戦国策 / 王孫賈年十五事閔王
王孫賈年十五,事閔王。王出走,失王之處。其母曰:「女朝出而晚來,則吾倚門而望;女暮出而不還,則吾倚閭而望。女今事王,王出走,女不知其處,女尚何歸?」王孫賈乃入市中,曰:「淖齒亂齊國,殺閔王,欲與我誅者,袒右!」市人從者四百人,與之誅淖齒,刺而殺之。
新字:王孫賈年十五,事閔王。王出走,失王之処。其母曰:「女朝出而晩来,則吾倚門而望;女暮出而不還,則吾倚閭而望。女今事王,王出走,女不知其処,女尚何帰?」王孫賈乃入市中,曰:「淖齒乱斉国,殺閔王,欲与我誅者,袒右!」市人従者四百人,与之誅淖齒,刺而殺之。
書き下し
王孫賈年十五にして、閔王に事う。王出でて走り、王の処を失う。其の母曰く、「女朝に出でて晩に来れば、則ち吾は門に倚りて望み、女暮に出でて還らざれば、則ち吾は閭に倚りて望む。女今王に事え、王出でて走り、女其の処を知らず、女尚何ぞ帰らんや」と。王孫賈乃ち市中に入りて曰く、「淖歯齊国を乱し、閔王を殺す。我と与に誅せんと欲する者は、右を袒げよ」と。市人の従う者四百人、之と与に淖歯を誅し、刺して之を殺す。
現代語訳
王孫賈は十五歳で閔王に仕えていた。ところが王は逃げ出し、その行方が分からなくなってしまった。彼の母は言った。「お前が朝に出かけて晩に帰ってくるなら、私は門に寄りかかって待つし、夕方に出かけて戻らないなら、里の門に寄りかかって待つものです。今お前は王にお仕えしていながら、王が逃げ出したのにその行方も知らないとは、いったいどこへ帰ろうというのですか」。そこで王孫賈は市場の中に入り、こう呼びかけた。「淖歯は齊国を乱し、閔王を殺した。私と共にこれを誅そうという者は、右肩を脱げ」。市の人々のうち従う者四百人が現れ、共に淖歯を討ち、刺し殺した。
解説
この章は、母の一言が少年を奮い立たせ、主君殺しの逆賊を討つ行動へと導いた逸話です。王孫賈の母は「仕える者には最後まで責任を持て」という筋を通す言葉で息子を諭し、王孫賈はそれに応えて市中で義兵を募り、わずか一昼夜のうちに淖歯を討ち取りました。背景には、燕の侵攻で齊が瓦解し、王を殺した権臣淖歯が権力を握っていたという混乱の極みの状況があります。年若い一臣下の呼びかけに市井の人々が四百人も応じたことは、正義への共感が制度や身分を超えて人を動かす力を持つことを示しています。現代でも、立場の小ささを理由に行動をためらう前に、正しいと信じることを声に出す勇気の大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
王孫賈淖歯閔王忠義母の教え
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