戦国策 / 孟嘗君奉夏侯章
孟嘗君奉夏侯章以四馬百人之食,遇之甚懽。夏侯章每言未嘗不毀孟嘗君也。或以告孟嘗君,孟嘗君曰:「文有以事夏侯公矣,勿言,董之。」繁菁以問夏侯公,夏侯公曰:「孟嘗君重非諸侯也,而奉我四馬百人之食。我無分寸之功而得此,然吾毀之以為之也。君所以得為長者,以吾毀之者也。吾以身為孟嘗君,豈得持言也。」
新字:孟嘗君奉夏侯章以四馬百人之食,遇之甚懽。夏侯章毎言未嘗不毀孟嘗君也。或以告孟嘗君,孟嘗君曰:「文有以事夏侯公矣,勿言,董之。」繁菁以問夏侯公,夏侯公曰:「孟嘗君重非諸侯也,而奉我四馬百人之食。我無分寸之功而得此,然吾毀之以為之也。君所以得為長者,以吾毀之者也。吾以身為孟嘗君,豈得持言也。」
書き下し
孟嘗君夏侯章を奉ずるに四馬百人の食を以てし、之に遇すること甚だ懽(よろこ)ぶ。夏侯章言ふ每(ごと)に未だ嘗て孟嘗君を毀(そし)らずんばあらざるなり。或ひと以て孟嘗君に告ぐ、孟嘗君曰く、「文以て夏侯公に事ふる有り、言ふ勿かれ、之を董(ただ)せ。」繁菁以て夏侯公に問ふ、夏侯公曰く、「孟嘗君重んずること諸侯に非ざるなり、而して我に奉ずるに四馬百人の食を以てす。我分寸の功無くして此を得たり、然れども吾之を毀るは以て之を爲すなり。君の長者爲るを得る所以は、吾之を毀るを以てなり。吾身を以て孟嘗君の爲にす、豈に言を持するを得んや。」
現代語訳
孟嘗君は夏侯章を厚遇し、四頭立ての馬車と百人分の食糧を与えて非常に手厚くもてなした。ところが夏侯章は口を開けば必ず孟嘗君を悪く言うのであった。ある人がこれを孟嘗君に告げると、孟嘗君は「私には夏侯公にこのように仕えてもらう理由があるのだ。何も言わずに、そのままにしておけ」と言った。繁菁がこのことを夏侯公に尋ねると、夏侯公は言った。「孟嘗君は私を諸侯のような重要人物として扱ってくれるわけでもないのに、四頭立ての馬車と百人分の食糧を与えてくれている。私には寸分の功績もないのにこれを得ているのだ。それなのに私が彼を悪く言うのは、そうすることで彼のためになるからだ。あなたが徳のある人物という評判を得られる理由は、私が彼を悪く言っているからこそなのだ。私はこの身を捧げて孟嘗君のために尽くしている。どうして言葉に構っていられようか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・立節斉人に子蘭子なる者有り。白公勝に事う。勝将に難を為さんとし、乃ち子蘭子に告げて曰わく、「吾将に大事を国に挙げんとす、子と共にせんことを願う」と。子蘭子曰わく、「我子に事えて子と与に君を殺すは、是れ子の不義を助くるなり。患を畏れて子を去るは、是れ子を難に遁るるなり。故に子と与に君を殺して以て吾が義を成さず、領を庭に契りて、以て吾が行いを遂げん」と。
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葉隠・聞書第一敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
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説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
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説苑・立節楚の平王、奮揚をして太子建を殺さしむ。未だ至らざるに之を遣る。太子宋に奔る。王奮揚を召し、城父の人をして之を執えて以て至らしむ。王曰わく、「言予が口より出でて、爾が耳に入る、誰か建に告げしや」と。対えて曰わく、臣之に告げたり。王初め臣に命じて曰わく、「建に事うること予に事うるが如くせよ」と。臣佞ならず、貳する能わず。初めを奉じて以て還り、故に之を遣る。已にして之を悔ゆるも、亦及ぶ無し、と。王曰わく、「而敢えて来たるは、何ぞや」と。対えて曰わく、「使いして命を失えば、召されて来たらず、是れ過を重ぬるなり。逃るるも入る所無し」と。王乃ち之を赦す。
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葉隠・聞書第一楠木正成(くすのきまさしげ)兵庫記(ひょうごき)の中に、「降参(こうさん)と云ふことは、謀(はかりごと)にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯(か)くの如(ごと)くあるべきこととなり。
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葉隠・聞書第二悪事は我が身にかぶり、上(かみ)の批判は申し出でぬと覚悟せよ。御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。