戦国策 / 楚威王戰勝於徐州
楚威王戰勝於徐州,欲逐嬰子於齊。嬰子恐,張丑謂楚王曰:「王戰勝於徐州也,盼子不用也。盼子有功於國,百姓為之用。嬰子不善,而用申縳。申縳者,大臣與百姓弗為用,故王勝之也。今嬰子逐,盼子必用。復整其士卒以與王遇,必不便於王也。」楚王因弗逐。
新字:楚威王戦勝於徐州,欲逐嬰子於斉。嬰子恐,張丑謂楚王曰:「王戦勝於徐州也,盼子不用也。盼子有功於国,百姓為之用。嬰子不善,而用申縳。申縳者,大臣与百姓弗為用,故王勝之也。今嬰子逐,盼子必用。復整其士卒以与王遇,必不便於王也。」楚王因弗逐。
書き下し
楚威王徐州に戰ひ勝ち、嬰子を齊に逐はんと欲す。嬰子恐る。張丑楚王に謂ひて曰く、「王徐州に戰ひ勝つは、盼子用ゐられざればなり。盼子國に功有り、百姓之が爲に用ゐらる。嬰子善からずして、申縳を用ゐる。申縳なる者は、大臣と百姓と爲に用ゐられず、故に王之に勝てり。今嬰子逐はれなば、盼子必ず用ゐられん。復た其の士卒を整へて以て王と遇はば、必ず王に便ならざらん。」楚王因りて逐はず。
現代語訳
楚の威王が徐州の戦いで斉に勝利し、その勢いで斉の宰相嬰子(田嬰)を斉から追放させようとした。嬰子はこれを恐れた。張丑が楚王に言った。「王が徐州で勝利できたのは、(斉の名将)盼子が用いられていなかったからです。盼子には国への功績があり、民衆も彼のために動きます。嬰子は人望がなく、申縳という者を用いていました。申縳は大臣にも民衆にも支持されない人物であったため、王はこれに勝つことができたのです。もし今、嬰子を追放すれば、必ず盼子が用いられることになるでしょう。盼子が再び軍を整えて王と対峙すれば、王にとって決して有利にはならないでしょう。」楚王はこれを聞いて、嬰子を追放するのをやめた。
解説
本篇は、戦に敗れた斉の宰相嬰子(田嬰)の追放を、遊説家張丑が阻止する短い逸話です。張丑の論法の巧みさは、嬰子を直接弁護せず、「今の敵将が無能だから勝てたにすぎず、有能な盼子に代われば勝てなくなる」という、勝者自身の利害に訴えた点にあります。時期は紀元前333年頃、楚の威王が徐州で斉を破った戦いの直後とされます。目先の勝利に乗じてさらに圧力をかけようとする楚王に対し、「今の有利な状況を維持するために、あえて相手の弱い指導者を残しておく」という逆説的な発想が示されており、敵の弱さもまた自国にとって利用価値のある資源になり得るという、戦国期らしい冷徹な計算がうかがえます。現代の競争関係でも、相手の弱い体制を崩すことが必ずしも自分の得にならない場合があるという視点は参考になります。
この章句が説くこと
楚威王嬰子張丑盼子徐州の戦い
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