戦国策 / 秦敗魏於華走芒卯而圍大梁
秦敗魏於華,走芒卯而圍大梁。須賈爲魏謂穰侯曰:『臣聞魏氏大臣父兄皆謂魏王曰:「初時惠王伐趙,戰勝乎三梁,十萬之軍拔邯鄲,趙氏不割,而邯鄲復歸。齊人攻燕,殺子之,破故國,燕不割,而燕國復歸。燕、趙之所以國全兵勁,而地不并乎諸侯者,以其能忍難而重出地也。宋、中山數伐數割,而隨以亡。臣以爲燕、趙可法,而宋、中山可无爲也。夫秦貪戾之國而无親,蠶食魏,盡晉國,戰勝睾子,割八縣,地未畢入而兵復出矣。夫秦何厭之有哉!今又走芒卯,入北地,此非但攻梁也,且劫王以多割也,王必勿聽也。今王循楚、趙而講,楚、趙怒而與王爭事秦,秦必受之。秦挾楚、趙之兵以復攻,則國救亡不可得也已。願王之必无講也。王若欲講,必少割而有質;不然必欺。」是臣之所聞於魏也,願君之以是慮事也。『周書曰:「維命不于常。」此言幸之不可數也。夫戰勝睾子,而割八縣,此非兵力之精,非計之工也,天幸爲多矣。今又走芒卯,入北地,以攻大梁,是以天幸自爲常也。知者不然。『臣聞魏氏悉其百縣勝兵,以止戍大梁,臣以爲不下卅萬。以卅萬之眾,守十仞之城,臣以爲雖湯、武復生,弗易攻也。夫輕信楚、趙之兵,陵十仞之城,戴卅萬之眾,而志必舉之,臣以爲自天下之始分以至于今,未嘗有之也。攻而不能拔,秦兵必罷,陰必亡,則前功必棄矣。今魏方疑,可以少割收也。願之及楚、趙之兵未任於大梁也,亟以少割收。魏方疑,而得以少割爲和,必欲之,則君得所欲矣。楚、趙怒於魏之先己講也,必爭事秦。從是以散,而君後擇焉。且君之嘗割晉國取地也,何必以兵哉?夫兵不用,而魏效絳、安邑,又爲陰啟兩機,盡故宋,衛效尤憚。秦兵已令,而君制之,何求而不得?何爲而不成?臣願君之熟計而无行危也。』穰侯曰:『善。』乃罷梁圍。
新字:秦敗魏於華,走芒卯而囲大梁。須賈為魏謂穰侯曰:『臣聞魏氏大臣父兄皆謂魏王曰:「初時恵王伐趙,戦勝乎三梁,十万之軍抜邯鄲,趙氏不割,而邯鄲復帰。斉人攻燕,殺子之,破故国,燕不割,而燕国復帰。燕、趙之所以国全兵勁,而地不并乎諸侯者,以其能忍難而重出地也。宋、中山数伐数割,而随以亡。臣以為燕、趙可法,而宋、中山可无為也。夫秦貪戻之国而无親,蠶食魏,尽晉国,戦勝睾子,割八県,地未畢入而兵復出矣。夫秦何厭之有哉!今又走芒卯,入北地,此非但攻梁也,且劫王以多割也,王必勿聴也。今王循楚、趙而講,楚、趙怒而与王争事秦,秦必受之。秦挟楚、趙之兵以復攻,則国救亡不可得也已。願王之必无講也。王若欲講,必少割而有質;不然必欺。」是臣之所聞於魏也,願君之以是慮事也。『周書曰:「維命不于常。」此言幸之不可数也。夫戦勝睾子,而割八県,此非兵力之精,非計之工也,天幸為多矣。今又走芒卯,入北地,以攻大梁,是以天幸自為常也。知者不然。『臣聞魏氏悉其百県勝兵,以止戍大梁,臣以為不下卅万。以卅万之眾,守十仞之城,臣以為雖湯、武復生,弗易攻也。夫軽信楚、趙之兵,陵十仞之城,戴卅万之眾,而志必舉之,臣以為自天下之始分以至于今,未嘗有之也。攻而不能抜,秦兵必罷,陰必亡,則前功必棄矣。今魏方疑,可以少割収也。願之及楚、趙之兵未任於大梁也,亟以少割収。魏方疑,而得以少割為和,必欲之,則君得所欲矣。楚、趙怒於魏之先己講也,必争事秦。従是以散,而君後択焉。且君之嘗割晉国取地也,何必以兵哉?夫兵不用,而魏効絳、安邑,又為陰啟両機,尽故宋,衛効尤憚。秦兵已令,而君制之,何求而不得?何為而不成?臣願君之熟計而无行危也。』穰侯曰:『善。』乃罷梁囲。
書き下し
