戦国策 / 齊王夫人死
齊王夫人死,有七孺子皆近。薛公欲知王所欲立,乃獻七珥,美其一,明日視美珥所在,勸王立為夫人。
新字:斉王夫人死,有七孺子皆近。薛公欲知王所欲立,乃献七珥,美其一,明日視美珥所在,勧王立為夫人。
書き下し
齊王の夫人死す、七孺子有り皆近し。薛公王の立てんと欲する所を知らんと欲し、乃ち七珥を獻じ、其の一つを美しくし、明日美珥の在る所を視て、王に勸めて立てて夫人と爲さしむ。
現代語訳
斉王の夫人が死んだ。後継候補として七人の側室がおり、いずれも王に近しい存在であった。薛公は王がどの側室を立てたいと思っているかを知ろうとして、七つの耳飾りを献上し、そのうち一つだけを特に美しく作った。翌日、その美しい耳飾りを着けている者を見て、その者を夫人に立てるよう王に勧めた。
解説
夫人亡き後、誰を次の夫人に立てるかは王個人の胸中にあり、家臣が直接尋ねることは憚られる機微な問題でした。薛公は七つの耳飾りのうち一つだけを際立って美しく作り、王がそれを最も気に入った側室に与えるだろうと見込んで観察することで、王の本心をさりげなく読み取ります。相手に直接問わずに、贈り物への反応という間接的な手がかりから意中を探るこの手法は、現代における顧客の潜在ニーズや上司の意向を察知する手法にも通じるものがあります。相手の本音を尊重しつつ探る、繊細な観察力の実例といえるでしょう。
この章句が説くこと
戦国策薛公孟嘗君斉王観察処世術
関連する章句
-
人物志・自序其の安んずる所を察し、其の由る所を觀て、以て居止の行を知る。
-
人物志・八觀七に曰く、其の短なる所を観て、以て長なる所を知る。
-
孫子・行軍篇令素より行われて以て其の民を教うれば、則ち民服す。令素より行われずして以て其の民を教うれば、則ち民服せず。令素より行わるる者は、衆と相得るなり。
-
人物志・九徵是の故に人を觀て質を察するには、必ず先ず其の平淡を察し、而る後に其の聰明を求む。
-
孟子・滕文公章句下公孫丑問いて曰く、「諸侯を見ざるは、何の義ぞ。」孟子曰く、「古者は、臣為らざれば見ず。段干木は垣を踰えて之を辟け、泄柳は門を閉じて內れず。是れ皆已甚だし。迫らば斯に以て見る可し。陽貨、孔子を見んと欲して禮無しとせらるるを惡む。大夫、士に賜うこと有るに、其の家に受くること得ざれば、則ち往きて其の門に拜す。陽貨、孔子の亡きを矙(うかがう)いて、孔子に蒸豚を饋る。孔子も亦た其の亡きを矙いて、往きて之を拜せり。是の時に當り、陽貨先んぜり。豈に見ざるを得んや。曾子曰く、『肩を脅かし諂い笑うは、夏畦よりも病る。』子路曰く、『未だ同じからずして言う、其の色を觀るに、赧(タン)赧然たり。由の知る所に非ざるなり。』是に由りて之を觀れば、則ち君子養う所、知る可きのみ。」
-
五輪書・火の巻景気を見ると云ふは、大分(だいぶん)の兵法にして、敵の栄え・衰へを知り、相手の人数の心を知り、其の場の位を受け、敵の景気を能(よ)く見受け、我人数何としかけ、此の兵法の理にて、慥(たし)かに勝つと云ふ所をのみこみて、先(せん)の位を知て戦ふ所なり。又一分(いちぶん)の兵法も、敵のながれを弁へ、相手の人柄を見うけ、人の強き弱き所を見付け、敵の気色にちがふ事をしかけ、敵のめりかりを知り、其の間の拍子を能く知りて、先をしかくる所肝要なり。物事の景気と云ふ事は、我智力強ければ必ず見ゆる所なり。兵法自由の身に成りては、敵の心を能く計りて、勝つ道多かるべき事なり。工夫有るべし。