戦国策 / 秦取楚漢中
秦取楚漢中,再戰於藍田,大敗楚軍。韓、魏聞楚之困,乃南襲至鄧,楚王引歸。後三國謀攻楚,恐秦之救也,或說薛公:「可發使告楚曰:『今三國之兵且去楚,楚能應而共攻秦,雖藍田豈難得哉!況於楚之故地?』楚疑於秦之未必救己也,而今三國之辭去,則楚之應之也必勸,是楚與三國謀出秦兵矣。秦為知之,必不救也。三國疾攻楚,楚必走秦以急;秦愈不敢出,則是我離秦而攻楚也,兵必有功。」薛公曰:「善。」遂發重使之楚,楚之應之果勸。於是三國并力攻楚,楚果告急於秦,秦遂不敢出兵。大臣有功。
新字:秦取楚漢中,再戦於藍田,大敗楚軍。韓、魏聞楚之困,乃南襲至鄧,楚王引帰。後三国謀攻楚,恐秦之救也,或説薛公:「可発使告楚曰:『今三国之兵且去楚,楚能応而共攻秦,雖藍田豈難得哉!況於楚之故地?』楚疑於秦之未必救己也,而今三国之辞去,則楚之応之也必勧,是楚与三国謀出秦兵矣。秦為知之,必不救也。三国疾攻楚,楚必走秦以急;秦愈不敢出,則是我離秦而攻楚也,兵必有功。」薛公曰:「善。」遂発重使之楚,楚之応之果勧。於是三国并力攻楚,楚果告急於秦,秦遂不敢出兵。大臣有功。
書き下し
秦楚の漢中を取り、再び藍田に戰ひて、大いに楚軍を敗る。韓・魏楚の困しむを聞き、乃ち南のかた鄧に襲ひ至り、楚王引きて歸る。後三國楚を攻めんと謀るも、秦の救ふを恐るるなり。或ひと薛公に說きて曰く、「使を發して楚に告げしむ可し。曰く、『今三國の兵且に楚を去らんとす。楚能く應じて共に秦を攻めば、藍田すら豈に得難からんや、況んや楚の故地に於てをや。』と。楚秦の未だ必ずしも己を救はざるを疑ふも、今三國の辭去するに、則ち楚の之に應ずるや必ず勸めん。是れ楚三國と謀りて秦の兵を出でしむるなり。秦知るを爲さば、必ず救はざらん。三國疾く楚を攻めば、楚必ず秦に走りて以て急なり。秦愈々敢へて出でずんば、則ち是れ我秦を離して楚を攻むるなり、兵必ず功有らん。」薛公曰く、「善し。」遂に重使を發して楚に之かしむ、楚の之に應ずるや果して勸む。是に於て三國力を并せて楚を攻め、楚果して秦に急を告ぐるも、秦遂に敢へて兵を出ださず。大臣功有り。
現代語訳
秦は楚から漢中の地を奪い、さらに藍田で再戦して楚軍を大敗させた。韓・魏はこの楚の困窮を聞き、南方の鄧の地まで攻め込んだので、楚王は軍を引いて帰った。その後、三国(斉・韓・魏)が楚を攻めようと謀ったが、秦がこれを救援するのではないかと恐れていた。ある人が薛公に説いて言った。「使者を出して楚にこう告げさせるのがよいでしょう。『今、三国の軍はまもなく楚から兵を引くつもりです。楚がこれに応じて秦と共同で秦(の周辺)を攻めるという姿勢を示せば、藍田の地さえ取り返すのが難しいはずがありましょうか、まして楚の旧領はなおさらです。』楚は秦が必ずしも自分を救ってくれるとは限らないと疑っていますが、今、三国が兵を引くと聞けば、楚がこの話に応じる気持ちは必ず高まるでしょう。これはつまり、楚が三国と謀りながら実は秦の兵を誘い出そうとしている、と秦に思わせることになります。秦がこれを知れば、必ず楚を救援しないでしょう。三国が急いで楚を攻めれば、楚は必ず秦に泣きついて急を告げるでしょう。秦がますます出兵しようとしなければ、これはつまり私たちが秦を楚から引き離した上で楚を攻めることになり、この作戦は必ず功を奏するでしょう。」薛公は「よろしい」と言った。そこで重要な使者を派遣して楚に行かせると、楚の反応は案の定、その気になった。そこで三国は力を合わせて楚を攻め、楚は案の定、秦に急を告げたが、秦はついにあえて出兵しなかった。この計略を立てた大臣には功績があった。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