秦魏を華に敗り、芒卯を走らせて大梁を囲む。須賈魏の為に穰侯に謂いて曰く、「臣聞く、魏氏の大臣父兄皆魏王に謂いて曰く、『初め時に惠王趙を伐ち、三梁に戦い勝ち、十万の軍もて邯鄲を抜くも、趙氏割かず、而して邯鄲復た帰す。齊人燕を攻め、子之を殺し、故国を破るも、燕割かず、而して燕国復た帰す。燕・趙の国全く兵勁(つよ)くして、地の諸侯に并(あ)わされざる所以の者は、其の能く難を忍びて重ねて地を出だすを以てなり。宋・中山数々伐たれ数々割き、而して随いて以て亡ぶ。臣以為(おも)えらく燕・趙は法とす可く、宋・中山は為す無かる可し。夫れ秦は貪戾の国にして親無く、魏を蠶食(さんしょく)して、晉国を尽くさんとし、睪子(こうし)に戦い勝ち、八県を割くも、地未だ畢(ことごと)く入らずして兵復た出づ。夫れ秦何の厭(あ)くこと有らんや。今又芒卯を走らせ、北地に入る、此れ但(ただ)に梁を攻むるのみに非ず、且つ王を劫(おびやか)して以て多く割かしめんとするなり、王必ず聴く勿かれ。今王楚・趙に循(したが)いて講ぜば、楚・趙怒りて王と与に秦に事うるを争わば、秦必ず之を受けん。秦楚・趙の兵を挟みて以て復た攻めば、則ち国救亡す可からざるなり。願わくは王の必ず講ずる無からんことを。王若し講ぜんと欲せば、必ず少しく割きて質有らしめよ、然らずんば必ず欺かれん』と。是れ臣の魏に聞く所なり、願わくは君の是を以て事を慮らんことを。「周書に曰く、『命常に于(お)けらず』と。此れ幸(さいわ)いの数(しばしば)す可からざるを言うなり。夫れ睪子に戦い勝ちて、八県を割くは、此れ兵力の精なるに非ず、計の工(たく)みなるに非ず、天幸多しと為すなり。今又芒卯を走らせ、北地に入り、以て大梁を攻む、是れ天幸を以て自ら常と為すなり。知者は然らず。「臣聞く魏氏悉く其の百県の勝兵を以て、止まりて大梁を戍(まも)る、臣以為えらく卅万を下らず。卅万の衆を以て、十仞の城を守れば、臣以為えらく湯・武復び生ずと雖も、易く攻めざるなり。夫れ軽々しく楚・趙の兵を信じて、十仞の城を陵(しの)ぎ、卅万の衆を戴きて、志必ず之を挙げんとするは、臣以為えらく天下の始めて分かれてより以て今に至るまで、未だ嘗て之有らざるなり。攻めて拔く能わざれば、秦兵必ず罷れ、陰必ず亡びん、則ち前功必ず棄てられん。今魏方(まさ)に疑う、少しく割きて収む可し。願わくは楚・趙の兵未だ大梁に任ぜざるに及びて、亟(すみ)やかに少しく割きて収めよ。魏方に疑い、而して少しく割きて和と為すを得れば、必ず之を欲せば、則ち君欲する所を得ん。楚・趙魏の己に先んじて講ずるに怒り、必ず争いて秦に事えん。是れより以て散じ、而して君後に択ばん。且つ君の嘗て晉国を割きて地を取るや、何ぞ必ずしも兵を以てせんや。夫れ兵用いずして、魏絳・安邑を効し、又陰に両機を啓(ひら)き、故宋を尽くし、衛効すること尤も憚(はばか)る。秦兵已に令せられ、而して君之を制せば、何を求めて得ざらん、何を為して成らざらん。臣願わくは君の熟計して危きを行う無からんことを」と。穰侯曰く、「善し」と。乃ち梁の囲みを罷(や)む。
現代語訳
秦は魏を華で打ち破り、芒卯を敗走させて都の大梁を包囲した。須賈は魏のために穰侯にこう説いた。「私が聞くところでは、魏の大臣や重臣たちが皆、魏王にこう申し上げているそうです。『かつて恵王が趙を討ち、三梁で戦って勝ち、十万の軍をもって邯鄲を陥落させましたが、趙が土地を割かなくても、邯鄲はやがて趙に返還されました。斉の人々は燕を攻め、子之を殺し、その国を打ち破りましたが、燕が土地を割かなくても、燕国はやがて元に戻りました。燕と趙が国を保ち兵も強く、領土を諸侯に併合されずに済んだのは、困難を耐え忍び、決して安易に土地を差し出さなかったからです。一方、宋と中山は何度も討たれ何度も土地を割き、そのたびに衰え、ついに滅びました。私が思うに、燕・趙のやり方こそ手本とすべきであり、宋・中山のやり方は決して真似てはなりません。