戦国策 / 長沙之難
長沙之難,楚太子橫為質於齊。楚王死,薛公歸太子橫,因與韓、魏之兵,隨而攻東國。太子懼。昭蓋曰:「不若令屈署以新東國為和於齊以動秦。秦恐齊之敗東國,而令行於天下也,必將救我。」太子曰:「善。」遽令屈署以東國為和於齊。秦王聞之懼,令辛戎告楚曰:「毋與齊東國,吾與子出兵矣。」
新字:長沙之難,楚太子横為質於斉。楚王死,薛公帰太子横,因与韓、魏之兵,随而攻東国。太子懼。昭蓋曰:「不若令屈署以新東国為和於斉以動秦。秦恐斉之敗東国,而令行於天下也,必将救我。」太子曰:「善。」遽令屈署以東国為和於斉。秦王聞之懼,令辛戎告楚曰:「毋与斉東国,吾与子出兵矣。」
書き下し
長沙の難、楚の太子横、質と為りて斉に在り。楚王死し、薛公太子横を帰し、因りて韓・魏の兵と与に、随いて東国を攻む。太子懼る。昭蓋曰く、「屈署をして新たに東国を以て斉に和を為さしめ、以て秦を動かすに若かず。秦、斉の東国を敗りて、令の天下に行わるるを恐れ、必ず将に我を救わんとせん。」太子曰く、「善し。」遽かに屈署をして東国を以て斉に和を為さしむ。秦王之を聞きて懼れ、辛戎をして楚に告げしめて曰く、「東国を斉に与うる毋かれ、吾子と兵を出さん。」
現代語訳
長沙をめぐる戦乱の際、楚の太子横は人質として斉にいた。楚王が亡くなると、斉の薛公(孟嘗君)は太子横を(楚へ)帰国させ、そのついでに韓・魏の軍を率いて楚の東国を攻めた。太子は恐れた。昭蓋が言った。「屈署に命じて、新たに東国の地を差し出して斉と和睦させ、それによって秦を動かすのが一番です。秦は、斉が東国を攻略して、その命令が天下に行き渡るようになることを恐れ、必ず我々を救援するでしょう。」太子は「よい考えだ」と言った。そこで急いで屈署に命じて、東国を差し出して斉と和睦させた。秦王はこれを聞いて恐れ、辛戎に命じて楚に告げさせた。「東国を斉に与えてはならない、私はあなたと共に軍を出しましょう。」
解説
斉に人質として送られていた楚の太子横が帰国する際、斉軍が韓・魏を伴って楚の東国を攻めてきた危機に対し、昭蓋が逆転の策を授けた話です。あえて東国を差し出して斉と和睦するという一見譲歩に見える動きを見せることで、東国が斉の手に落ちて天下に斉の号令が広く及ぶことを恐れる秦を刺激し、結果的に秦の軍事支援を引き出すことに成功しました。弱い立場にある者が、強者同士の対抗関係(ここでは斉と秦の勢力争い)をうまく利用し、一方への譲歩をちらつかせることでもう一方の介入を誘う、典型的な発想です。当事者だけで解決しようとせず、周辺の利害関係者の思惑を読んで動かすという交渉の視野の広さが、現代の外交・ビジネス交渉においても示唆的です。
この章句が説くこと
楚太子横薛公昭蓋秦外交戦略
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