戦国策 / 楚兵在山南
楚兵在山南,吾得將為楚王屬怒於周。或謂周君曰:「不如令太子將軍正迎吾得於境,而君自郊迎,令天下皆知君之重吾得也。因泄之楚,曰:『周君所以事吾得者器,必名曰謀楚。』王必求之,而吾得無效也,王必罪之。」
新字:楚兵在山南,吾得将為楚王属怒於周。或謂周君曰:「不如令太子将軍正迎吾得於境,而君自郊迎,令天下皆知君之重吾得也。因泄之楚,曰:『周君所以事吾得者器,必名曰謀楚。』王必求之,而吾得無効也,王必罪之。」
書き下し
楚の兵山南に在り、吾得将として楚王の為に怒を周に属す。或ひと周君に謂ひて曰く、「太子将軍をして境に吾得を正迎せしめ、君自ら郊迎するに如かず、天下をして皆君の吾得を重んずるを知らしめよ。因りてこれを楚に泄らして曰へ、『周君の吾得に事ふる所以の者器あり、必ず名づけて謀楚と曰ふ』と。王必ずこれを求めん、而して吾得効す無くんば、王必ずこれを罪せん」と。
現代語訳
楚の軍が山の南方に駐留していた。吾得という将軍が楚王のために周への怒りを代弁する立場にあった。ある人が周君に説いた。「太子に将軍として国境まで吾得を丁重に出迎えさせ、あなた自身も郊外まで出て出迎え、天下のすべての国にあなたが吾得を重んじていることを知らしめるのがよいでしょう。そのうえで、これをわざと楚に漏らしてこう言わせるのです。『周君が吾得に対して用いている贈り物には、必ず「楚を謀る(陥れる)」という名目がついている』と。楚王は必ずその贈り物とやらを差し出すよう求めるでしょうが、吾得はそのようなものを差し出せません。そうなれば楚王は必ず吾得を罰することになるでしょう」。
解説
本話は、周に対して怒りを代弁する楚の将軍吾得を、周自らが表面的に厚遇することで、かえって楚王に疑わせて失脚させるという逆説的な計略です。周君に吾得を過剰なまでに丁重にもてなさせ、それを「謀反の贈り物」であるかのように楚側に漏らすことで、楚王自身に吾得への不信感を植え付け、実際には存在しない証拠を求めさせることで彼を窮地に追い込みます。敵対する相手を直接攻撃するのではなく、あえて厚遇するふりをして「あの二人は裏で通じている」という疑惑を第三者(楚王)に抱かせ、相手の主君自身の手で処分させるという間接的な計略は、正面から対抗できない弱小国が用いる高度な情報戦の一例です。
この章句が説くこと
楚吾得周君郊迎計略
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