戦国策 / 為齊獻書趙王
為齊獻書趙王,使臣與復丑曰:「臣一見,而能令王坐而天下致名寶。而臣竊怪王之不試見臣,而窮臣也。群臣必多以臣為不能者,故王重見臣也。以臣為不能者非他,欲用王之兵,成其私者也。非然,則交有所偏者也;非然,則知不足者也;非然,則欲以天下之重恐王,而取行於王者也。臣以齊循事王,王能亡燕,能亡韓、魏,能攻秦,能孤秦。臣以為齊致尊名於王,天下孰敢不致尊名於王?臣以齊致地於王,天下孰敢不致地於王?臣以齊為王求名於燕及韓、魏,孰敢辭之?臣之能也,其前可見已。齊先重王,故天下盡重王;無齊,天下必盡輕王也。秦之彊,以無齊之故重王,燕、魏自以無齊故重王。今王無齊獨安得無重天下?故勸王無齊者,非知不足也,則不忠者也。非然,則欲用王之兵成其私者也;非然,則欲輕王以天下之重,取行於王者也;非然,則位尊而能卑者也。願王之熟慮無齊之利害也。」
新字:為斉献書趙王,使臣与復丑曰:「臣一見,而能令王坐而天下致名宝。而臣竊怪王之不試見臣,而窮臣也。群臣必多以臣為不能者,故王重見臣也。以臣為不能者非他,欲用王之兵,成其私者也。非然,則交有所偏者也;非然,則知不足者也;非然,則欲以天下之重恐王,而取行於王者也。臣以斉循事王,王能亡燕,能亡韓、魏,能攻秦,能孤秦。臣以為斉致尊名於王,天下孰敢不致尊名於王?臣以斉致地於王,天下孰敢不致地於王?臣以斉為王求名於燕及韓、魏,孰敢辞之?臣之能也,其前可見已。斉先重王,故天下尽重王;無斉,天下必尽軽王也。秦之彊,以無斉之故重王,燕、魏自以無斉故重王。今王無斉独安得無重天下?故勧王無斉者,非知不足也,則不忠者也。非然,則欲用王之兵成其私者也;非然,則欲軽王以天下之重,取行於王者也;非然,則位尊而能卑者也。願王之熟慮無斉之利害也。」
書き下し
斉の為に書を趙王に献ず。臣をして復丑と与に曰わしむ、「臣一たび見えて、能く王をして坐しながら天下をして名宝を致さしむ。而るに臣竊かに王の試みに臣を見えずして、臣を窮せしむるを怪しむ。群臣必ず多く臣を以て能わずと為す、故に王重ねて臣に見えず。臣を以て能わずと為す者は他に非ず、王の兵を用いて其の私を成さんと欲する者なり。然らずんば、則ち交わり偏する所有る者なり。然らずんば、則ち知足らざる者なり。然らずんば、則ち天下の重きを以て王を恐れしめて、王に行を取らんと欲する者なり。臣は斉を以て王に循事すれば、王は能く燕を亡ぼし、能く韓・魏を亡ぼし、能く秦を攻め、能く秦を孤にせしむ。臣以為えらく、斉、尊名を王に致さば、天下孰か敢えて尊名を王に致さざらんや。臣、斉を以て地を王に致さば、天下孰か敢えて地を王に致さざらんや。臣、斉の為に王の名を燕及び韓・魏に求めば、孰か敢えて之を辞せんや。臣の能や、其の前すでに見るべし。斉先ず王を重んず、故に天下尽く王を重んず。斉無くば、天下必ず尽く王を軽んぜん。秦の彊きも、斉無きの故を以て王を重んじ、燕・魏も自ら斉無きを以ての故に王を重んず。今王斉無くんば、独り安んぞ天下に重んぜられざるを得んや。故に王に斉無からしめんと勧むる者は、知足らざるに非ざれば、則ち不忠なる者なり。然らずんば、則ち王の兵を用いて其の私を成さんと欲する者なり。然らずんば、則ち天下の重きを以て王を軽んじ、王に行を取らんと欲する者なり。然らずんば、則ち位尊くして能く卑しき者なり。願わくは王の斉無きの利害を熟慮せんことを。」
現代語訳
