戦国策 / 溫人之周
溫人之周,周不納。客即對曰:「主人也。」問其巷而不知也,吏因囚之。君使人問之曰:「子非周人,而自謂非客何也?」對曰:「臣少而誦詩,詩曰:『普天之下,莫非王土;率土之濱,莫非王臣。』今周君天下,則我天子之臣,而又為客哉?故曰主人。」君乃使吏出之。
新字:温人之周,周不納。客即対曰:「主人也。」問其巷而不知也,吏因囚之。君使人問之曰:「子非周人,而自謂非客何也?」対曰:「臣少而誦詩,詩曰:『普天之下,莫非王土;率土之浜,莫非王臣。』今周君天下,則我天子之臣,而又為客哉?故曰主人。」君乃使吏出之。
書き下し
溫人周に之く、周納れず。客即ち対へて曰く、「主人なり」と。其の巷を問ふに知らず、吏因りてこれを囚ふ。君人をしてこれを問はしめて曰く、「子は周人に非ざるに、自ら客に非ずと謂ふは何ぞや」と。対へて曰く、「臣少くして詩を誦す、詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。今周天下に君たり、則ち我天子の臣なり、而るに又客たらんや。故に主人と曰ふ」と。君乃ち吏をしてこれを出ださしむ。
現代語訳
温の人が周に行ったところ、周は彼を(外国人として)受け入れなかった。その者は「私は主人(周の人間)です」と答えた。役人がどの町内かと尋ねると答えられなかったので、役人は彼を捕らえて牢に入れた。周君は人を遣わして尋ねさせた。「そなたは周の人間ではないのに、自分は客ではないと言うのはどういうわけか」。彼は答えた。「私は幼い頃に詩経を誦じました。詩にこうあります。『あまねく天下、王の土地でないところはなく、地の続く限り、王の臣でない者はいない』と。今、周は天下に君臨しています。ならば私も天子の臣であって、どうして客であるはずがありましょうか。ですから主人だと申したのです」。周君はそこで役人に命じてその者を釈放させた。
解説
本話は、外国人と疑われた温の人が、詩経の一節を機知に富んだ論理で読み替え、自らを「周の外の客ではなく天下すべての臣民の一人」と主張して窮地を脱した逸話です。「普天の下、王土に非ざる莫く」という当時よく知られた文句を逆手に取り、周王を天下の共主とみなす伝統的な理念を突き詰めれば、周に住むすべての人間は本来「客」ではありえないという理屈を組み立てています。既存の権威づけの言葉を、目の前の窮地を切り抜けるために大胆に読み替えて用いる機転は、教養が単なる知識ではなく実践的な武器になりうることを示す好例です。同時に、周の権威がすでに名目に過ぎなくなっていた時代状況への皮肉としても読めます。
この章句が説くこと
温人周君詩経機知弁明
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