戦国策 / 昌他亡西周
昌他亡西周,之東周,盡輸西周之情於東周。東周大喜,西周大怒。馮且曰:「臣能殺之。」君予金三十斤。馮且使人操金與書,間遺昌他書曰:「告昌他,事可成,勉成之;不可成,亟亡來亡來。事久且泄,自令身死。」因使人告東周之候曰:「今夕有姦人當入者矣。」候得而獻東周,東周立殺昌他。
新字:昌他亡西周,之東周,尽輸西周之情於東周。東周大喜,西周大怒。馮且曰:「臣能殺之。」君予金三十斤。馮且使人操金与書,間遺昌他書曰:「告昌他,事可成,勉成之;不可成,亟亡来亡来。事久且泄,自令身死。」因使人告東周之候曰:「今夕有姦人当入者矣。」候得而献東周,東周立殺昌他。
書き下し
昌他西周を亡げ、東周に之き、尽く西周の情を東周に輸す。東周大いに喜び、西周大いに怒る。馮且曰く、「臣能くこれを殺さん」と。君金三十斤を予ふ。馮且人をして金と書とを操りて、間かに昌他に書を遺らしめて曰く、「昌他に告ぐ、事成るべくんば、勉めてこれを成せ、成るべからずんば、亟かに亡げ来たれ亡げ来たれ、事久しくして且つ泄れなば、自ら身を死に令めん」と。因りて人をして東周の候に告げしめて曰く、「今夕姦人有りて当に入るべき者あらん」と。候得て東周に献ず、東周立ちどころに昌他を殺す。
現代語訳
昌他は西周から逃亡して東周に行き、西周の内情をすべて東周に漏らした。東周は大いに喜び、西周は大いに怒った。馮且が「私が彼を殺してみせましょう」と申し出た。西周君は黄金三十斤を与えた。馮且は人を遣わして黄金と手紙を持たせ、ひそかに昌他に手紙を届けさせた。その手紙にはこうあった。「昌他に告げる。事が成就できそうならば、努めてこれを成し遂げよ。成就できそうになければ、急いで逃げて戻ってこい、戻ってこい。事が長引いて漏れてしまえば、おのずと身を滅ぼすことになろう」。そのうえで馮且は別の人を遣わして東周の見張りにこう告げさせた。「今夜、怪しい者が忍び込んでくるはずです」。見張りはその手紙を手に入れて東周に献上し、東周はただちに昌他を殺した。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』詭道・田單燕の昭王卒し、惠王立ち、樂毅と隙有り。田單、之を聞き、乃ち反間を燕に縱ち、宣言して曰く、「齊王已に死し、城の拔けざる者は二のみ。樂毅は誅を畏れて敢えて歸らず、齊を伐つを名と為し、實は兵を連ねて南面して齊に王たらんと欲す。齊人未だ附かず、故に且く即墨を攻むること緩くし、以て其の事を待つ。齊人の懼るる所は、唯だ他將の來たらんことを恐る。即墨は殘われん」と。燕王、以て然りと為し、騎劫をして毅に代わらしむ。毅、趙に歸り、燕軍共に忿る。而して田單、乃ち城中に令し、食する必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く翔舞して下り食し、燕人、之を怪しむ。田單、因りて宣言して曰く、「神來たりて下って我に教う」と。乃ち城中に令して曰く、「當に神人有りて我が師と為るべし」と。一卒有りて曰く、「臣、以て師と為るべきか」と。因りて反走す。田單、乃ち起ち、引き還し、東向して坐せしめ、之を師事す。卒曰く、「臣は君を欺く。實は能無きなり」と。單曰く、「子、言う勿れ」と。因りて之を師とし、每に出でて約束するに、必ず神師と稱す。乃ち宣言して曰く、「君唯だ燕軍の得る所の齊卒を劓し、之を前行に置きて我と戰わしめんことを懼る。即墨、敗れん」と。燕人、之を聞き、其の言の如くす。城中の人、齊の諸降者の悉く劓せらるるを見て、皆な堅守し、唯だ得らるるを恐る。單、又宣言す、「君は燕人の吾が城外の塚墓を掘り、先人を戮し、寒心すべきを懼る」と。燕軍、盡く壟墓を掘り、死人を燒く。即墨の人、城上より望見し、皆な涕泣し、俱に出でて戰わんと欲し、怒り自ずから十倍す。
