戦国策 / 蘇秦之楚三日
蘇秦之楚,三日乃得見乎王。談卒,辭而行。楚王曰:「寡人聞先生,若聞古人。今先生乃不遠千里而臨寡人,曾不肯留,願聞其說。」對曰:「楚國之食貴於玉,薪貴於桂,謁者難得見如鬼,王難得見如天帝。今令臣食玉炊桂,因鬼見帝。」王曰:「先生就舍,寡人聞命矣。」
新字:蘇秦之楚,三日乃得見乎王。談卒,辞而行。楚王曰:「寡人聞先生,若聞古人。今先生乃不遠千里而臨寡人,曽不肯留,願聞其説。」対曰:「楚国之食貴於玉,薪貴於桂,謁者難得見如鬼,王難得見如天帝。今令臣食玉炊桂,因鬼見帝。」王曰:「先生就舎,寡人聞命矣。」
書き下し
蘇秦、楚に之き、三日にして乃ち王に見ゆるを得たり。談じ卒わりて、辞して行かんとす。楚王曰く、「寡人、先生を聞くこと、古人を聞くが若し。今、先生乃ち千里を遠しとせずして寡人に臨めるに、曽ち留まるを肯んぜず。願わくはその説を聞かん。」対えて曰く、「楚国の食は玉より貴く、薪は桂より貴く、謁者は見ゆるを得難きこと鬼の如く、王は見ゆるを得難きこと天帝の如し。今、臣をして玉を食い桂を炊かしめ、鬼に因りて帝に見えしむ。」王曰く、「先生舎に就け、寡人命を聞けり。」
現代語訳
蘇秦が楚に行き、三日かかってようやく王に謁見できた。話し終えると、暇を告げて立ち去ろうとした。楚王が言った。「私は先生の噂を、まるで昔の賢人のことのように聞いていました。今、先生は千里の道も遠しとせずに私のもとへ来てくださったのに、少しも留まろうとなさらない。その理由をお聞かせ願いたい。」蘇秦は答えた。「楚国では食糧は玉よりも高価で、薪は桂の木よりも高価です。取次役に会うのは幽鬼に会うほど難しく、王にお目にかかるのは天帝に会うほど難しいのです。それなのに今、私に玉を食べさせ桂を薪にして炊かせ、幽鬼を頼って天帝に見えよとおっしゃるようなものです。」王は言った。「先生、宿舎にお入りください。私はあなたのお考えを承りました。」
解説
弁士・蘇秦が楚に赴いた際、謁見までに三日を要し、面会後すぐに立ち去ろうとした場面です。楚王が引き止めると、蘇秦は「食は玉より高く薪は桂より高い、しかも取次役にも王にも会うことすら困難だ」という痛烈な比喩で、楚の宮廷の閉鎖性と滞在の負担の大きさを訴えました。誇張を交えたレトリックですが、遊説家が各国を渡り歩くうえで、面会の難しさそのものが国の開放性や人材への姿勢を映す指標になっていたことがうかがえます。現代の組織でも、優れた人材や外部の知恵にどれだけ早く、率直にアクセスできるかは、組織の風通しの良さを測る一つの目安になります。門戸の狭さは、有為の人材を遠ざける結果を招きかねません。
この章句が説くこと
蘇秦楚王遊説面会比喩
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