戦国策 / 秦一・張儀之殘樗里疾
張儀之殘樗里疾也,重而使之楚。因令楚王為之請相於秦。張子謂秦王曰:「重樗里疾而使之者,將以為國交也。今身在楚,楚王因為請相於秦。臣聞其言曰:『王欲窮儀於秦乎?臣請助王。』楚王以為然,故為請相也。今王誠聽之,彼必以國事楚王。」秦王大怒,樗里疾出走。
新字:張儀之残樗里疾也,重而使之楚。因令楚王為之請相於秦。張子謂秦王曰:「重樗里疾而使之者,将以為国交也。今身在楚,楚王因為請相於秦。臣聞其言曰:『王欲窮儀於秦乎?臣請助王。』楚王以為然,故為請相也。今王誠聴之,彼必以国事楚王。」秦王大怒,樗里疾出走。
書き下し
張儀の樗里疾を殘わんとするや、重んじて之を楚に使いせしむ。因りて楚王をして之が為に相を秦に請わしむ。張子秦王に謂いて曰わく、「樗里疾を重んじて之を使いする者は、將に以て國交を為さんとすればなり。今身楚に在り、楚王因りて之が為に相を秦に請う。臣其の言を聞くに曰わく、『王儀を秦に窮せしめんと欲するか。臣請う王を助けん』と。楚王以て然りと為し、故に為に相を請うなり。今王誠に之を聽かば、彼必ず國を以て楚王に事えん。」秦王大いに怒り、樗里疾出走す。
現代語訳
張儀が樗里疾を陥れようとするにあたり、樗里疾を重んじたふりをして楚への使者に立てさせた。そして楚王に働きかけさせ、樗里疾のために秦での宰相の地位を請わせるようにした。張儀は秦王に言った。「樗里疾を重んじて使者に立てたのは、これを国家間の外交のためだと思わせるためです。ところが今、樗里疾は身を楚に置きながら、楚王がその樗里疾のために秦での宰相の地位を請うています。私が漏れ聞いたところでは、樗里疾はこう言っているそうです。『王は私(張儀)を秦で窮地に追い込みたいのでしょう。私がお助けいたします』と。楚王はこれをもっともだと思い、それで樗里疾のために宰相の地位を請うたのです。もし王が本当にこの願いをお聞き入れになれば、樗里疾は必ず秦ではなく楚のために国を挙げて仕えることになるでしょう。」秦王は大いに怒り、樗里疾は秦から逃げ出した。
解説
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