戦国策 / 楚王令昭雎之秦重張儀
楚王令昭雎之秦重張儀。未至,惠王死。武王逐張儀。楚王因收昭雎以取齊。桓臧為雎謂楚王曰:「橫親之不合也,儀貴惠王而善雎也。今惠王死,武王立,儀走,公孫郝、甘茂貴。甘茂善魏,公孫郝善韓。二人固不善雎也,必以秦合韓、魏。韓、魏之重儀,儀有秦而雎以楚重之。今儀困秦而雎收楚,韓、魏欲得秦,必善二人者。將收韓、魏輕儀而伐楚,方城必危。王不如復雎,而重儀於韓、魏。儀據楚勢,挾魏重,以與秦爭。魏不合秦,韓亦不從,則方城無患。」
新字:楚王令昭雎之秦重張儀。未至,恵王死。武王逐張儀。楚王因収昭雎以取斉。桓臧為雎謂楚王曰:「横親之不合也,儀貴恵王而善雎也。今恵王死,武王立,儀走,公孫郝、甘茂貴。甘茂善魏,公孫郝善韓。二人固不善雎也,必以秦合韓、魏。韓、魏之重儀,儀有秦而雎以楚重之。今儀困秦而雎収楚,韓、魏欲得秦,必善二人者。将収韓、魏軽儀而伐楚,方城必危。王不如復雎,而重儀於韓、魏。儀拠楚勢,挟魏重,以与秦争。魏不合秦,韓亦不従,則方城無患。」
書き下し
楚王、昭雎をして秦に之きて張儀を重んぜしむ。未だ至らざるに、恵王死す。武王、張儀を逐う。楚王因りて昭雎を収めて以て斉を取らんとす。桓臧、雎の為に楚王に謂いて曰く、「横親の合わざるは、儀、恵王を貴びて雎を善みすればなり。今、恵王死し武王立ちて、儀走り、公孫郝・甘茂貴し。甘茂は魏を善みし、公孫郝は韓を善みす。二人固より雎を善みせず、必ず秦を以て韓・魏に合せん。韓・魏の儀を重んずるは、儀秦を有して雎楚を以てこれを重んずればなり。今、儀秦に困しみて雎楚を収む、韓・魏秦を得んと欲せば、必ず二人の者を善みせん。将に韓・魏を収めて儀を軽んじ楚を伐たんとし、方城必ず危うからん。王は雎を復すに如かず、而して儀を韓・魏に重んぜしめよ。儀、楚の勢に拠り、魏の重きを挟みて、以て秦と争わば、魏秦に合せず、韓も亦従わず、則ち方城患い無からん。」
現代語訳
楚王は昭雎を秦に遣わし、張儀を厚遇させようとした。ところが昭雎が秦に着かないうちに、秦の恵王が亡くなった。新たに立った武王は張儀を追放した。楚王はそこで昭雎の任を解き、代わりに斉との結びつきを求めようとした。桓臧が昭雎のために楚王に説いた。「合従連衡がうまく成り立たなかったのは、張儀が恵王に重んじられ、昭雎とも親しかったからです。今、恵王が亡くなり武王が即位して張儀は逃げ、代わって公孫郝と甘茂が重んじられています。甘茂は魏と親しく、公孫郝は韓と親しい。この二人はもともと昭雎とは親しくなく、きっと秦を韓・魏と結びつけるでしょう。韓・魏が張儀を重んじたのは、張儀が秦での地位を持ち、昭雎が楚の力でそれを重んじていたからです。今、張儀が秦で苦境にあるからといって昭雎の任を解いてしまえば、韓・魏が秦との結びつきを求める際には、必ずこの二人(公孫郝・甘茂)と親しくするようになるでしょう。そうなれば韓・魏をまとめて張儀を軽んじ、楚を攻めることになり、方城の地は必ず危うくなります。王は昭雎の任を復すのが一番です。そして張儀を韓・魏においても重んじさせるのです。張儀が楚の勢力に拠り、魏の重みも合わせ持って秦と渡り合えば、魏は秦と結ばず、韓もそれに従わないでしょう。そうすれば方城には憂いがなくなります。」
解説

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