斉のために趙王に書を献上した。使者は復丑とともに次のように言った。「私は一度お目にかかるだけで、王がじっと座っておられるだけで天下が名宝を差し出すようにしてご覧に入れましょう。それなのに、王が私に一度もお会いくださらず、私を冷遇しておられるのを私はひそかに不思議に思っております。群臣の多くはきっと私を無能だと思っているので、王は私となかなかお会いにならないのでしょう。私を無能だと言う者たちの本心は別にあります。王の軍を利用して自分の私利を図ろうとする者か、外交で特定の国に肩入れしている者か、単に見識が足りない者か、あるいは天下の重みを笠に着て王を脅し、王を意のままに動かそうとする者か、そのいずれかです。私が斉を頼りに王にお仕えすれば、王は燕を滅ぼすこともでき、韓・魏を滅ぼすこともでき、秦を攻めることも、秦を孤立させることもできます。私が斉を通じて王に尊い名声をもたらせば、天下のだれが王に敬意を払わずにいられましょうか。私が斉を通じて王に領地をもたらせば、天下のだれが王に領地を差し出さずにいられましょうか。私が斉のために燕・韓・魏から王への名声を求めれば、だれがそれを拒めましょうか。私にその力があることは、これまでの実績からすでに明らかです。斉がまず王を重んじたからこそ、天下はこぞって王を重んじたのです。斉がなければ、天下は必ずこぞって王を軽んじるでしょう。強大な秦でさえ、斉が控えているからこそ王を重んじ、燕・魏も斉があるからこそ自ら王を重んじているのです。今、王に斉がなくなれば、どうして天下から重んじられずにいられましょうか。ですから、王に『斉を切り捨てよ』と勧める者は、見識不足でなければ不忠の者です。そうでなければ、王の軍を利用して私利を図ろうとする者であり、そうでなければ天下の重みを笠に着て王を軽んじ、王を意のままに動かそうとする者であり、そうでなければ地位は高くとも人格の卑しい者です。どうか王には、斉を失うことの利害をよくよくお考えいただきたく存じます。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・趙收天下且以伐齊趙天下を收め、且に以て齊を伐たんとす。蘇秦齊の爲に書を上りて趙王に說きて曰く、「臣聞く、古の賢君は、德行海內に施すに非ざるなり、教順慈愛、萬民に布くに非ざるなり、祭祀時享、鬼神に當たるに非ざるなり。甘露降り、風雨時に至り、農夫登り、年穀豐盈すれば、眾人之を喜べども、賢主は之を惡む。今足下の功力、數ば秦國に痛く加うるに非ずして、怨毒惡を積むこと、曾て韓を深く凌ぐに非ざるなり。臣竊かに外に大臣及び下吏の議を聞くに、皆言う、主前に專ら據りて、秦を以て趙を愛して韓を憎むと爲すと。臣竊かに事を以て之を觀るに、秦豈に趙を愛して韓を憎むを得んや。韓を亡ぼして兩周の地を吞まんと欲す、故に韓を以て餌と爲し、先ず聲を天下に出だし、鄰國の聞きて之を觀んことを欲するなり。其の事の成らざるを恐る、故に兵を出だして以て趙・魏に佯示す。天下の驚覺せんことを恐る、故に韓を微にして以て之を貳にす。天下の己を疑わんことを恐る、故に質を出だして以て信と爲す。德を與國に聲し、而して實は空しき韓を伐つ。臣竊かに其の之を圖るを觀るに、秦を議して謀計を以てせば、必ず是に出でん。「且つ夫れ說士の計、皆曰わく、韓三川を亡い、魏晉國を滅ぼす、韓を恃みて未だ窮せざるに、禍趙に及ぶと。且つ物固より勢異にして患同じき者有り、又勢同じくして患異なる者有り。