甲陽軍鑑 / 品第六
元康聞給ひて二のくる輪まで出させ給ふが、又立ち歸り本城に御座家老の人御前に參り、是はいかなる事ぞと申す、元康聞き給ひて義元公討れさせ給ふと水野野州より告來る、然るに野州敵方共味方共見へず義元公御利運におひては、我をたよりて今川方に成べし、若し又信長利運に成ならば籠居して義元へ禮を申さゞるを忠節たりといはん覺悟なれ共、先つ大略は信長方のやうなる物ぞかし、されば伯父といひながら敵方より告來るは計略と思ふへし、計略するはいにしへより今に至るまて敵味方のならひ也、
新字:元康聞給ひて二のくる輪まで出させ給ふが、又立ち帰り本城に御座家老の人御前に参り、是はいかなる事ぞと申す、元康聞き給ひて義元公討れさせ給ふと水野野州より告来る、然るに野州敵方共味方共見へず義元公御利運におひては、我をたよりて今川方に成べし、若し又信長利運に成ならば籠居して義元へ礼を申さゞるを忠節たりといはん覚悟なれ共、先つ大略は信長方のやうなる物ぞかし、されば伯父といひながら敵方より告来るは計略と思ふへし、計略するはいにしへより今に至るまて敵味方のならひ也、
書き下し
元康聞給ひて二のくる輪まで出させ給ふが、又立ち帰り本城に御座家老の人御前に参り、是はいかなる事ぞと申す、元康聞き給ひて義元公討れさせ給ふと水野野州より告来る、然るに野州敵方共味方共見へず義元公御利運におひては、我をたよりて今川方に成べし、若し又信長利運に成ならば籠居して義元へ礼を申さゞるを忠節たりといはん覚悟なれ共、先つ大略は信長方のやうなる物ぞかし、されば伯父といひながら敵方より告来るは計略と思ふへし、計略するはいにしへより今に至るまて敵味方のならひ也、
現代語訳
元康は聞かれて、二の曲輪まで出られたが、また立ち帰って本城におられた。家老の人が御前に参り、これはいかなる事かと申す。元康は聞かれて、義元公が討たれなさったと水野野州から告げて来た。しかるに野州は敵方とも味方とも見えない。義元公がご利運であれば、我を頼って今川方になるだろう。もし信長が利運になるならば、籠居して義元へ礼を申さぬのを忠節だと言うだろう覚悟ではあるけれども、まず大略は信長方のような者であろうよ。であれば伯父といいながら、敵方から告げて来るのは計略と思うべきだ。計略をするのは、いにしえから今に至るまで敵味方のならいである。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第六武略をもつて治むるは武士の第一のほまれと云ふ然れば計略にしたをさるゝは、女人にあひ似たる事也、侍が二心あるをばかたましき男とて武士にはきらふぞかし、十が九義元うたれ玉ふと存する共、敵方より告来らば虚言と相心得此城を立さらざるは武士にめづらしからぬ作法也、
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『甲陽軍鑑』品第六其四年にあたつて、信玄公十六の御年信州海野口にて、父信虎公八千の人数をもつてせめ給へども、次第に城强して不落、然る所に信玄公はかりことのつもりをもつて、三百計の人数にて速にのりとり給ふ一長尾謙信輝虎公十三の御年仰らるゝは、
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孫子・軍争篇故に途を迂らしてこれを利に誘い、人の後に発して人に先んずるは、迂直の計を知る者なり。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
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『宋名臣言行録』前集巻七・种世衡寳元中、党頃、邉を犯す。明珠族の首領有り。驍悍にして、最も邉患と為る。世衡、將と為り、計を以て之を擒えんと欲す。其の鼔を擊つを好むを聞く。乃ち一馬に戰鼓を持たしむるを造り、銀を以て之を裹み、極めて華焕なり。宻かに諜者をして陽りて之を賣りて明珠族に入らしむ。後に乃ち驍卒數百人を擇びて之を戒めて曰く、凡そ銀鼓を負いて自ら隨う者を見れば、力を併せて之を擒えよと。一日、羌酋、鼔を負いて出づ。遂に擒うる所と為る。