斉家論 / 下
或人又曰、汝いふ所の儉約は、正直が本なる事をいひ、且常にも正直を第一に敎へらるゝにつき、或人へ答られし物語、一通り聞えたり、汝所存の通赤裸と成ても、正直を用ゆる志に候や、しかれば、論語に、葉公孔子に謂て曰、吾黨に躬を直する者あり、其父羊を攘む、然るを子これを證すとあり、父が惡事にても、隱さずあらはすは、ありべかゝりの正直なり、又前にひかるゝ御神託に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり、天地は見えし通り明らかにして、隱す所なし、汝がいふ所もかくす事なく、ありべかゝりの正直なれば、御神託に同ふして眞直也、然れば、汝がいふ所は、神道の上の事なるべし、某思ふは左にあらず、惣て世間の事、汝がいふごとくさつぱりと、裸には成がたき所あり、故に孔子も葉公にこたへて曰、吾黨の直き者はこれに異なり、父は子の爲に隱し、子は父の爲に隱す、直き事其中にありとのたまへり、汝も我も同じく儒書を學び、かやうに相違あるはいかん、
新字:或人又曰、汝いふ所の倹約は、正直が本なる事をいひ、且常にも正直を第一に教へらるゝにつき、或人へ答られし物語、一通り聞えたり、汝所存の通赤裸と成ても、正直を用ゆる志に候や、しかれば、論語に、葉公孔子に謂て曰、吾党に躬を直する者あり、其父羊を攘む、然るを子これを証すとあり、父が悪事にても、隠さずあらはすは、ありべかゝりの正直なり、又前にひかるゝ御神託に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり、天地は見えし通り明らかにして、隠す所なし、汝がいふ所もかくす事なく、ありべかゝりの正直なれば、御神託に同ふして真直也、然れば、汝がいふ所は、神道の上の事なるべし、某思ふは左にあらず、惣て世間の事、汝がいふごとくさつぱりと、裸には成がたき所あり、故に孔子も葉公にこたへて曰、吾党の直き者はこれに異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直き事其中にありとのたまへり、汝も我も同じく儒書を学び、かやうに相違あるはいかん、
書き下し
或る人又曰く、汝いふ所の倹約は、正直が本なる事をいひ、且つ常にも正直を第一に教へらるゝにつき、或る人へ答へられし物語、一通り聞こえたり。汝所存の通り赤裸と成りても、正直を用ゆる志に候や。しかれば、論語に、葉公孔子に謂ひて曰く、吾が党に躬を直くする者あり、其の父羊を攘む、然るを子これを証すとあり。父が悪事にても、隠さずあらはすは、ありべかゝりの正直なり。又前にひかるゝ御神託に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり。天地は見えし通り明らかにして、隠す所なし。汝がいふ所もかくす事なく、ありべかゝりの正直なれば、御神託に同じふして真直なり。然れば、汝がいふ所は、神道の上の事なるべし。某思ふは左にあらず。惣じて世間の事、汝がいふごとくさつぱりと、裸には成りがたき所あり。故に孔子も葉公にこたへて曰く、吾が党の直き者はこれに異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直き事其の中にありとのたまへり。汝も我も同じく儒書を学び、かやうに相違あるはいかん。
現代語訳
ある人がまた言いました。「あなたの言う倹約は正直が本だということで、ふだんも正直を第一に教えておられるので、ある人に答えられた話も一通り分かりました。あなたの考えどおり、丸裸になっても正直を用いるおつもりですか。それなら『論語』に、葉公が孔子に、私の村にはまっすぐな者がいて、父が羊を盗むと、子がそれを証言した、と言った話があります。父の悪事でも隠さずに明らかにするのは、あるがままの正直です。また先に引かれた御神託に、天にならい地から受けた人の心が曲がらなければそれがそのまま神である、とあります。天地は見えるとおり明らかで、隠すところがありません。あなたの言うところも隠すことのない、あるがままの正直なので、御神託と同じくまっすぐです。そうであれば、あなたの言うことは神道の立場のことでしょう。私の考えはそうではありません。およそ世間のことは、あなたの言うようにさっぱりと裸にはなれないところがあります。だから孔子も葉公に答えて、私の村のまっすぐな者はそれとは違う、父は子のために隠し、子は父のために隠す、まっすぐさはその中にある、と言われたのです。あなたも私も同じ儒書を学びながら、このように違うのはどういうことですか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・子路篇葉公、孔子に語りて曰く、「吾が党に直躬なる者有り。其の父羊を攘みて、子之を証せり。」孔子曰く、「吾が党の直き者は是に異なる。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中に在り。」