昔者、楚人久しく伐ちて中山亡べり。今燕韓の河南を盡くし、沙丘に距り、鉅鹿の界に至ること三百里、扞關に距り、榆中に至ること千五百里。秦韓・魏の上黨を盡くさば、則ち地の國都邦屬と壤挈する者七百里。秦三軍强弩を以て羊唐の上に坐せば、即ち地邯鄲を去ること二十里。且つ秦三軍を以て王の上黨を攻めて其の北を危うくせば、則ち句注の西、王の有に非ず。今魯句注常山を禁して守り、三百里燕の唐・曲吾に通ず、此れ代馬胡駒東せず、崑山の玉出でざるなり。此の三寶なる者、又王の有に非ず。今彊秦國の齊を伐つに從わば、臣恐らくは其の禍是に出でん。昔者、五國の王、嘗て合橫して趙を伐たんことを謀り、趙國の壤地を參分して、之を盤盂に著し、之を讎柞に屬す。五國の兵日有り、韓乃ち西師して以て秦國を禁じ、秦をして令を發し素服して聽かしめ、溫・枳・高平を魏に反し、三公・什清を趙に反す、王の明知を以てなり。夫れ韓の趙に事うる宜しく正に上交と爲すべし、今乃ち罪に抵れて伐たるるを取る、臣恐らくは其の後王に事うる者の敢えて自ら必とせざらんことを。今王天下を收むれば、必ず王を以て得たりと爲す。韓社稷を危うくして以て王に事うれば、天下必ず王を重んず。然らば則ち韓王を義として天下を以て之に就き、下は韓の王を慕いて天下を以て之を收むるに至る、是れ一世の命、王に制せらるるのみ。臣願わくは大王深く左右群臣と卒計して重謀し、事に先んじて慮を成して熟ら之を圖らんことを。」
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戦国策・蘇秦自齊獻書於燕王蘇秦、斉自り書を燕王に献じて曰く、「臣の行くや、固より将に口事有らんとするを知る、故に御書を献じて行けり、曰く、『臣斉に貴くば、燕の大夫将に臣を信ぜざらんとす。臣賤しくば、将に臣を軽んぜんとす。臣用いられば、将に多く臣に望まんとす。斉不善有らば、将に罪を臣に帰せんとす。天下斉を攻めずんば、将に善く斉の為に謀ると曰わんとす。天下斉を攻めば、将に斉と兼ねて臣を鄮せんとす。臣の重んずる所は重卯に処る』と。王臣に謂いて曰く、『吾必ず衆口と讒言とを聴かず、吾女を信ずること、猶お𠛄を剗るがごとし。上は以て斉に用いらるるを得べく、次は以て下に信ぜらるるを得べし、苟くも死無くんば、女為さざる無かれ、女を以て自ら信とすべし』と。之と言いて曰く、『燕を去りて斉に之くは可なり、事を成すに期するのみ』と。臣令を受けて以て斉に任ぜられ、五年に及べり。斉数々兵を出だすも、未だ嘗て燕を謀らず。斉・趙の交わり、一たびは合し一たびは離る。燕王斉と与に趙を謀らずんば、則ち趙と与に斉を謀る。斉の燕を信ずるや、北地を虚しくして其の兵を行るに至れり。今王田伐と参・去疾との言を信じ、且に斉を攻めんとし、斉をして犬馬𩤊がしめて燕を言わざらしむ。今王又慶をして臣に令せしめて曰く、『吾善しとする所を用いんと欲す』と。王苟くも之を用いんと欲せば、則ち臣請う王が為に之に事えん。王臣を醳きて剸ら善しとする所に任ぜんと欲せば、則ち臣請う事を帰し醳かん。臣苟くも見ゆるを得ば、則ち願いに盈てり」と。
