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斉家論 / 下

我よりいふが、罪もかろくて然るべしと思ひ、父の惡事をあらはすは、己を思ふ所より、父を捨るに至る不孝ものにて、大惡人なり、汝博學なれども理に闇きゆへ、思慮と實情分がたく、固論語が解ぬ所より、神道儒道に高下を見なすは笑止なることなり、既に孟子に云、上世嘗て其親を葬らざることあり、其親死する時、擧てこれを壑に委、他の日これを過る時、狐狸これを喰ひ、蠅蚋姑これを喰ふ、子が額より泚流、睨に見て不視、それ泚すること、人の爲に泚するにあらず、中心より面目に達すと、是卽惻隱の心なり、予は此惻隱の心發所を、直に行ふを正直といふ、舜の大聖人といへども、瞽瞍人を殺さば、善惡をゑらまず、負てのがれて隱れ玉ふべしと、

新字:我よりいふが、罪もかろくて然るべしと思ひ、父の悪事をあらはすは、己を思ふ所より、父を捨るに至る不孝ものにて、大悪人なり、汝博学なれども理に闇きゆへ、思慮と実情分がたく、固論語が解ぬ所より、神道儒道に高下を見なすは笑止なることなり、既に孟子に云、上世嘗て其親を葬らざることあり、其親死する時、挙てこれを壑に委、他の日これを過る時、狐狸これを喰ひ、蠅蚋姑これを喰ふ、子が額より泚流、睨に見て不視、それ泚すること、人の為に泚するにあらず、中心より面目に達すと、是即惻隠の心なり、予は此惻隠の心発所を、直に行ふを正直といふ、舜の大聖人といへども、瞽瞍人を殺さば、善悪をゑらまず、負てのがれて隠れ玉ふべしと、

書き下し

我よりいふが、罪もかろくて然るべしと思ひ、父の悪事をあらはすは、己を思ふ所より、父を捨つるに至る不孝ものにて、大悪人なり。汝博学なれども理に闇きゆへ、思慮と実情分けがたく、固より論語が解けぬ所より、神道儒道に高下を見なすは笑止なることなり。既に孟子に云ふ、上世嘗て其の親を葬らざることあり。其の親死する時、挙げてこれを壑に委つ。他の日これを過ぐる時、狐狸これを喰ひ、蠅蚋姑これを喰ふ。子が額より泚流れ、睨みて視ず。それ泚すること、人の為に泚するにあらず、中心より面目に達すと。是即ち惻隠の心なり。予は此の惻隠の心発る所を、直に行ふを正直といふ。舜の大聖人といへども、瞽瞍人を殺さば、善悪をゑらまず、負ひてのがれて隠れ玉ふべしと、

現代語訳

自分から言ったほうが罪も軽くなってよいだろうと思って父の悪事を明らかにするのは、自分のことを思うところから父を捨てるに至る不孝者で、大悪人です。あなたは博学ですが理に暗いので、思慮と実情の区別がつかず、そもそも『論語』が分かっていないところから、神道と儒道に高下をつけて見るのは笑止なことです。すでに『孟子』に言っています。大昔、親を葬らないことがあった。親が死ぬと、担いで谷に捨てた。後日そこを通ると、狐や狸がそれを食い、蠅や蚋がそれにたかっていた。その額には汗が流れ、横目で見て正視できなかった。その汗は人に見せるための汗ではなく、心の中から顔に出たものだ、と。これがすなわち惻隠の心です。私は、この惻隠の心が起こるところをそのまま行うことを正直と言うのです。舜ほどの大聖人でも、父の瞽瞍が人を殺したなら、善悪を選ばず、父を背負って逃れ隠れるだろうと、

解説

父の罪を先に訴えるのは、罪を軽くしたいという自分への思いから父を捨てる行為で、正直どころか不孝の大悪人だと梅岩は断じます。根拠に引くのは『孟子』滕文公上の、葬らずに谷へ捨てた親の遺体を見て額に汗を流した人の話です。その汗は人に見せるためでなく、心の中から顔に出たもの。この惻隠の心が起こるところをそのまま行うのが正直だ、と定義します。そして『孟子』尽心上の、舜が父を背負って逃げる話へ進みます。形の上の公正より、心の真実を優先する梅岩の倫理が最もはっきり出る章句です。

この章句が説くこと

惻隠正直孟子実情

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