戦国策 / 秦一・張儀欲以漢中與楚
張儀欲以漢中與楚,請秦王曰:「有漢中,蠹。種樹不處者,人必害之;家有不宜之財,則傷本。漢中南邊為楚利,此國累也。」甘茂謂王曰:「地大者,固多憂乎!天下有變,王割漢中以為和楚,楚必畔天下而與王。王今以漢中與楚,即天下有變,王何以市楚也?」
新字:張儀欲以漢中与楚,請秦王曰:「有漢中,蠹。種樹不処者,人必害之;家有不宜之財,則傷本。漢中南辺為楚利,此国累也。」甘茂謂王曰:「地大者,固多憂乎!天下有変,王割漢中以為和楚,楚必畔天下而与王。王今以漢中与楚,即天下有変,王何以市楚也?」
書き下し
張儀漢中を以て楚に與えんと欲し、秦王に請いて曰わく、「漢中を有つは、蠹なり。樹を種うるに處を得ざれば、人必ず之を害す。家に不宜の財有れば、則ち本を傷る。漢中の南邊は楚の利と為り、此れ國の累なり。」甘茂王に謂いて曰わく、「地大なる者は、固より憂い多きか。天下變有らば、王漢中を割きて以て楚と和を為さば、楚必ず天下に畔きて王に與せん。王今漢中を以て楚に與うれば、即ち天下變有らば、王何を以て楚に市せんや。」
現代語訳
張儀は漢中の地を楚に与えようとし、秦王に願い出て言った。「漢中を保有することは、いわば国家にとっての害虫のようなものです。木を植えるにも適さない場所に植えれば、人は必ずそれを害します。家に不釣り合いな財産があれば、かえって家の根本を傷めるものです。漢中の南辺は楚にとっての利益となる土地であり、これは我が国にとっての負担にほかなりません。」これに対し甘茂は王に言った。「領土が大きい者は、もとより悩みも多いものです。もし天下に変事が起きたとき、王が漢中を割いて楚との和睦の材料とすれば、楚は必ず天下の他国に背いて王に味方するでしょう。ところが今、王がここで漢中を楚にただ与えてしまえば、いざ天下に変事が起きたとき、王は何をもって楚と取引をするのですか。」
解説
領土の一部である漢中を、張儀は「厄介な余剰資産」として楚に譲るべきだと主張し、甘茂はそれに対し「今すぐ手放してしまえば、将来の非常時に使える外交カードを失う」と反論しています。同じ土地一つをめぐっても、目先の負担と将来の交渉材料のどちらとして評価するかで結論が正反対になる好例です。張儀は現状のコストに着目し、甘茂は将来の危機における使い道、すなわち「今出し惜しんでおけば、いざという時に相手を動かす切り札になる」という長期的な価値に着目しています。現代のビジネスや外交でも、資産や譲歩を今すぐ使い切るべきか、将来の交渉のために温存しておくべきかという判断は繰り返し問われる論点であり、目先の損得だけでなく将来の使い道まで見据えて資源を評価する視点の大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
張儀甘茂漢中楚外交カード