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戦国策・張儀為秦連橫齊王張儀秦の爲に齊王に連橫して曰く、「天下の強國齊に過ぐる無く、大臣父兄の殷眾富樂も、齊に過ぐる無し。然れども大王の爲に計る者、皆な一時の說を爲して萬世の利を顧みず。從人大王に說く者は、必ず齊西に強趙有り、南に韓・魏有り、海を負ふの國なり、地廣く人眾く、兵強く士勇なれば、百秦有りと雖も、將に我を奈何ともする無からんと謂ふ。大王其の說を覽て、其の至實を察せず。「夫れ從人朋黨比周し、從を以て可と爲さざる莫し。臣之を聞く、齊魯と三たび戰ひて魯三たび勝つも、國以て危ふく、亡其の後に隨ふ。勝の名有りと雖も亡の實有り、是れ何の故ぞや。齊大にして魯小なればなり。今趙の秦に於けるや、猶ほ齊の魯に於けるがごときなり。秦・趙河漳の上に戰ひて、再び戰ひて再び秦に勝つ。番吾の下に戰ひて、再び戰ひて再び秦に勝つ。四戰の後、趙亡卒數十萬、邯鄲僅かに存す。秦に勝つの名有りと雖も、國破れたり。是れ何の故ぞや。秦強くして趙弱ければなり。今秦・楚子を嫁し婦を取り、昆弟の國と爲る。韓宜陽を獻じ、魏河外を效し、趙黽池に入朝し、河間を割きて以て秦に事ふ。大王秦に事へずんば、秦韓・魏を驅りて齊の南地を攻め、趙を悉くして河關を涉り、摶關を指し、臨淄・即墨王の有に非ざらん。國一日攻めらるれば、秦に事へんと欲すと雖も、得べからず。是の故に願はくは大王の熟計せんことを。」齊王曰く、「齊僻陋にして東海の上に隱居し、未だ嘗て社稷の長利を聞かず。今大客幸ひに之を教ふ、請ふ社稷を奉じて以て秦に事へん。」魚鹽の地三百を秦に獻ずるなり。
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戦国策・蘇秦為奉陽君說燕於趙以伐齊蘇秦、奉陽君の為に燕を趙に説きて以て斉を伐たしめんとするも、奉陽君聴かず。乃ち斉に入りて趙を悪しざまに言い、斉をして趙に絶たしむ。斉已に趙に絶つや、之に因りて燕に之き、昭王に謂いて曰く、「韓珉臣に謂いて曰く、『人奉陽君に告げて曰く、「斉をして趙を信ぜざらしむる者は蘇子なり。今斉王蜀子をして宋を伐たしめざらしむるは蘇子なり。斉王と道を謀りて秦を取り以て趙を謀る者は蘇子なり。斉をして趙の質子を守らしむるに甲を以てするは、又蘇子なり」と。請う子に告げて以て斉に請わしめん。果して趙の質子を守るに甲を以てせば、吾必ず子を守るに甲を以てせん』と。其の言悪しきなり。然りと雖も、王患うる勿かれ。臣故より斉に入るに趙の累有るを知れり。出でて之を為すは以て欲する所を成さんとすればなり。臣死して斉大いに趙を悪まば、臣猶お生けるがごとし。斉・趙をして絶たしめば大いに紛らすべきのみ。臣を持するは張孟談に非ざるも、臣をして張孟談の如くならしめば、斉・趙必ず智伯たる者有らん。 「奉陽君朱讙と趙足とに告げて曰く、『斉王公王曰をして説を命ぜしめて曰く、必ず韓珉を反さず、今之を召せり。必ず蘇子に事を任ぜず、今封じて之を相とせり。燕に合せしめず、今燕を以て上交と為す。吾が恃む所の者は順なり、今其の言変ずること其の父より甚だし。順始め蘇子と讎を為せしに、之を見て厲無きを知れり。今之を賢として両にせり。已んぬるかな、吾に斉無し』と。 「奉陽君の怒り甚だし。斉王の趙を信ぜざるが如く、而して奉陽君を小人とするは、是に因りて之に倍く。今の時を以て大いに之を紛らさずんば、解けて復た合すれば、則ち後如何ともすべからざるなり。故に斉・趙の合、苟くも循るべくんば、死すとも以て臣の患と為すに足らず。逃ぐとも以て臣の恥と為すに足らず。諸侯と為るも、以て臣の栄と為すに足らず。髪を被り自ら漆して厲と為すも、以て臣の辱と為すに足らず。