戦国策 / 昭翦與東周惡
昭翦與東周惡,或謂照翦曰:「為公畫陰計。」照翦曰:「何也?」「西周甚憎東周,嘗欲東周與楚惡,西周必令賊賊公,因宣言東周也,以西周之於王也。」照翦曰:「善。吾又恐東周之賊己而以輕西周惡之於楚。」遽和東周。
新字:昭翦与東周悪,或謂照翦曰:「為公画陰計。」照翦曰:「何也?」「西周甚憎東周,嘗欲東周与楚悪,西周必令賊賊公,因宣言東周也,以西周之於王也。」照翦曰:「善。吾又恐東周之賊己而以軽西周悪之於楚。」遽和東周。
書き下し
昭翦東周と悪む、或ひと照翦に謂ひて曰く、「公の為に陰計を画せん」と。照翦曰く、「何ぞや」と。「西周甚だ東周を憎み、嘗て東周をして楚と悪ましめんと欲す。西周必ず賊をして公を賊せしめ、因りて東周なりと宣言せん、西周の王に於けるを以てなり」と。照翦曰く、「善し。吾又東周の己を賊して西周を軽んずるを以てこれを楚に悪しくせんことを恐る」と。遽かに東周と和す。
現代語訳
昭翦は東周と不仲であった。ある人が昭翦に「あなたのために密かな計略を考えましょう」と申し出た。昭翦は「どのような計略か」と尋ねた。その者は言った。「西周はひどく東周を憎んでおり、以前から東周を楚と不仲にさせたいと望んでいます。西周は必ず刺客を送ってあなたを襲わせ、それを東周の仕業だと言い触らすでしょう。それは西周が楚王に取り入るためです」。昭翦は言った。「なるほど。私もまた、東周が自分を襲わせ、それを西周の仕業のように見せかけて楚に対して東周を悪く思わせるのではないかと恐れる」。そこで急いで東周と和解した。
解説
本話は、東周・西周それぞれが楚に取り入るために、対立する昭翦を利用して互いを陥れようとする謀略の可能性を見抜いた逸話です。ある人物が「西周が刺客を放ち、それを東周の仕業に見せかけるだろう」と警告すると、昭翦はその可能性を認めつつ、逆に「東周が同じ手口で西周を陥れようとする恐れもある」と即座に気づき、疑心暗鬼の連鎖を断ち切るために急いで東周と和解しました。誰が誰を陥れようとしているのかが定かでない疑心暗鬼の状況において、双方から利用されるリスクを察知し、対立そのものを解消することで謀略の土俵から降りるという昭翦の判断は、疑わしきは争いを続けるより先に手を引くという危機回避の知恵を示しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
昭翦東周西周楚謀略
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