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戦国策 / 齊王建入朝於秦

齊王建入朝於秦,雍門司馬前曰:「所為立王者,為社稷耶?為王立王耶?」王曰:「為社稷。」司馬曰:「為社稷主王,王何以去社稷而入秦?」齊王還車而反。即墨大夫與雍門司馬諫而聽之,則以為可可為謀,即入見齊王曰:「齊地方數千里,帶甲數百萬。夫三晉大夫,皆不便秦,而在阿、鄄之間者百數,王收而與之百萬之眾,使收三晉之故地,即臨晉之關可以入矣;鄢、郢大夫,不欲為秦,而在城南下者百數,王收而與之百萬之師,使收楚故地,即武關可以入矣。如此,則齊威可立,秦國可亡。夫舍南面之稱制,乃西面而事秦,為大王不取也。」齊王不聽。秦使陳馳誘齊王內之,約與五百里之地。齊王不聽即墨大夫而聽陳馳,遂入秦。處之共松柏之間,餓而死。先是齊為之歌曰:「松邪!柏邪!住建共者,客耶!」

新字:斉王建入朝於秦,雍門司馬前曰:「所為立王者,為社稷耶?為王立王耶?」王曰:「為社稷。」司馬曰:「為社稷主王,王何以去社稷而入秦?」斉王還車而反。即墨大夫与雍門司馬諫而聴之,則以為可可為謀,即入見斉王曰:「斉地方数千里,帯甲数百万。夫三晉大夫,皆不便秦,而在阿、鄄之間者百数,王収而与之百万之眾,使収三晉之故地,即臨晉之関可以入矣;鄢、郢大夫,不欲為秦,而在城南下者百数,王収而与之百万之師,使収楚故地,即武関可以入矣。如此,則斉威可立,秦国可亡。夫舎南面之称制,乃西面而事秦,為大王不取也。」斉王不聴。秦使陳馳誘斉王內之,約与五百里之地。斉王不聴即墨大夫而聴陳馳,遂入秦。処之共松柏之間,餓而死。先是斉為之歌曰:「松邪!柏邪!住建共者,客耶!」

書き下し

齊王建秦に入朝するに、雍門司馬前みて曰く、「王を立つる所以の者は、社稷の為なりや、王の為に王を立つるや」と。王曰く、「社稷の為なり」と。司馬曰く、「社稷の為に王を主とす、王何を以て社稷を去りて秦に入るか」と。齊王車を還して反る。即墨の大夫と雍門司馬と諫めて之を聴かしめんとし、則ち以て可と為して謀を為すべしとし、即ち入りて齊王に見えて曰く、「齊地方数千里、帯甲数百万。夫れ三晋の大夫は、皆秦を便とせず、而して阿・鄄の間に在る者百数、王収めて之に百万の衆を与え、三晋の故地を収めしめば、即ち臨晋の関入るべし。鄢・郢の大夫は、秦の為にせんと欲せず、而して城南下に在る者百数、王収めて之に百万の師を与え、楚の故地を収めしめば、即ち武関入るべし。此くの如くんば、則ち齊の威立つべく、秦国亡ぼすべし。夫れ南面の称制を舎てて、乃ち西面して秦に事うるは、大王の取らざる所と為すなり」と。齊王聴かず。秦陳馳をして齊王を誘いて之を内れしめ、約するに五百里の地を以てす。齊王即墨の大夫を聴かずして陳馳を聴き、遂に秦に入る。之を共の松柏の間に処き、餓えて死す。是より先、齊之が為に歌いて曰く、「松か、柏か、建を共に住まらしむる者は、客か」と。

現代語訳

齊王建が秦に入朝しようとしたとき、雍門司馬が進み出て言った。「王をお立てするのは、そもそも社稷(国家)のためなのでしょうか、それとも王御自身のために王をお立てしたのでしょうか」。王は「社稷のためである」と答えた。司馬は言った。「社稷のために王を主として立てているのに、王はどうして社稷を捨てて秦に入られるのですか」。齊王はそれを聞いて車の向きを変え、引き返した。即墨の大夫と雍門司馬は、王を諫めてその言葉を聞き入れさせようとし、これはよい機会だと考えて謀を練り、齊王のもとへ参上してこう述べた。「齊の領土は数千里四方に及び、甲冑を身につけた兵は数百万にのぼります。三晋(韓・魏・趙)の大夫たちは、みな秦の支配を望まず、阿・鄄のあたりに逃れてきている者が百人にものぼります。王がこれらを召し抱え百万の兵をお与えになれば、三晋の旧領を取り戻すことができ、そのまま臨晋の関から秦へ攻め入ることも可能です。また、鄢・郢の大夫たちも秦に従うことを望まず、城南のあたりに身を寄せている者が百人にものぼります。王がこれらを召し抱え百万の軍をお与えになれば、楚の旧領を取り戻し、武関から秦へ攻め入ることもできましょう。このようにすれば、齊の威光を打ち立てることができ、秦国を滅ぼすことすら可能です。南面して独立の君主として振る舞うことを捨て、西を向いて秦に仕えるようなことは、大王のなさるべきことではありません」。しかし齊王はこの進言を聞き入れなかった。秦は陳馳を遣わして齊王を誘い、秦に入朝させようとし、五百里の領地を与えると約束した。齊王は即墨の大夫の言葉を聞かず、陳馳の言葉を聞き入れて、ついに秦へ入った。そして共の地の松や柏の間に置き去りにされ、飢えて死んだ。これより先、齊の人々は王のためにこう歌っていた。「松であろうか、柏であろうか。建をともに住まわせているのは、客なのだろうか」。

解説

戦国最後の齊王建が、秦の甘言に乗せられて自ら秦に入朝し、幽閉されて餓死するという齊滅亡の結末を描く章です。雍門司馬の「王は社稷のために立てられたのか、それとも王自身のために社稷があるのか」という一喝で王は一度は引き返しますが、即墨の大夫らの現実的な抗戦策(諸国から逃れてきた反秦勢力を糾合し武関・函谷関へ攻め入る策)を退け、秦の使者陳馳が示した五百里の領地という空約束を信じてしまいます。史実として、齊は秦の対六国戦略の中で最後まで軍事的に秦と衝突せず、外交的な懐柔によって無抵抗のまま滅ぼされた国として知られており、この章はその末路を象徴的に伝えています。目先の平穏や甘い条件に流されて根本的な国家の存立を見失うことの危うさ、そして正しい進言よりも都合の良い言葉を選んでしまう指導者の弱さを、後世への戒めとして示す逸話です。

この章句が説くこと

斉王建雍門司馬即墨大夫陳馳斉の滅亡

この一句を、あなたの毎日に。

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