戦国策 / 趙王封孟嘗君以武城
趙王封孟嘗君以武城。孟嘗君擇舍人以為武城吏,而遣之曰:「鄙語豈不曰,借車者馳之,借衣者被之哉?」皆對曰:「有之。」孟嘗君曰:「文甚不取也。夫所借衣車者,非親友,則兄弟也。夫馳親友之車,被兄弟之衣,文以為不可。今趙王不知文不肖,而封之以武城,願大夫之往也,毋伐樹木,毋發屋室,訾然使趙王悟而知文也。謹使可全而歸之。」
新字:趙王封孟嘗君以武城。孟嘗君択舎人以為武城吏,而遣之曰:「鄙語豈不曰,借車者馳之,借衣者被之哉?」皆対曰:「有之。」孟嘗君曰:「文甚不取也。夫所借衣車者,非親友,則兄弟也。夫馳親友之車,被兄弟之衣,文以為不可。今趙王不知文不肖,而封之以武城,願大夫之往也,毋伐樹木,毋発屋室,訾然使趙王悟而知文也。謹使可全而帰之。」
書き下し
趙王孟嘗君を封ずるに武城を以てす。孟嘗君舍人を擇びて以て武城の吏と爲し、之を遣わして曰く、「鄙語豈に曰わずや、車を借る者は之を馳せ、衣を借る者は之を被うと。」皆對えて曰く、「之有り。」孟嘗君曰く、「文甚だ取らざるなり。夫れ衣車を借る所の者は、親友に非ずんば、則ち兄弟なり。夫れ親友の車を馳せ、兄弟の衣を被うは、文以て不可と爲す。今趙王文の不肖を知らずして、之を封ずるに武城を以てす、願わくは大夫の往くや、樹木を伐ること毋かれ、屋室を發くこと毋かれ、訾然として趙王をして悟りて文を知らしめよ。謹みて全うして之を歸さしめよ。」
現代語訳
趙王は孟嘗君に武城の地を封じ与えた。孟嘗君は家臣を選んで武城の役人として派遣する際、こう言い含めた。「世間のことわざにこう言うではないか、『車を借りた者はそれを乗り回し、衣を借りた者はそれを着てしまう』と。」皆は「その通りです」と答えた。孟嘗君は言った。「私はそのようなやり方を決して取らない。そもそも衣や車を借りる相手というのは、親友か、さもなければ兄弟だ。親友の車を乗り回し、兄弟の衣を着崩してしまうようなことを、私はいけないことだと思う。今、趙王は私が至らぬ者であることを知らずに、私に武城の地を封じてくださった。どうか君たち大夫は武城に赴いても、樹木を伐採してはならないし、家屋を壊してもいけない。慎み深くふるまい、趙王が目覚めて私という人間の本当の価値を知るようにさせてほしい。謹んでこの地を完全な形で保ち、いずれ王にお返しできるようにせよ。」
解説

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