戦国策 / 三國攻秦趙攻中山
三國攻秦,趙攻中山,取扶柳,五年以擅呼沲。齊人戎郭、宋突謂仇郝曰:「不如盡歸中山之新埊。中山案此言於齊曰,四國將假道於衛,以過章子之路。齊聞此,必效鼓。」
新字:三国攻秦,趙攻中山,取扶柳,五年以擅呼沲。斉人戎郭、宋突謂仇郝曰:「不如尽帰中山之新埊。中山案此言於斉曰,四国将仮道於衛,以過章子之路。斉聞此,必効鼓。」
書き下し
三国秦を攻め、趙中山を攻めて、扶柳を取り、五年にして以て呼沱を擅(ほしいまま)にす。斉人戎郭・宋突、仇郝に謂いて曰わく、「尽く中山の新埊を帰すに如かず。中山此の言を斉に案ぜば、四国将に道を衛に仮りて、以て章子の路を過ぎんとす、と曰わん。斉此を聞かば、必ず鼓を効(いた)さん。」
現代語訳
三国(韓・魏・趙)が秦を攻め、その間に趙は中山を攻めて扶柳の地を奪い取り、五年にわたって呼沱水の流域を思いのままに支配した。斉の人である戎郭と宋突は仇郝にこう言った。「中山から奪った新しい領地をすべて中山に返すのがよいでしょう。中山がこの話を斉に伝えれば、『四国はまさに衛に道を借りて、章子の進路を通ろうとしている』と斉に言わせることができます。斉がこれを聞けば、必ず鼓の地を差し出してくるでしょう。」
解説
この一篇は簡潔な記事ながら、趙が中山を攻めて扶柳を奪い呼沱水流域を長く支配したという実績を背景に、斉の遊説家戎郭・宋突が仇郝に対し、奪った中山の新領土をあえて中山に返還するよう進言する場面を伝えます。表向きは譲歩に見える策ですが、その裏には、中山を通じて斉に「四国が衛から道を借りて章子の進路を確保しようとしている」という情報を流させ、警戒した斉に鼓の地を差し出させるという計算があったと読めます。目先の領土に固執せず、いったん手放すことで得られる情報操作や外交上の利益を狙う点に、戦国期の駆け引きの複雑さが表れています。現代の交渉でも、獲得した成果をあえて一部手放すことで、より大きな成果につなげる発想は参考になります。
この章句が説くこと
戦国策趙四中山情報戦譲歩の策
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