戦国策 / 江乙惡昭奚恤
江乙惡昭奚恤,謂楚王曰:「人有以其狗為有執而愛之。其狗嘗溺井。其鄰人見狗之溺井也,欲入言之。狗惡之,當門而噬之。鄰人憚之,遂不得入言。邯鄲之難,楚進兵大梁,取矣。昭奚恤取魏之寶器,以居魏知之,故昭奚恤常惡臣之見王。」
新字:江乙悪昭奚恤,謂楚王曰:「人有以其狗為有執而愛之。其狗嘗溺井。其鄰人見狗之溺井也,欲入言之。狗悪之,当門而噬之。鄰人憚之,遂不得入言。邯鄲之難,楚進兵大梁,取矣。昭奚恤取魏之宝器,以居魏知之,故昭奚恤常悪臣之見王。」
書き下し
江乙、昭奚恤を悪しざまに言い、楚王に謂いて曰わく、「人に其の狗を以て執有りとして之を愛する者あり。其の狗嘗て井に溺る。其の隣人狗の井に溺るるを見て、入りて之を言わんと欲す。狗之を悪みて、門に当たりて之を噬む。隣人之を憚りて、遂に入りて言うを得ず。邯鄲の難に、楚兵を大梁に進め、取れり。昭奚恤魏の宝器を取りて、以て魏に居らば知らるるを以て、故に昭奚恤常に臣の王に見ゆるを悪む。」
現代語訳
江乙は昭奚恤を讒言し、楚王にこう言った。「ある人が自分の飼い犬を頼りになるとして可愛がっていました。その犬はあるとき井戸に落ちました。隣人がそれを見て、飼い主に知らせようと家に入ろうとしましたが、犬はそれを嫌って、門のところで隣人に噛みつきました。隣人はそれを恐れて、とうとう中に入って知らせることができませんでした。邯鄲の危機のとき、楚は兵を大梁(魏の都)に進めて、そこの財物を手に入れました。その際、昭奚恤は魏の宝器を横領し、それが魏に知られることを恐れています。それゆえ昭奚恤はいつも、私が王にお目にかかることを嫌がるのです。」
解説
江乙が「番犬に噛みつかれて言えなかった隣人」の寓話を用い、昭奚恤が魏から得た財物の不正発覚を恐れて自分を遠ざけていると讒言した話です。真偽の検証が難しい寓話仕立ての讒言は、聞き手の想像力に訴えて疑念を植え付ける手法として効果的に働きます。実際にこの話に確たる証拠は示されておらず、あくまで江乙側の一方的な主張である点に注意が必要です。もっともらしい比喩や物語が、事実の裏付けなしに人の評判を左右してしまう危うさは、現代のうわさ話やSNSでの中傷にも通じる普遍的な教訓と言えるでしょう。
この章句が説くこと
江乙昭奚恤讒言寓話楚
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