戦国策 / 蘇秦謂齊王
蘇秦謂齊王曰:「齊、秦立為兩帝,王以天下為尊秦乎?且尊齊乎?」王曰:「尊秦。」「釋帝則天下愛齊乎?且愛秦乎?」王曰:「愛齊而憎秦。」「兩帝立,約伐趙,孰與伐宋之利也?」對曰:「夫約然與秦為帝,而天下獨尊秦而輕齊;齊釋帝,則天下愛齊而憎秦;伐趙不如伐宋之利。故臣願王明釋帝,以就天下;倍約儐秦,勿使爭重;而王以其間舉宋。夫有宋則衛之陽城危;有淮北則楚之東國危;有濟西則趙之河東危;有陰、平陸則梁門不啟。故釋帝而貳之以伐宋之事,則國重而名尊,燕、楚以形服,天下不敢不聽,此湯、武之舉也。敬秦以為名,而後使天下憎之,此所謂以卑易尊者也!願王之熟慮之也!」
新字:蘇秦謂斉王曰:「斉、秦立為両帝,王以天下為尊秦乎?且尊斉乎?」王曰:「尊秦。」「釈帝則天下愛斉乎?且愛秦乎?」王曰:「愛斉而憎秦。」「両帝立,約伐趙,孰与伐宋之利也?」対曰:「夫約然与秦為帝,而天下独尊秦而軽斉;斉釈帝,則天下愛斉而憎秦;伐趙不如伐宋之利。故臣願王明釈帝,以就天下;倍約儐秦,勿使争重;而王以其間舉宋。夫有宋則衛之陽城危;有淮北則楚之東国危;有済西則趙之河東危;有陰、平陸則梁門不啓。故釈帝而貳之以伐宋之事,則国重而名尊,燕、楚以形服,天下不敢不聴,此湯、武之舉也。敬秦以為名,而後使天下憎之,此所謂以卑易尊者也!願王之熟慮之也!」
書き下し
蘇秦齊王に謂ひて曰く、「齊・秦立ちて兩帝と爲らば、王天下を以て秦を尊しと爲すか、且つ齊を尊しと爲すか。」王曰く、「秦を尊しとす。」「帝を釋(す)てば則ち天下齊を愛せんか、且つ秦を愛せんか。」王曰く、「齊を愛して秦を憎まん。」「兩帝立ちて、趙を伐たんことを約せば、宋を伐つの利と孰與(いづれ)ぞや。」對へて曰く、「夫れ約して然り秦と帝と爲らば、天下獨り秦を尊びて齊を輕んぜん。齊帝を釋てば、則ち天下齊を愛して秦を憎まん。趙を伐つは宋を伐つの利に如かず。故に臣願はくは王明らかに帝を釋てて、以て天下に就かん。約に倍きて秦を儐(しりぞ)け、爭重せしむる勿かれ。而して王其の間を以て宋を舉げん。夫れ宋を有てば則ち衞の陽城危からん。淮北を有てば則ち楚の東國危からん。濟西を有てば則ち趙の河東危からん。陰・平陸を有てば則ち梁門啟かず。故に帝を釋てて之を貳にして宋を伐つの事を以てせば、則ち國重くして名尊く、燕・楚形を以て服し、天下敢へて聽かずんばあらず、此れ湯・武の擧なり。秦を敬して以て名と爲し、而して後天下をして之を憎ましむ、此れ所謂卑を以て尊に易ふる者なり。願はくは王の之を熟慮せんことを。」
現代語訳
蘇秦は斉王に言った。「もし斉と秦が並び立って二つの帝を称すれば、王は天下が秦を尊ぶと思われますか、それとも斉を尊ぶと思われますか。」王は「秦を尊ぶだろう」と答えた。「では帝号を放棄すれば、天下は斉を愛するでしょうか、それとも秦を愛するでしょうか。」王は「斉を愛して秦を憎むだろう」と答えた。「二つの帝が並び立って、共に趙を討つ約束をするのと、宋を討つのとでは、どちらが利益になるでしょうか。」蘇秦は答えた。「もし約束通り秦と共に帝を称せば、天下はひとえに秦だけを尊び斉を軽んじるでしょう。斉が帝号を放棄すれば、天下は斉を愛して秦を憎むでしょう。趙を討つことは宋を討つ利益には及びません。ですから私は、王が明確に帝号を放棄され、それによって天下の支持を得られることを願います。約束に背いて秦を退け、帝の位を争わせないようにするのです。そして王はその間隙をついて宋を攻め取るべきです。宋を得れば衛の陽城が脅かされます。淮北を得れば楚の東国が脅かされます。済西を得れば趙の河東が脅かされます。陰・平陸を得れば魏(梁)の門は開かれなくなります。ですから帝号を放棄してそれを保留とし、その代わりに宋を討つことに専念すれば、国は重んじられ名声は高まり、燕・楚は形勢を見て服従し、天下はあえて従わないことはないでしょう。これはまさに湯王・武王のなされたような偉業です。秦に敬意を払って帝の座を譲ったという名目を得ながら、後で天下に秦を憎ませる、これがいわゆる『卑しさをもって尊さに換える』という策です。どうか王にはこのことをよくよくお考えいただきたく存じます。」
解説

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