戦国策 / 東周欲為稻
東周欲為稻,西周不下水,東周患之。蘇子謂東周君曰:「臣請使西周下水可乎?」乃往見西周之君曰:「君之謀過矣!今不下水,所以富東周也。今其民皆種麥,無他種矣。君若欲害之,不若一為下水,以病其所種。下水,東周必復種稻;種稻而復奪之。若是,則東周之民可令一仰西周,而受命於君矣。」西周君曰:「善。」遂下水。蘇子亦得兩國之金也。
新字:東周欲為稲,西周不下水,東周患之。蘇子謂東周君曰:「臣請使西周下水可乎?」乃往見西周之君曰:「君之謀過矣!今不下水,所以富東周也。今其民皆種麦,無他種矣。君若欲害之,不若一為下水,以病其所種。下水,東周必復種稲;種稲而復奪之。若是,則東周之民可令一仰西周,而受命於君矣。」西周君曰:「善。」遂下水。蘇子亦得両国之金也。
書き下し
東周稲を為さんと欲す。西周水を下さず、東周これを患ふ。蘇子東周君に謂ひて曰く、「臣請ふ西周をして水を下さしめんこと可ならんか」と。乃ち往きて西周の君に見えて曰く、「君の謀過てり。今水を下さざるは、東周を富ます所以なり。今其の民皆麦を種ゑ、他種無し。君若しこれを害せんと欲せば、一たび水を下だして以て其の種ふる所を病ましむるに若かず。水を下せば、東周必ず復た稲を種ゑん。稲を種ゑて復たこれを奪はん。是くの若くんば、則ち東周の民一に西周を仰ぎて、命を君に受けしむべし」と。西周君曰く、「善し」と。遂に水を下す。蘇子もまた両国の金を得たり。
現代語訳
東周が稲を作ろうとした。ところが西周が水を下流に流さないので、東周はこれを憂えた。蘇子は東周君に「私が西周に水を流させて差し上げましょうか」と申し出た。そこで西周の君のもとへ行き、こう説いた。「あなたの策略は間違っています。今、水を流さずにいることは、実は東周を富ませているのです。今、東周の民は皆、麦しか作っておらず、他の作物がありません。もしあなたが東周を害したいのであれば、むしろ一度水を流して、麦の栽培を妨げるべきです。水を流せば、東周は必ずまた稲を作るようになるでしょう。稲を作らせておいて、後でまた水を止めて奪えばよいのです。そうすれば、東周の民はひたすら西周を頼りにし、あなたの命令に従わざるを得なくなります」。西周の君は「なるほど」と言い、水を流した。蘇子はこうして両国から報酬の金を得たのだった。
解説

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