そもそも秦は貪欲で無情な国であり、魏を蚕食し、晋の旧領をすべて併呑しようとしています。睪子との戦いに勝って八つの県を割かせても、その土地がすべて渡り終わらないうちに、また兵を出してきます。秦にどうして満足するということがありましょうか。今また芒卯を敗走させ、北地に攻め入ってきていますが、これは単に大梁を攻めるだけでなく、王を脅してさらに多くの土地を割かせようとしているのです。王は決してこれに応じてはなりません。今、王が楚・趙に従って(秦と)講和すれば、楚・趙は怒って王と秦への服属を争うようになり、秦は必ずそれを受け入れるでしょう。秦が楚・趙の兵まで従えて再び攻めてくれば、国は救いようがなくなります。どうか王には、決して(単独で)講和なさらないでいただきたい。王がもし講和なさりたいのであれば、必ずわずかな土地を割くだけにとどめ、人質を取るようにしてください。そうしなければ必ず欺かれます。』これが私が魏で聞いたことです。どうかあなたにはこれをもとに事をお考えいただきたく存じます。周書にはこうあります。『天命は一定不変ではない』と。これは幸運が何度も続くとは限らないということを言っているのです。そもそも睪子との戦いに勝って八つの県を割かせたのは、兵力が精強だったからでも、計略が巧みだったからでもなく、天の幸運が大きかったにすぎません。今また芒卯を敗走させ、北地に攻め入り、大梁を攻めているのは、天の幸運を当然のことと思い込んでいるにすぎないのです。真に智恵ある者はそのようには考えません。私が聞くところでは、魏はその百を超える県のすぐれた兵をすべて集め、大梁にとどまって守っており、その数は三十万を下らないといいます。三十万の大軍で、十仞もの高さの城を守れば、たとえ湯王・武王が再びこの世に現れたとしても、容易に攻め落とすことはできないでしょう。楚・趙の援軍を軽々しく頼りにし、十仞の城に攻めかかり、三十万の大軍を敵に回してまで必ずこれを陥落させようとするのは、天下が初めて分かれてから今に至るまで、いまだかつてなかったことです。攻めても陥落させられなければ、秦の兵は必ず疲弊し、影に隠れた損失は必ず大きくなり、これまでの戦功もすべて無駄になってしまいます。今、魏はまさに疑心暗鬼になっている時ですから、わずかな土地を割かせて手を打つのがよいでしょう。どうか楚・趙の兵がまだ大梁に到着しないうちに、急いでわずかな土地で手を打ってください。魏が疑心暗鬼になっているうちに、わずかな割譲で和議を結べれば、魏が必ずそれを望むでしょうから、あなたの望みも叶います。楚・趙は魏が自分たちより先に講和したことに怒り、争って秦に仕えようとするでしょう。そうなれば楚・趙・魏の結束はここから崩れ、あなたは後で有利な選択ができます。そもそもあなたがかつて晋の旧領を割いて土地を得たのも、必ずしも武力によったわけではありませんでした。兵を用いずとも、魏は絳・安邑を差し出し、さらにひそかに二つの好機を開き、旧宋の地をすべて手に入れ、衛も服従することをこのうえなく恐れるようになりました。秦の兵はすでに動かせる状態にあり、それをあなたが制御できるなら、何を求めても得られないことがあり、何を為しても成らないことがありましょうか。どうかあなたには、よくよく考えて危険な道を選ばれぬようお願いいたします。」穰侯は「なるほど」と言い、そこで大梁の包囲を解いた。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・秦將伐魏秦将に魏を伐たんとす。魏王之を聞き、夜孟嘗君に見(まみ)え、之に告げて曰く、「秦且に魏を攻めんとす、子寡人の為に謀れ、奈何(いかん)せん」と。孟嘗君曰く、「諸侯の救い有らば、則ち国存す可し」と。