戦国策・薛公以齊為韓魏攻楚薛公齊を以て韓、魏の為に楚を攻め、又韓、魏と与に秦を攻め、兵を藉り食を乞ふを西周にす。韓慶西周の為に薛公に謂ひて曰く、「君齊を以て韓、魏の為に楚を攻め、九年にして宛、葉以北を取りて以て韓、魏を強くし、今又秦を攻めて以てこれを益す。韓、魏南に楚の憂ひ無く、西に秦の患ひ無ければ、則ち地広くして益重んぜられ、齊必ず軽んぜられん。夫れ本末更々盛んに、虛実時有り、竊かに君の為にこれを危ぶむ。君弊邑をして陰かに秦に合せしめて君攻むる無く、又兵を藉り食を乞ふ無きに如かず。君函谷に臨みて攻むる無く、弊邑をして君の情を以て秦王に謂はしめて曰かしめよ、『薛公必ず秦を破りて以て韓、魏を張らんとす、兵を進むる所以は、王をして楚をして東国を割きて以て齊に与へしめんと欲すればなり』と。秦王楚王を出だして以て和と為し、君弊邑をしてこの忠を以て秦にせしめば、秦破るる無きを得て、楚の東国を以て自ら免れん、必ずこれを欲せん。楚王出づれば、必ず齊に徳とせん、齊東国を得て益々強く、而して薛世々患ひ無からん。秦大いに弱まらずして、これを三晉の西に処けば、三晉必ず齊を重んぜん」と。薛公曰く、「善し」と。因りて韓慶をして秦に入らしめ、三国をして秦を攻むる無からしめ、兵を藉り食を乞ふを西周にせしめず。
-
戦国策・秦敗楚漢中秦楚を漢中に敗る。楚王秦に入り、秦王之を留む。游騰、楚の為に秦王に謂いて曰わく、「王楚王を挟みて、天下と与に楚を攻めば、則ち行いを傷つけん。天下と共に之を攻めずんば、則ち利を失わん。王は之と盟いて之を帰すに如かず。楚王畏れて、必ず敢えて盟いに倍かじ。王因りて三国と与に之を攻めば、義なり。」
-
戦国策・楚圍雍氏韓令冷向借救於秦楚、雍氏を圍む。韓、冷向をして秦に救を借らしめ、秦公孫昧を發使して韓に入らしむ。公仲曰く、「子秦を以て將に韓を救わんとすと為すか、其れ不らんか。」對えて曰く、「秦王の言に曰く、『請う南鄭・藍田に道りて以て楚を入攻し、兵を三川に出だして以て公を待たん』と。殆ど合わず、南鄭に軍せん。」公仲曰く、「柰何せん。」對えて曰く、「秦王必ず張儀の故謀を祖とせん。楚の威王梁を攻むるや、張儀秦王に謂いて曰く、『楚と與に梁を攻めば、魏折れて楚に入らん。韓固より其の與國なり、是れ秦孤なり。故に兵を出だして以て魏を勁くするに如かず』と。是に於て皮氏を攻む。魏氏勁くなり、威王怒り、楚魏と大いに戰い、秦西河の外を取りて以て歸る。今や其れ將に韓を救うと揚言して、陰かに楚に善くせんとす。公秦を恃みて勁くば、必ず輕々しく楚と戰わん。楚陰かに秦の用いられざるを得れば、必ず公と相支うるに易からん。公戰いて楚に勝たば、逐うて公と楚を乘り、三川を易えて歸らん。公戰いて楚に勝たずば、三川を塞ぎて之を守り、公救う能わず。臣甚だ其の事を惡む。司馬康三たび郢に反り、甘茂昭獻と境に遇い、其の言に璽を收むと曰うも、其の實猶約有るなり。」公仲恐れて曰く、「然らば則ち柰何せん。」對えて曰く、「公必ず韓を先にして秦を後にし、身を先にして張儀を後にせよ。公を以てするに亟かに國を以て齊・楚に合するに如かず。秦必ず國を公に委ねて以て伐つを解かん。是れ公の外にする所以の者は儀のみ。其の實猶秦を失わざるなり。」
-
