戦国策 / 周相呂倉見客於周君
周相呂倉見客於周君。前相工師藉恐客之傷己也,因令人謂周君曰:「客者,辯士也,然而所以不可者,好毀人。」
新字:周相呂倉見客於周君。前相工師藉恐客之傷己也,因令人謂周君曰:「客者,弁士也,然而所以不可者,好毀人。」
書き下し
周の相呂倉客を周君に見えしむ。前の相工師藉客の己を傷つけんことを恐れ、因りて人をして周君に謂はしめて曰く、「客は辯士なり、然れども不可なる所以の者は、人を毀るを好めばなり」と。
現代語訳
周の宰相・呂倉が、ある食客を周君に引き合わせようとした。前任の宰相・工師藉はその客が自分を陥れるのではないかと恐れ、人を遣わして周君にこう告げさせた。「あの客は弁の立つ者ですが、用いるべきでない理由は、人をけなすことを好むからです」。
解説
本話は、前任者が自らの立場を守るために、政敵につながる人物の評価を先回りして貶める様子を描いています。工師藉は客を正面から批判するのではなく、「弁が立つ」ことは認めつつ「人をけなすことを好む」という人格上の欠点を理由に挙げることで、周君に警戒心を抱かせようとしました。有能さを認めながら性格上の弱点を突くという批判の仕方は、直接的な能力否定よりも説得力を持ちやすく、権力の座を脅かされることを恐れる人間の自己防衛的な言動の典型例として読めます。短い逸話ですが、人事評価における讒言の構造をよく示しています。
この章句が説くこと
呂倉工師藉周君讒言人事
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