王曰く、「寡人子の行かんことを願う」と。重ねて之が為に車百乗を約す。孟嘗君趙に之(ゆ)き、趙王に謂いて曰く、「文兵を借りて以て魏を救わんことを願う」と。趙王曰く、「寡人能わず」と。孟嘗君曰く、「夫れ敢えて兵を借るる者は、以て王に忠なればなり」と。王曰く、「聞くを得可きか」と。孟嘗君曰く、「夫れ趙の兵は、能く魏の兵より彊(つよ)きに非ず、魏の兵は、能く趙より弱きに非ず。然れども趙の地歳(とし)ごとに危うからずして、民歳ごとに死せず、而して魏の地歳ごとに危うくして、民歳ごとに死する者は、何ぞや。其の西のかた趙の蔽(へい)為ればなり。今趙魏を救わず、魏秦に歃盟(さつめい)せば、是れ趙強秦と界を為すなり、地も亦た且に歳ごとに危うからんとし、民も亦た且に歳ごとに死せんとす。此れ文の大王に忠なる所以なり」と。趙王許諾し、之が為に兵十万、車三百乗を起こす。又北のかた燕王に見えて曰く、「先日公子常に両王の交わりを約せり。今秦且に魏を攻めんとす、願わくは大王の之を救わんことを」と。燕王曰く、「吾歳熟せざること二年なり、今又数千里を行きて以て魏を助くれば、且つ奈何せん」と。田文曰く、「夫れ数千里を行きて人を救う者は、此れ国の利なり。今魏王国門を出でて軍を望見せば、数千里を行きて人を助けんと欲すと雖も、得可けんや」と。燕王尚お未だ許さず。田文曰く、「臣便計を王に効すも、王臣の忠計を用いずんば、文行かんことを請う。天下の将に大変有らんことを恐る」と。王曰く、「大変聞くを得可きか」と。曰く、「秦魏を攻めて未だ之に克つ能わざるなり、而して台已に燔(や)かれ、游已に奪わる。而して燕魏を救わずんば、魏王節を折りて地を割き、国の半ばを以て秦に与えん、秦必ず去らん。秦已に魏を去らば、魏王悉く韓・魏の兵をあげ、又西のかた秦兵を借り、趙の衆に因り、四国を以て燕を攻めば、王且に何をか利とせん。数千里を行きて人を助くるを利とせんか、燕の南門を出でて軍を望見するを利とせんか。則ち道里近くして輸(ゆ)も又易し、王何をか利とせん」と。燕王曰く、「子行け、寡人子に聴かん」と。乃ち之が為に兵八万、車二百乗を起こし、以て田文に従わしむ。魏王大いに説(よろこ)びて曰く、「君燕・趙の兵を得ること甚だ衆(おお)くして且つ亟(すみ)やかなり」と。秦王大いに恐れ、地を割きて魏に講ぜんことを請う。因りて燕・趙の兵を帰し、田文を封ず。
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戦国策・五國伐秦五国秦を伐ちて、功無くして還る。其の後、齊宋を伐たんと欲するも、秦之を禁ず。齊宋郭をして秦に之(ゆ)かしめ、合して以て宋を伐たんことを請わしむ。秦王之を許す。魏王齊・秦の合するを畏れ、秦に講ぜんと欲す。魏王に謂いて曰く、「秦王宋郭に謂いて曰く、『宋の城を分かち、宋の強きに服する者は、六国なり。宋の敝に乗じて、王と得るを争う者は、楚・魏なり。請う王の為に楚の魏を伐つを禁ずる無く、王独り宋を挙げよ。王の宋を伐つや、請う剛柔皆之を用いよ。宋の如き者は、之を欺きて逆と為さざる者にして、之を殺して讎(あだ)と為さざる者なり。王之と講じて以て埊(ち)を取る無く、既に已に埊を得ば、又力を以て之を攻め、宋を啗(くら)うに期するのみ』と。臣此の言を聞きて、竊(ひそ)かに王の為に悲しむ、秦必ず且に此を王に用いんとす。又必ず且に王を以て埊を求めしめ、既に已に埊を得ば、又且に力を以て王を攻めんとす。又必ず王に謂いて王をして齊を軽んぜしめ、齊・魏の交已に醜(あ)しく、又且に齊を収めて更に王に索(もと)めんとす。秦嘗て此を楚に用い、又嘗て此を韓に用いたり、願わくは王の之を深く計らんことを。