-
孫子・用間篇必ず敵人の間の来たりて我を間する者を索め、因りて之を利し、導きて之を舍く。故に反間得て用う可きなり。
-
史記 陳丞相世家今大王は慢にして礼少なし、士の廉節なる者来たらず。然れども大王能く人に饒かにするに爵邑を以てす、士の頑鈍にして利を嗜み恥無き者も亦た多く漢に帰す。誠に各々其の両短を去り、其の両長を襲はば、天下指麾すれば則ち定まらん。然れども大王恣に人を侮る、廉節の士を得る能はず。顧ふに楚に乱すべき者有り、彼の項王の骨鯁の臣亜父・鍾離眛・龍且・周殷の属、数人に過ぎざるのみ。大王誠に能く数万斤の金を出捐し、反間を行ひ、其の君臣を間し、以て其の心を疑はしめば、項王の人と為り意忌にして讒を信ず、必ず内に相誅せん。漢因りて兵を挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王以て然りと為し、乃ち黄金四万斤を出だして、陳平に与へ、為す所を恣にせしめ、其の出入を問はず。陳平既に多く金を以て反間を楚軍に縦ち、宣言すらく諸将鍾離眛等項王の将と為り、功多し、然り而して終に地を裂きて王たるを得ず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼして其の地を分かちて王たらんと欲すと。項羽果たして意に鍾離眛等を信ぜず。項王既に之を疑ひ、使をして漢に至らしむ。漢王太牢の具を為り、挙げて進む。楚の使を見るや、即ち詳り驚きて曰く、「吾以為へらく亜父の使ならんと、乃ち項王の使なり」と。復た持ち去り、更に悪草の具を以て楚の使に進む。楚の使帰り、具に以て項王に報ず。項王果たして大いに亜父を疑ふ。亜父急に滎陽城を攻め下さんと欲す、項王信ぜず、肯へて聴かず。亜父項王の之を疑ふを聞き、乃ち怒りて曰く、「天下の事大いに定まれり、君王自ら之を為せ。願はくは骸骨を請ひて帰らん」と。帰りて未だ彭城に至らずして、疽背に発して死す。陳平乃ち夜女子二千人を滎陽城の東門より出だす、楚因りて之を撃つ、陳平乃ち漢王と城の西門より夜出でて去る。遂に関に入り、散兵を収めて復た東す。其の明年、淮陰侯斉を破り、自ら立ちて斉王と為り、使をして之を漢王に言はしむ。
-
孫子・用間篇是に因りて之を知る、故に郷間・内間得て使う可きなり。是に因りて之を知る、故に死間は誑事を為して、敵に告げしむ可し。是に因りて之を知る、故に生間は期の如くならしむ可し。
-
孫子・用間篇反間とは、其の敵間に因りて之を用うるなり。
-
『十善法語』巻第七・不兩舌戒又世ノ変事ノ変ニテ国ノ乱レタルトキ。撥乱ノ主。智謀ノ士ガ軍中ノ計略ニ。或ハ離間シ。或ハ反間ヲ行フ。是モ違犯テハナイ。斉ノ田単カ恵王ニ楽毅ヲ疑ハセテ。燕ノ兵ヲ退ケ。漢高祖ノ陳平カ謀ヲ用ヒテ。項羽ニ范增ヲ疑ハセテ。楚ヲ破タ類シヤ。若他ノ反間ニ堕ルモ。此戒全カラヌ罪ヲ知ルベキシヤ。治世ニハ。禄利名称ヲ貪ル者ガ。其近キ処ニ託シテ。讒ヲ構ヘ偽ヲ売ル。乱世ニハ。智謀ノ士ガ種種ニ計略シテ反間ヲナス。仁君モ時ニ臨テハ罪ナキヲ遠サク。明主モ事ニ触テハ忠臣ヲ疑フ。無シト云レヌシヤ。若誤テ忠臣ヲ疑ヘハ。强国モ直ニ弱国トナル。誤テ奸臣ニ信任スレハ。治国モ亡国トナル。奸臣モ時ニヨリテハ或ハ忠直ニ似ル。反間ノ言カ或ハ親好ニマカフ。唯十善護持ノ大人ノミ有テ。神祇守護シ。輔佐誠ヲ尽シテ事フル故ニ。他ノ反間ニオチヌ。又奸臣ニ欺カレヌシヤ。