然れども臣に患有り。臣死して斉・趙循らずんば、交の臣に分かるるを悪みて、而して後相い効わん、是れ臣の患なり。若し臣死して必ず相攻めば、臣必ず之を勉めて死を求めん。堯・舜の賢も死し、禹・湯の知も死し、孟賁の勇も死し、烏獲の力も死す、生の物固より死せざる者有らんや。必然の物に在りて以て欲する所を成さば、王何ぞ疑わんや。 「臣以為えらく逃れて之を去るに如かず、と。臣韓・魏を以て斉に循い、之が為に秦を取り、深く趙に結びて以て之を勁くせん。是の如くんば則ち相攻むるに近し。臣之が為に燕を累わすと雖も、奉陽君朱讙に告げて曰く、『蘇子燕王の吾が故を以てせずして、予うるに相を以てせず、又予うるに卿を以てせざるを怒り、殆ど燕無からん』と。其の疑此に至る、故に臣之が為に燕を累わさずと雖も、又王を欲せず。伊尹再び湯を逃れて桀に之き、再び桀を逃れて湯に之き、果して鳴条の戦いに与りて、湯を以て天子と為せり。伍子胥楚を逃れて呉に之き、果して伯挙の戦いに与りて、其の父の讎に報いたり。今臣逃れて斉・趙を紛らさば、始めて春秋に著すべし。且つ大事を挙ぐる者、孰か逃れざらんや。桓公の難、管仲魯に逃れ、陽虎の難、孔子衛に逃れ、張儀楚に逃れ、白珪秦に逃れ、望諸中山の相たるや趙をして使いせしめしに、趙之を劫かして地を求め、望諸関を攻めて逃れ出で、外孫の難、薛公戴を釈きて関より逃れ出で、三晋称して以て士と為せり。故に大事を挙ぐるに、逃るるも以て辱と為すに足らざるなり」と。 卒に斉を趙に絶たしめ、趙燕に合して以て斉を攻め、之を敗る。
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戦国策・蘇秦從燕之趙始合從蘇秦燕從り趙に之き、始めて合從す、趙王に說きて曰く、「天下の卿相人臣、乃ち布衣の士に至るまで、大王の行義を高賢とせざる莫く、皆教を奉じて忠を前に陳ぜんことを願うの日久し。然りと雖も、奉陽君妒み、大王事を任ずるを得ず、是を以て外の賓客遊談の士、敢えて忠を前に盡くす者無し。今奉陽君館舍を捐て、大王乃ち今然る後士民と相親しむを得たり、臣故に敢えて其の愚を獻じ、愚忠を效さん。大王の爲に計るに、民を安んじて事無きに若くは莫し、請う爲す有るを庸うる無かれ。民を安んずるの本は、交わりを擇ぶに在り。交わりを擇びて得れば則ち民安く、交わりを擇びて得ざれば則ち民終身安んずるを得ず。請う外患を言わん、齊・秦兩敵と爲れば、而ち民安んずるを得ず。秦に倚りて齊を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。齊に倚りて秦を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。故に夫れ人主を謀り、人國を伐つ者、常に苦しむは辭を出だして人の交わりを斷絕するにあり、願わくは大王愼みて口より出だすこと無かれ。「請う左右を屏け、異なる所以を言わん、陰陽のみ。大王誠に能く臣を聽かば、燕は必ず氊裘狗馬の地を致し、齊は必ず海隅魚鹽の地を致し、楚は必ず橘柚雲夢の地を致し、韓・魏は皆封地湯沐の邑を致さしむ可く、貴戚父兄は皆以て封侯を受く可し。夫れ地を割き實を效すは、五伯の軍を覆し將を禽にして求むる所以なり。侯を封じ戚を貴ぶは、湯・武の放殺して爭う所以なり。今大王垂拱して兩つながら之を有つ、是れ臣の大王の爲に願う所以なり。大王秦に與せば、則ち秦必ず韓・魏を弱くせん。