墨子 / 耕柱
有反子墨子而反者,「我豈有罪哉?吾反後。」子墨子曰:「是猶三軍北,失後之人求賞也。」
書き下し
子墨子に反して反る者有り、「我れ豈に罪有らんや。吾れは後れて反る」と。子墨子曰く、「是れ猶お三軍北げて、後れたる人の賞を求むるがごときなり」と。
現代語訳
墨子に背いて離れていった者がいて、こう言った。「私に罪がありましょうか。私は最後に離れたのです」。墨子が言った。「それは全軍が敗走したときに、しんがりだった者が賞を求めるようなものだ」。
解説
最後まで残った、という言い分を一行で切ります。全体が崩れたときに、自分は他より遅かったと主張しても、崩れたこと自体は変わらない。相対的な順序を功績に読み替える言い分は、いまの組織でもよく聞かれます。たとえの選び方が的確です。何番目に離れたかではなく、離れたかどうかが問われている場面だ、ということになります。
この章句が説くこと
言い訳相対功績順序離反
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論語・憲問篇子路曰く、「桓公、公子糾を殺す。召忽之に死し、管仲は死せず。」曰く、「未だ仁ならざるか。」子曰く、「桓公、諸侯を九合し、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや。」
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牧民忠告・事長是非毀誉(きよ)は、古(いにしえ)より政を為すに無き能わざる所なり。是(ぜ)は則ち人に帰し、非は則ち己に帰す。誉を聞けば則ち人に帰し、毀(そし)りを聞けば則ち己に帰す。長と無く弐と無く、之に処するは皆当に是くの如くなるべし。前輩雲えること有り、「恩は己より出でんことを欲すれば、怨みは将に誰にか帰せんとする」と。嗚呼、此れ真に博大なる君子の言なり。
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戦国策・謂皮相國皮相國に謂いて曰く、「趙の弱きを以て之を建信君に據らしむるは、涉孟の讎然たる者は何ぞや。從を以て功有りと爲せばなり。齊從わずんば、建信君從の功無きを知らん。建信なる者安くんぞ能く功無くして秦を惡まんや。功無くして秦を惡む能わずんば、則ち且に兵を出だして秦を助けて魏を攻め、楚・趙を以て齊を分かたんとす、則ち是れ彊畢れり。建信・春申從わば、則ち功無くして秦を惡む。秦齊を分かち、齊魏を亡ぼさば、則ち功有りて秦を善しとす。故に兩君なる者、有功の無功を擇びて知と爲すか。」
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『韓非子』用人第二十七此の如くなれば、則ち白黑分かる。國を治むるの臣は、功を國に效して以て位を履み、能を官に見はして以て職を受け、力を權衡に盡くして以て事に任ず。
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孔子家語・六本孔子、斉の景公に見ゆ。公悦びて、廩丘の邑を置きて以て養と為さんことを請う。孔子辞して受けず。入りて弟子に謂いて曰わく、「吾聞く、君子は功を賞せられて賞を受くと。今吾斉君に言うも、君未だ之れを行うこと有らず、而して吾に邑を賜う。其れ丘を知らざること亦た甚だし。」是に於いて遂に行る。
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論語・憲問篇子貢曰く、「管仲は仁者に非ざるか。桓公、公子糾を殺すに、死する能わず、又之を相く。」子曰く、「管仲、桓公を相けて、諸侯に霸たり、天下を一匡す。民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ髪を被り衽を左にせん。豈に匹夫匹婦の諒を為すが若く、自ら溝瀆に経れて、之を知らるること莫からんや。」