、「下臣の来たるは、固より大国の意を承けんことを願うなり、豈に敢えて難むこと有らんや。大王若し以て之に令する有らば、請う奉じて之を西行せん、敢えて疑う所無し。」是に於いて秦王乃ち使者に見えて曰わく、「趙豹・平原君、数(しばしば)寡人を欺弄す。趙能く此の二人を殺さば、則ち可なり。若し殺す能わずんば、請う今諸侯を率いて命を邯鄲城下に受けん。」諒毅曰わく、「趙豹・平原君は、親しく寡君の母弟なり、猶お大王の葉陽・涇陽君有るがごとし。大王孝を以て天下に治まると聞こゆ、衣服は之をして体に便ならしめ、膳啗は之をして口に嗛(あ)からしめ、未だ嘗て葉陽・涇陽君に分かたずんばあらず。葉陽君・涇陽君の車馬衣服は、大王の服御に非ざる無し。臣之を聞く、『巣を覆し卵を毀(こぼ)つ有れば、鳳皇翔(かけ)らず。胎を刳(えぐ)り夭を焚けば、騏驎至らず』と。今臣をして大王の令を受けて以て還り報ぜしめば、敝邑の君、畏懼して敢えて行わずんばあらず、乃ち葉陽君・涇陽君の心を傷つくること無からんや。」秦王曰わく、「諾。政に従わしむること勿からしめよ。」諒毅曰わく、「敝邑の君、母弟の教誨する能わざる有りて、以て大国を悪ましむ、請う之を黜(しりぞ)け、政事に与らしむること勿からしめ、以て大国に称(かな)わしめん。」秦王乃ち喜び、其の幣を受けて之を厚遇す。
現代語訳
秦が魏を攻めて寧邑の地を奪うと、諸侯はみな祝賀の使者を送った。趙王も祝賀の使者を送ったが、三度使者を送っても取り次いでもらえなかった。趙王はこれを憂え、側近にこう言った。「秦の強大さをもってすれば、寧邑を得て、これで斉・趙を制することもできよう。諸侯がみな祝賀しているのに、私が祝賀の使いを送っても私だけが取り次いでもらえない。これはきっと我が国に軍を差し向けようとしているに違いない。どうしたものか。」側近は言った。「使者を三度送っても取り次いでもらえないのは、遣わした人選が適任でなかったからに違いありません。諒毅という者は弁舌の士です。大王、試しに彼を遣わしてはいかがでしょう。」諒毅は自ら命を受けて出発した。秦に着くと、秦王に上申書を差し出してこう言った。「大王が寧邑を得て領土を広げられ、諸侯はみな祝賀いたしております。我が国の主君もひそかにこれを喜び、安穏としていられぬ思いで、私に贈り物を持たせて三度も王宮に参上させましたが、取り次いでいただけませんでした。もし使者に落ち度がなければ、どうか大王には両国の親交をお断ちにならないでいただきたく存じます。もし使者に落ち度があるのであれば、どうかそれをお尋ねいただきたいと存じます。」秦王は使者を通じてこう答えさせた。「私が趙国に望むことは、大小を問わずすべて私の言うことを聞くことだ。そうすれば書状と贈り物を受け取ろう。もし私の言うことに従わないのであれば、使者は帰ってもらう。」諒毅は答えて言った。「私がここに参りましたのは、もとより大国のご意向を承ろうと願ってのことです。どうして難色を示すことがございましょうか。大王がもし何かご命令になることがあれば、謹んでそれを承り西へ持ち帰りましょう。あえて疑うところはございません。」そこで秦王はついに使者に会って言った。「趙豹と平原君は、しばしば私を欺き弄んできた。趙がこの二人を殺すことができれば、それでよい。もし殺せないのであれば、今すぐ諸侯を率いて邯鄲の城下でその命を受けてもらおう。」諒毅は言った。「趙豹と平原君は、我が主君の実の弟でございます。ちょうど大王に葉陽君・涇陽君がおられるのと同じことでございます。