戦国策・秦楚攻魏圍皮氏秦・楚魏を攻め、皮氏を囲む。魏の為に楚王に謂いて曰く、「秦・楚魏に勝てば、魏王の恐るるや亡を見んとす、必ず秦に舎(やど)らん。王何ぞ秦に倍(そむ)きて魏王に与(くみ)せざる。魏王喜ばば、必ず太子を内(い)れん。秦楚を失うを恐れ、必ず城埊(じょうち)を王に効(いた)さん、王復た之と魏を攻むと雖も可なり」と。楚王曰く、「善し」と。乃ち秦に倍きて魏に与す。魏太子を楚に内る。秦恐れ、楚に城埊を許し、之を興して復た魏を攻めしめんと欲す。樗里疾怒り、魏と与に楚を攻めんと欲するも、魏の太子楚に在るを以て肯(うべな)わざらんことを恐る。疾の為に楚王に謂いて曰く、「外臣疾臣をして之に謁せしめて曰わく、『敝邑の王城埊を効さんと欲するも、魏の太子の尚お楚に在るを以て、是を以て未だ敢えてせず。王魏質を出だせば、臣請う之を効さん、而して復た秦・楚の交わりを固くして、以て疾魏を攻めん』と」と。楚王曰く、「諾」と。乃ち魏の太子を出だす。秦因りて魏に合して以て楚を攻む。
-
史記 楚世家因りて之に一名都を賂ひ、之と斉を伐つに如かず。是れ我秦に亡ひて、償ひを斉に取るなり。吾が国尚ほ全うすべし。今王已に斉に絶ちて欺きを秦に責む。是れ吾秦・斉の交はりを合はせて天下の兵を来たすなり。国必ず大いに傷つかん」と。楚王聴かず、遂に和を秦に絶ち、兵を発して西のかた秦を攻む。秦も亦た兵を発して之を撃つ。十七年春、秦と丹陽に戦ふ。秦大いに我が軍を敗り、甲士八万を斬り、我が大将軍屈匄・裨将軍逢侯丑等七十余人を虜にし、遂に漢中の郡を取る。楚の懐王大いに怒り、乃ち悉く国の兵もて復た秦を襲ひ、藍田に戦ふ。大いに楚の軍を敗る。韓・魏楚の困しむを聞き、乃ち南のかた楚を襲ひ、鄧に至る。楚聞きて、乃ち兵を引きて帰る。十八年、秦使ひをして約して復た楚と親しみ、漢中の半ばを分かちて以て楚に和せんとす。楚王曰く、「願はくは張儀を得ん。地を得んことを願はず」と。張儀之を聞き、楚に之かんことを請ふ。秦王曰く、「楚且に子に甘心せんとす。奈何」と。張儀曰く、「臣其の左右靳尚に善し。靳尚又能く楚王の幸姫鄭袖に事ふるを得たり。袖の言ふ所従はざる者無し。且つ儀前に使ひして楚に負くに商於の約を以てす。今秦・楚大いに戦ひ、悪有り。臣面自ら楚に謝するに非ずんば解けず。且つ大王在り。楚宜しく敢て儀を取らざるべし。誠に儀を殺して以て国に便ならば、臣の願ひなり」と。儀遂に楚に使ひす。至る。懐王見えず。因りて張儀を囚へ、之を殺さんと欲す。儀靳尚に私す。靳尚為に懐王に請ひて曰く、「張儀を拘へば、秦王必ず怒らん。天下楚の秦無きを見て、必ず王を軽んぜん」と。又夫人鄭袖に謂ひて曰く、「秦王甚だ張儀を愛す。而して王之を殺さんと欲す。今将に上庸の地六県を以て楚に賂ひ、美人を以て楚王に聘し、宮中の善く歌ふ者を以て之が媵と為さんとす。楚王地を重んじ、秦の女必ず貴ばれん。而して夫人必ず斥けられん。夫人言ひて之を出だすに若かず」と。
-
戦国策・長沙之難長沙の難、楚の太子横、質と為りて斉に在り。楚王死し、薛公太子横を帰し、因りて韓・魏の兵と与に、随いて東国を攻む。太子懼る。昭蓋曰く、「屈署をして新たに東国を以て斉に和を為さしめ、以て秦を動かすに若かず。秦、斉の東国を敗りて、令の天下に行わるるを恐れ、必ず将に我を救わんとせん。」太子曰く、「善し。」遽かに屈署をして東国を以て斉に和を為さしむ。秦王之を聞きて懼れ、辛戎をして楚に告げしめて曰く、「東国を斉に与うる毋かれ、吾子と兵を出さん。」