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『斉家論』下我よりいふが、罪もかろくて然るべしと思ひ、父の悪事をあらはすは、己を思ふ所より、父を捨つるに至る不孝ものにて、大悪人なり。汝博学なれども理に闇きゆへ、思慮と実情分けがたく、固より論語が解けぬ所より、神道儒道に高下を見なすは笑止なることなり。既に孟子に云ふ、上世嘗て其の親を葬らざることあり。其の親死する時、挙げてこれを壑に委つ。他の日これを過ぐる時、狐狸これを喰ひ、蠅蚋姑これを喰ふ。子が額より泚流れ、睨みて視ず。それ泚すること、人の為に泚するにあらず、中心より面目に達すと。是即ち惻隠の心なり。予は此の惻隠の心発る所を、直に行ふを正直といふ。舜の大聖人といへども、瞽瞍人を殺さば、善悪をゑらまず、負ひてのがれて隠れ玉ふべしと、
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『斉家論』下答ふ、此の御歌は、人々天地に受けたる心を直に用ゐるときは、即ち神なることをしらせ玉ふ所なり。汝は父が悪事を証す悪人を、反つて正直者と思ひ、御神託と同じやうに見なすは理に闇きゆへ是非わかれず。彼が不善を知らんと思はゞ、実情を知るべし。実情の発る処をいはゞ、こゝに人あらんに、その父、人を殺さば、はつと驚くは子の常なり。又父が羊を攘みしと聞くときも、はつと驚く情発るは、鏡に物の移り、形に影のそふがごとく、間に髪を入れず。此の所にて豈直不直を論ぜんや。これ惻隠の情にて実情なり。常人は勝手にひかれ思慮おほく、其の意に思ふは、此の事人が知るべきか、定めて知るべし、隠し課することはなるまじ、迚も隠されぬことならば、人にいはれぬ前に、
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『斉家論』下先づ名聞利欲を離るべし。然れども柔弱にてははなれがたく、名利のこゝろは発るべし。発るとも一生行はざれば、扠も正直者なりと、天下の人よろこぶべし。天下の人に悦ばるゝほど、目出たきことはあるまじと思へり。いかん。○或る人曰く、正直者といはるゝは、誰も望む所なり。しかれども、借方を済ます事はいかゞすべき。○答ふ、汝世間の者によろこばるゝは、誰も望む所といふ。喜ばるゝが望みならば、家財残らず売り払ひ、赤裸になり、借金を済まさるべし。ことごとく済まされなば、今の世にたぐひ稀なる正直ものと、世挙げてよろこぶべし。其の正直と又神の正直と、正直に二品あるべきや。其の正直が通るならば、汝も直に太神宮の末社同前なり。
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『斉家論』下我がいふ所は、正直よりなす倹約なれば、人を助くるに至る。子曰く、人の生くるや直し。之を罔くして生くるは、幸ひにして免るゝなりとのたまへり。これを以てみれば、直ならずして生くるといへども、死人に同じ、恐るべき事なり。それにつき去る春、或る人関東洪水の事によつて問はれし事あり。予が返答せし趣、物語すべし。○或る人の問ひにいはく、何れの方も、際の払ひも例年の通り首尾よく仕舞ひ、正月を祝はる。某も人に遇はば、先づもつて御慶といへば、先方よりも、御無事に重年目出度しといふ。しかれども、我が心苦しければ、一切目出度からず。所以は去年関東の洪水に、我が蔵のごとくに思ひし三軒の得意は、家財より田畠まで流され、身がらほうほう、命を助かられしばかりなり。依りて当分の見舞ひに、
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『斉家論』下借りたる物は返し、毛すじほども私なく、ありべかゝりにするは、正直なる所なり。此の正直行はるれば、世間一同に和合し、四海の中皆兄弟のごとし。我が願ふ所は、人々こゝに至らしめんためなり。分けて士は、政のたすけをなし、農工商の頭なれば、清潔にして正直なるべし。もし私欲あらば、其の所は常闇なり。又農工商も、家の主は家内の頭なり。もし私欲あらば、家内が常闇となる。すべて物の頭となるものは慎むべき事なり。然るに欲心に蔽はれ、此の正直を行はずして、あさましき交はりになり行くは、かなしき事なり。故に十五年以来、其の私欲を離るゝ事を説き来たれり。私欲ほど世に害をなすものはあらじ。此の味を知らずしてなす倹約は、皆吝に至り、害をなすこと甚だし。