秦の魏を善しとするは知る可からざるのみ。故に王の為に計るに、太上は秦を伐ち、其の次は秦を賓(しりぞ)け、其の次は約を堅くして詳らかに講じ、与国相離るる無かれ。秦・齊合すれば、国為す可からざるのみ。王其れ臣に聴かば、必ず与に講ずる無かれ。「秦の権魏に重ければ、魏再び明孰(めいじゅく)せんとするも、是の故に又足下の為に秦を傷る者、敢えて顕(あらわ)さざるなり。天下秦を伐たしむ可ければ、則ち陰かに勧めて敢えて図らず。天下の秦を傷るを見れば、則ち先ず与国を鬻(ひさ)ぎて以て自ら解く。天下秦を賓せしむ可ければ、則ち与国に劫(おびやか)されて已むを得ざる者と為る。天下不可なれば、則ち先ず去りて、秦を以て上交と為して以て自ら重んず。此くの如き人なる者は、王を鬻ぎて以て資と為す者なり、而して焉んぞ能く国を患いより免れしめんや。国を患いより免れしむる者は、必ず三節を窮め、其の上を行う。上不可なれば、則ち其の中を行う。中不可なれば、則ち其の下を行う。下不可なれば、則ち明らかに秦に与(くみ)せず。而して生きて以て秦を残(そこな)い、秦をして皆百怨百利無く、唯だ已(おのれ)の曾(すなわ)ち安からしめん。足下をして之を鬻ぎて以て秦に合せしめば、是れ国を患いより免れしむる者の計なり。臣何ぞ以て之に当たるに足らんや。然りと雖も、願わくは足下の臣が計を論ぜんことを。「燕は齊の讎国なり、秦は兄弟の交わりなり。讎国を合して婚姻を伐つは、臣之が為に苦しむ。黄帝涿鹿の野に戦いて、西戎の兵至らず、禹三苗を攻めて、東夷の民起たず。燕を以て秦を伐つは、黄帝の難んずる所なり、而して臣以て燕甲を致して齊兵を起こせり。「臣又偏(ひとえ)に三晋の吏に事(つか)え、奉陽君・孟嘗君・韓呡・周聚・周・韓餘徒従と為して之を下し、其の秦を伐つの疑いを恐る。又身自ら秦に醜(は)じ、之を扮(あつ)め天下の秦符を焚くを請う者は、臣なり。次いで焚符の約を伝うる者は、臣なり。五国をして秦関を閉じしめんと欲する者は、臣なり。奉陽君・韓餘既に和せり、蘇脩・朱嬰既に皆陰かに邯鄲に在り、臣又齊王に説きて往きて之を敗る。天下共に講じ、因りて蘇脩をして天下の語を游(と)かしめ、齊を以て上交と為し、兵宋を伐たんことを請うも、臣又之を争うに死を以てす。而して果たして西のかた蘇脩に因りて重報す。臣秦の勧めの重きを知らざるに非ざるなり、然れども之を為す所以の者は、足下の為なり」と。
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戦国策・魏將與秦攻韓魏将(まさ)に秦と与(とも)に韓を攻めんとす、朱己魏王に謂いて曰く、「秦は戎・翟と俗を同じくし、虎狼の心有り、貪戾(たんれい)にして利を好みて信無く、礼義徳行を識らず。苟(いやし)くも利有れば、親戚兄弟を顧みず、禽獣の若きのみ。此れ天下の同じく知る所なり、厚く徳を積むを施す所に非ざるなり。故に太后は母なり、而れども以て憂いて死す。穰侯は舅(きゅう)なり、功之より大なるは莫し、而れども竟(つい)に之を逐(お)う。両弟罪無し、而れども再び其の国を奪う。此れ其の親戚兄弟に於いて此くの若し、而るを又況んや仇讎(きゅうしゅう)の敵国に於いてをや。今大王秦と与に韓を伐ちて益々秦に近づけば、臣甚だ之を或(うたが)う、而れども王識らざれば、則ち明ならず。群臣之を知りて、之を以て諫むる莫ければ、則ち忠ならず。今夫れ韓氏一女子を以て一弱主を承(う)け、内に大乱有り、外安んぞ能く強秦・魏の兵を支えんや、王以て破れずと為すか。韓亡べば、秦尽く鄭地を有し、大梁と鄰(とな)らん、王以て安しと為すか。王故地を得んと欲して、今強秦の禍を負う、王以て利と為すか。