齊に與せば、則ち齊必ず楚・魏を弱くせん。魏弱ければ則ち河外を割き、韓弱ければ則ち宜陽を效さん。宜陽效せば則ち上郡絕え、河外割かば則ち道通ぜず。楚弱ければ則ち援無し。此の三策なる者、熟計せざる可からざるなり。夫れ秦軹道を下せば則ち南陽動き、韓を劫かして周を包めば則ち趙自ら銷鑠せん、衛に據りて淇を取らば則ち齊必ず入朝せん。秦已に山東に行うを得んと欲せば、則ち必ず甲を舉げて趙に向かわん。秦の甲河を涉り漳を踰え、番吾に據らば、則ち兵必ず邯鄲の下に戰わん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「當今の時、山東の建國、趙の彊きに如くは莫し。趙の地方二千里、甲を帶ぶる者數十萬、車千乘、騎萬匹、粟十年を支う、西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕國有り。燕固より弱國、畏るるに足らざるなり。且つ秦の天下に畏害する所の者、趙に如くは莫し。然れども秦敢えて兵甲を舉げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議せんことを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、則ち然らず。名山大川の限有る無く、稍稍として之を蠶食し、國都に傅きて止まん。韓・魏秦に支うる能わずんば、必ず入りて臣たらん。韓・魏秦に臣たれば、秦韓・魏の隔て無く、禍趙に中たらん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「臣聞く、堯は三夫の分無く、舜は咫尺の地無くして、以て天下を有てり。禹は百人の聚無くして、以て諸侯に王たり。湯・武の卒は三千人に過ぎず、車は三百乘に過ぎずして、立ちて天子と爲る。誠に其の道を得ればなり。是の故に明主外は其の敵國の彊弱を料り、內は其の士卒の眾寡・賢と不肖とを度り、兩軍の相當たるを待たずして、勝敗存亡の機節、固より已に胸中に見る、豈に眾人の言に掩われて、冥冥を以て事を決せんや。「臣竊かに天下の地圖を以て之を案ずるに、諸侯の地秦より五倍し、諸侯の卒を料るに、秦より十倍す。六國力を并せて一と爲り、西面して秦を攻めば、秦破るること必せり。今秦に破らるるを見て、西面して之に事え、秦に臣たるを見る。夫れ人を破るの與人に破らるる、人に臣たるの與人に臣たらしむる、豈に同日にして言う可けんや。夫れ橫人なる者、皆諸侯の地を割きて以て秦と成らんことを欲す。秦と成れば、則ち臺を高くし、宮室を美にし、竽瑟の音を聽き、五味の和を察し、前に軒轅有り、後に長庭有り、美人巧笑すれど、卒に秦の患有りて、其の憂いに與らず。是の故に橫人日夜秦權を以て諸侯を恐猲するを務め、以て地を割かんことを求む。願わくは大王之を熟計せんことを。「臣聞く、明王は疑いを絕ち讒を去り、流言の跡を屏け、朋黨の門を塞ぐ、故に主を尊び地を廣め兵を彊うするの計、臣忠を前に陳ずるを得たり。故に竊かに大王の爲に計るに、韓・魏・齊・楚・燕・趙を一にし、六國從親して以て秦に儐畔するに莫くは若かず。天下の將相をして、相與に洹水の上に會し、質を通じ白馬を刑して以て之を盟わしめん。約して曰く、秦楚を攻めば、齊・魏各々銳師を出だして以て之を佐け、韓食道を絕ち、趙河・漳を涉り、燕常山の北を守らん。