呂氏春秋 / 長攻④
趙簡子病,召太子而告之曰:“我死,已葬,服衰而上夏屋之山以望。”太子敬諾。簡子死,已葬,服衰,召大臣而告之曰:“願登夏屋以望。”大臣皆諫曰:“登夏屋以望,是游也。服衰以游,不可。”襄子曰:“此先君之命也,寡人弗敢廢。”群臣敬諾。襄子上於夏屋以望代俗,其樂甚美,於是襄子曰:“先君必以此教之也。”及歸,慮所以取代,乃先善之。代君好色,請以其弟姊妻之,代君許諾。弟姊已往,所以善代者乃萬故。馬郡宜馬,代君以善馬奉襄子,襄子謁於代君而請觴之,馬郡盡,先令舞者置兵其羽中數百人,先具大金斗。代君至,酒酣,反斗而擊之,一成,腦塗地。舞者操兵以鬥,盡殺其從者。因以代君之車迎其妻,其妻遙聞之狀,磨笄以自刺,故趙氏至今有刺笄之證與“反斗”之號。
新字:趙簡子病,召太子而告之曰:“我死,已葬,服衰而上夏屋之山以望。”太子敬諾。簡子死,已葬,服衰,召大臣而告之曰:“願登夏屋以望。”大臣皆諫曰:“登夏屋以望,是游也。服衰以游,不可。”襄子曰:“此先君之命也,寡人弗敢廃。”群臣敬諾。襄子上於夏屋以望代俗,其楽甚美,於是襄子曰:“先君必以此教之也。”及帰,慮所以取代,乃先善之。代君好色,請以其弟姊妻之,代君許諾。弟姊已往,所以善代者乃万故。馬郡宜馬,代君以善馬奉襄子,襄子謁於代君而請觴之,馬郡尽,先令舞者置兵其羽中数百人,先具大金斗。代君至,酒酣,反斗而擊之,一成,脳塗地。舞者操兵以鬥,尽殺其従者。因以代君之車迎其妻,其妻遥聞之状,磨笄以自刺,故趙氏至今有刺笄之證与“反斗”之号。
書き下し
趙簡子病み、太子を召して、之に告げて曰く、「我死して已に葬むらば、衰を服して夏屋の山に上り、以て望め。」太子敬みて諾す。簡子死し、已に葬る。衰を服し、大臣を召して之に告げて曰く、「願わくは夏屋に登りて以て望まん。」大臣皆諫めて曰く、「夏屋に登りて以て望むは、是れ游なり。衰を服して以て游ぶは、不可なり。」襄子曰く、「此れ先君の命なり。寡人敢て廢せず。」群臣敬みて諾す。襄子、夏屋に上りて、以て代の俗を望むに、其の樂しみは甚だ美なり。是に於て襄子曰く、「先君必ず此を以て之を教えしなり。」歸るに及びて、代を取る所以を慮かり、乃ち先づ之に善くす。代君色を好む。其の姉を以て之に妻せんと請う。代君許諾す。姉已に往く。代を善みする所以の者は乃ち萬故なり。馬郡は馬に宜し。代君、善馬を以て襄子に奉ず、馬郡盡く。襄子、代君に謁げて、之を觴せんと請う。先づ舞う者をして兵を其の羽中に置かしむること、數百人。先づ大金斗を具う。代君至り、酒酣なり。斗を反して之を擊ち、一成にして、腦、地に塗る。舞う者兵を操りて以て鬭い、盡く其の從者を殺す。因りて代君の車を以て、其の妻を迎う。其の妻遙かに之の状を聞き、笄を磨して以て自ら刺せり。故に趙氏、今に至るまで、刺笄の證と反斗の號と有り。
現代語訳
趙簡子が病に臥し、太子(のちの襄子)を呼んで告げた。「私が死んで葬りが済んだら、喪服のまま夏屋の山に登って眺めよ。」太子は謹んで承知した。簡子が死んで葬りが済むと、襄子は喪服のまま大臣を呼んで「夏屋に登って眺めたい」と告げた。大臣たちはみな諌めて「夏屋に登って眺めるのは遊山です。喪服で遊ぶのはよくありません」と言った。襄子は「これは先君の命だ。私はあえて廃さない」と言い、群臣は謹んで従った。襄子が夏屋に登って代の地の景色を眺めると、その楽しさは実に見事だった。そこで襄子は「先君は必ずこれをもって私に教えたのだ、すなわち代を取れと」と悟った。帰ると代を奪う方策を練り、まず代君に親しくした。代君は女色を好んだので、自分の姉を代君に嫁がせたいと願い、代君は承知した。姉が嫁いだ。代に取り入る手立てはあらゆるものを尽くした。代の郡は馬の産に適していた。代君が良馬を襄子に献じ尽くしたころ、襄子は代君に会見して酒宴を願った。まず舞人数百人に羽飾りの中に武器を隠させ、酒を汲む大杓を用意した。代君が来て酒がたけなわになると、杓をひっくり返して代君を打ち、一撃で脳が地にこぼれた。舞人は武器を取って戦い、従者を皆殺しにした。そして代君の車で襄子の姉すなわち代君の妻を迎えにやると、姉は遠くからその惨状を聞き、笄を研いで自らを刺し殺した。だから趙氏には今に至るまで刺笄の証と反斗の呼び名が残っている。
解説
この章句が説くこと
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孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
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戦国策・張儀為秦破從連橫謂燕王張儀秦の爲に從を破りて連橫し、燕王に謂いて曰く、「大王の親しむ所、趙に如くは莫し。昔趙王其の姊を以て代王の妻と為し、代を并せんと欲し、代王と句注の塞に遇わんことを約す。乃ち工人をして金斗を作らしめ、其の尾を長くし、之をして以て人を擊つべからしむ。代王と飲むに、陰かに廚人に告げて曰く、『酒酣樂に即かば、熱歠を進め、即ち斗を反して之を擊て』と。是に於て酒酣樂進みて熱歠を取る。廚人斟羹を進め、斗を反して之を擊ち、代王腦塗地す。其の姊之を聞き、笄を摩して以て自刺す。故に今に至るまで摩笄の山有り、天下聞かざるは莫し。夫れ趙王の狼戾にして親しむ無きは、大王の明らかに見知る所なり。且つ趙王を以て親しむべしと為すか。趙兵を興して燕を攻め、再び燕都を圍みて大王を劫かし、大王十城を割きて乃ち郤きて謝す。今趙王已に澠池に入朝し、河間を效して以て秦に事う。大王秦に事えずんば、秦雲中・九原に甲を下し、趙を驅りて燕を攻めしめば、則ち易水・長城王の有に非ざらん。且つ今の時、趙の秦に於けるや、猶郡縣のごとし、敢えて妄りに師を興して以て征伐せず。今大王秦に事えば、秦王必ず喜び、趙敢えて妄りに動かざらん。是れ西に強秦の援有りて、南に齊・趙の患無し、是の故に願わくは大王之を熟計せんことを」と。燕王曰く、「寡人蠻夷の辟處にして、大男子と雖も、裁ち嬰兒の如し、言正を求むるに足らず、謀事を決するに足らず。今大客幸いに之を教うれば、請う社稷を奉じて西面して秦に事え、常山の尾五城を獻ぜん」と。
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