戦国策 / 謂皮相國
謂皮相國曰:「以趙之弱而據之建信君,涉孟之讎然者何也?以從為有功也。齊不從,建信君知從之無功。建信者安能以無功惡秦哉?不能以無功惡秦,則且出兵助秦攻魏,以楚、趙分齊,則是強畢矣。建信、春申從,則無功而惡秦。秦分齊,齊亡魏,則有功而善秦。故兩君者,擇有功之無功為知哉?」
新字:謂皮相国曰:「以趙之弱而拠之建信君,渉孟之讎然者何也?以従為有功也。斉不従,建信君知従之無功。建信者安能以無功悪秦哉?不能以無功悪秦,則且出兵助秦攻魏,以楚、趙分斉,則是強畢矣。建信、春申従,則無功而悪秦。秦分斉,斉亡魏,則有功而善秦。故両君者,択有功之無功為知哉?」
書き下し
皮相國に謂いて曰く、「趙の弱きを以て之を建信君に據らしむるは、涉孟の讎然たる者は何ぞや。從を以て功有りと爲せばなり。齊從わずんば、建信君從の功無きを知らん。建信なる者安くんぞ能く功無くして秦を惡まんや。功無くして秦を惡む能わずんば、則ち且に兵を出だして秦を助けて魏を攻め、楚・趙を以て齊を分かたんとす、則ち是れ彊畢れり。建信・春申從わば、則ち功無くして秦を惡む。秦齊を分かち、齊魏を亡ぼさば、則ち功有りて秦を善しとす。故に兩君なる者、有功の無功を擇びて知と爲すか。」
現代語訳
ある者が皮相国に言った。「趙が弱いままなのに、その舵取りを建信君に任せているのは、まるで渉孟のような怨みを買う関係になっているのはなぜでしょうか。それは合従によって功績があるとみなしているからです。しかし斉が合従に従わなければ、建信君は合従に功績がないことを思い知るでしょう。建信君は、功績もないのにどうして秦を憎み続けることができましょうか。功績なしに秦を憎み続けられないならば、いずれ兵を出して秦を助け魏を攻め、楚・趙で斉を分割しようとするでしょう。そうなれば強国秦の思惑通りになってしまいます。建信君と春申君が合従に加われば、功績もないままに秦を憎むことになります。逆に秦が斉を分割し、斉が魏を滅ぼすようなことになれば、功績があって秦と好誼を結ぶことになります。それゆえ、このお二方は、功績のある道と功績のない道のどちらを選ぶことが賢明だとお考えなのでしょうか。」
解説

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