秦韓・魏を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、齊銳師を出だして以て之を佐け、趙河・漳を涉り、燕雲中を守らん。秦齊を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、韓成臯を守り、魏午道を塞ぎ、趙河・漳・博關を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。秦燕を攻めば、則ち趙常山を守り、楚武關に軍し、齊渤海を涉り、韓・魏銳師を出だして以て之を佐けん。秦趙を攻めば、則ち韓宜陽に軍し、楚武關に軍し、魏河外に軍し、齊渤海を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。諸侯先に約に背く者有らば、五國共に之を伐たん。六國從親して以て秦を擯けば、秦必ず敢えて兵を函谷關より出だして以て山東を害せざらん。是の如くんば則ち伯業成らん。」趙王曰く、「寡人年少く、國に蒞むの日淺く、未だ嘗て社稷の長計を聞くを得ず。今上客天下を存し、諸侯を安んずるに意有り、寡人敬みて國を以て從わん。」乃ち蘇秦を封じて武安君と爲し、車百乘を飾り、黃金千鎰、白璧百雙、錦繡千純、以て諸侯に約す。
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戦国策・蘇秦為趙合從說齊宣王蘇秦趙の爲に合從し、齊の宣王に說きて曰く、「齊は南に太山有り、東に琅邪有り、西に清河有り、北に渤海有り、此れ所謂四塞の國なり。齊の地は方二千里、帶甲數十萬、粟は丘山の如し。齊の車の良、五家の兵、疾きこと錐矢の如く、戰ふこと雷電の如く、解くこと風雨の如く、軍役有るに即きても、未だ嘗て太山に倍き、清河を絕ち、渤海を涉らざるなり。臨淄の中七萬戶、臣竊かに之を度るに、下戶も三男子、三七二十一萬、遠縣に發するを待たずして、臨淄の卒、固より已に二十一萬なり。臨淄甚だ富みて實つ。其の民竽を吹き瑟を鼓し、筑を擊ち琴を彈き、雞を鬥はせ犬を走らせ、六博蹹踘せざる無し。臨淄の途、車轂擊ち、人肩摩し、衽を連ねて帷を成し、袂を舉げて幕を成し、汗を揮ひて雨を成す。家敦くして富み、志高くして揚る。夫れ大王の賢と齊の強きを以てすれば、天下當る能はず。今乃ち西面して秦に事ふ、竊かに大王の爲に之を羞づ。「且つ夫れ韓・魏の秦を畏るる所以の者は、秦と界を接すればなり。兵出でて相ひ當らば、十日に至らずして、戰ひて存亡の機決す。韓・魏戰ひて秦に勝たば、則ち兵半ば折れて、四境守らず。戰ひて勝たずんば、亡以て其の後に隨はん。是の故に韓・魏の秦と戰ふを重んじて輕々しく之が臣と爲る所以なり。「今秦の齊を攻むるは則ち然らず。韓・魏の地に倍き、闈陽晉の道に至り、亢父の險を徑るには、車方軌するを得ず、馬並行するを得ず、百人險を守らば、千人も過ぐる能はず。秦深く入らんと欲すと雖も、則ち狼顧し、韓・魏の其の後を議せんことを恐る。是の故に恫疑虛猲し、高躍して敢へて進まず、則ち秦の齊を害する能はざること、亦た已に明らかなり。夫れ秦の我を奈何ともする能はざるを深く料らずして、西面して秦に事へんと欲す、是れ群臣の計過てるなり。今秦に事ふるの名無くして、國を強くするの實有らば、臣固より大王の少しく計を留めんことを願ふ。」齊王曰く、「寡人不敏なり、今主君趙王の教を以て之を詔す、敬みて社稷を奉じて以て從はん。」