秦は無事の国に非ざるなり、韓亡びし後、必ず且に事を便(たよ)りにせんとし、事を便りにせば、必ず易きと利とに就かん、易きと利とに就かば、必ず楚と趙とを伐たざらん。是れ何ぞや。夫れ山を越え河を踰(こ)え、韓の上党を絶ちて強趙を攻むるは、則ち是れ復た閼与(あつよ)の事なり、秦必ず為さざるなり。若し河内を道(みち)とし、鄴・朝謌に倍(そむ)き、漳・滏の水を絶ちて、以て趙兵と邯鄲の郊に決勝せば、是れ智伯の禍を受くるなり、秦又敢えてせず。楚を伐つに、涉を道とし谷行すること三十里にして、危隘の塞を攻めば、行く所の者甚だ遠くして、攻むる所の者甚だ難し、秦又為さざるなり。若し河外を道とし、大梁に背き、上蔡・召陵を右にして、以て楚兵と陳の郊に決せば、秦又敢えてせざるなり。故に曰く、秦必ず楚と趙とを伐たず、又衛と齊とを攻めず、と。且つ夫れ韓を憎みて安陵氏を受けざるは可なり、夫れ秦の南国を愛せざるを患えざるは非(ひ)なり。異日には、秦乃ち河西に在り、晋国の梁を去ること、千里有余にして、河山以て之を蘭(さえぎ)り、周・韓有りて之を間(へだ)つ。林軍より以て今に至るまで、秦十たび魏を攻め、五たび国中に入り、辺城尽く抜かる。文台墮(やぶ)れ、垂都焚(や)かれ、林木伐られ、麋鹿(びろく)尽き、而して国継ぐに囲みを以てす。又長駆して梁の北にいたり、東は陶・衛の郊に至り、北は闞(かん)に至り、秦に亡う所の者、山北・河外・河内、大県数百、名都数十なり。秦乃ち河西に在り、晋国の大梁を去ること尚お千里にして、禍此くの若し。又況んや秦をして韓無くして鄭地を有たしめ、河山以て之を蘭る無く、周・韓以て之を間つる無く、大梁を去ること百里なれば、禍必ず此に百せんをや。異日には、従(しょう)成らずして、楚・魏疑い、韓約するを得可からざりき。今韓兵を受くること三年なり、秦之を撓(みだ)すに講を以てす、韓亡ぶるを知りて、猶お聴かず、質を趙に投じ、天下の為に雁行頓刃(がんこうとんじん)せんことを請う。臣の観る所を以てすれば、則ち楚・趙必ず之に与(くみ)して攻めん。此れ何ぞや。則ち皆秦の窮まり無きを知ればなり、尽く天下の兵を亡ぼし、海内の民を臣とするに非ざれば、必ず休まざるなり。是の故に臣願わくは以て王に従事せん、王速やかに楚・趙の約を受け、韓・魏の質を挟みて、韓を存するを務めと為し、因りて故地を韓に求めば、韓必ず之を効(いた)さん。此くの如くば則ち士民労せずして故地を得、其の功秦と共に韓を伐つより多くして、然れども強秦と鄰(とな)るの禍無し。夫れ韓を存し魏を安んじて天下を利するは、此れ亦た王の大時なり。韓の上党を共・莫に通じ、道をして已に通ぜしめ、因りて之に関し、出入する者之に賦せば、是れ魏重ねて韓を其の上党を以て質とするなり。共に其の賦有らば、以て国を富ますに足り、韓必ず魏に徳とし、魏を愛し、魏を重んじ、魏を畏れ、韓必ず敢えて魏に反せず。韓は是れ魏の県なり。魏韓を得て以て県と為せば、則ち衛・大梁・河外必ず安からん。今韓を存せざれば、則ち二周必ず危うく、安陵必ず易(か)わらん。楚・趙楚大いに破れ、衛・齊甚だ畏れ、天下の西のかた秦に馳(は)せ、入朝して臣と為るの日久しからざらん。」
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戦国策・穰侯攻大梁穰侯大梁を攻め、北郢に乗じ、魏王且に従わんとす。穰侯に謂いて曰く、「君楚を攻めて宛・穰を得て以て陶を広め、斉を攻めて剛・博を得て以て陶を広め、許・鄢陵を得て以て陶を広むるに、秦王問わざるは何ぞや。大梁の未だ亡びざるを以てなり。今日大梁亡べば、許・鄢陵必ず議せん、議すれば則ち君必ず窮せん。君の為に計る者は、攻めざるを便とす。」