大王は孝をもって天下を治めておられると評判で、衣服は彼らの体に合うように、食事は彼らの口に合うように整えられ、常に葉陽君・涇陽君にも分け与えておられます。葉陽君・涇陽君の車馬や衣服は、すべて大王がお使いになるものと同じ品でございます。私はこう聞いております。『巣を覆し卵を壊すようなことがあれば、鳳凰は舞い降りない。胎児をえぐり出し幼いものを焼くようなことがあれば、麒麟はやって来ない。』と。今もし私が大王のご命令を受けて帰り報告いたしましたら、我が国の主君は恐れて実行せざるをえなくなりましょう。それでは、葉陽君・涇陽君のお心を傷つけることにはなりませんでしょうか。」秦王は言った。「よろしい。二人を政治に関わらせないようにさせよ。」諒毅は言った。「我が国の主君には、実の弟をよく教え諭すことができず、大国のご不興を買うことになった不徳がございます。どうか二人を退け、政事に関わらせないようにし、大国のご意向に沿わせていただきます。」秦王はそこで喜び、贈り物を受け取り、諒毅を手厚くもてなした。
解説
この章句が説くこと
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史記 仲尼弟子列伝田常、斉に乱を作さんと欲するも、高・国・鮑・晏を憚り、故に其の兵を移して以て魯を伐たんと欲す。孔子之を聞き、門弟子に謂ひて曰く、「夫れ魯は墳墓の処る所、父母の国なり。国危きこと此くの如し、二三子何為れぞ出づる莫き」と。子貢行かんことを請ひ、孔子之を許す。遂に行きて斉に至り、田常に説きて曰く、「君の魯を伐つは過てり。夫れ魯は伐ち難き国なり、其の君は愚にして不仁、大臣は偽りて用無く、士民は甲兵の事を悪む、此れ与に戦ふ可からず。君は呉を伐つに如かず。呉は城高く地広く、甲堅く士選ばれ、此れ伐ち易きなり」と。田常忿然として色を作す。子貢曰く、「憂ひ内に在る者は彊きを攻め、憂ひ外に在る者は弱きを攻む。今君は憂ひ内に在り。魯を破りて以て斉を広め、戦ひ勝ちて以て主を驕らせ、国を破りて以て臣を尊くするも、君の功は与らざれば、則ち交々日に主に疏んぜられん。故に曰く呉を伐つに如かず、と。呉を伐ちて勝たずんば、民人外に死し、大臣内に空しく、孤主にして斉を制する者は唯君のみ」と。田常曰く、「善し。然り而れども吾が兵業已に魯に加はれり、去りて呉に之かば、大臣我を疑はん、奈何」と。子貢曰く、「君兵を按じて伐つ無かれ、臣請ふ往きて呉王に使ひし、之をして魯を救ひて斉を伐たしめ、君因りて兵を以て之を迎へよ」と。田常許す。
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戦国策・秦攻韓圍陘秦韓を攻め、陘を圍む。范睢秦昭王に謂ひて曰く、「人を攻むる者有り、地を攻むる者有り。穰侯十たび魏を攻めて傷つくるを得ざる者は、秦弱くして魏強きに非ざるなり、其の攻むる所の者、地なればなり。地なる者は、人主の甚だ愛する所なり。人主なる者は、人臣の樂しみて死する所なり。人主の愛する所を攻め、樂しみて死する者と鬥へば、故に十たび攻めて勝つ能はざるなり。今王將に韓を攻めて陘を圍まんとす、臣願はくは王の獨り其の地を攻めずして、其の人を攻めんことを。王韓を攻め陘を圍むに、張儀を以て言と爲せ。張儀の力多くんば、且つ地を削りて以て自ら王に贖ひ、幾んど地を割きて韓盡きざらん。張儀の力少なくんば、則ち王張儀を逐ひ、更に張儀に如かざる者と市せよ。則ち王の韓に求むる所の者、言ひて得可きなり。」
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