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斉家論 / 下

我いふ所は、正直よりなす儉約なれば、人を助るに至る、子曰、人の生るは直也、罔て生るは、幸にして免たりとのたまへり、これを以てみれば、不直にして生るといへども、死人に同じ可恐事なり、それにつき去春、或人關東洪水の事によつて問れし事あり、予返答せし趣、物語すべし、○或人の問にいはく、何も方は、際の拂も例年の通り首尾よく仕舞、正月を祝はる、某も人に遇ば、先もつて御慶といへば、先方よりも、御無事に重年目出度といふ、しかれども、我心苦しければ、一切目出度なし、所以は去年關東の洪水に、我藏のごとくに思ひし三軒の得意は、家財より田畠まで流され、身がらほうほう、命を助かられしばかりなり、依て當分の見舞に、

新字:我いふ所は、正直よりなす倹約なれば、人を助るに至る、子曰、人の生るは直也、罔て生るは、幸にして免たりとのたまへり、これを以てみれば、不直にして生るといへども、死人に同じ可恐事なり、それにつき去春、或人関東洪水の事によつて問れし事あり、予返答せし趣、物語すべし、○或人の問にいはく、何も方は、際の払も例年の通り首尾よく仕舞、正月を祝はる、某も人に遇ば、先もつて御慶といへば、先方よりも、御無事に重年目出度といふ、しかれども、我心苦しければ、一切目出度なし、所以は去年関東の洪水に、我蔵のごとくに思ひし三軒の得意は、家財より田畠まで流され、身がらほうほう、命を助かられしばかりなり、依て当分の見舞に、

書き下し

我がいふ所は、正直よりなす倹約なれば、人を助くるに至る。子曰く、人の生くるや直し。之を罔くして生くるは、幸ひにして免るゝなりとのたまへり。これを以てみれば、直ならずして生くるといへども、死人に同じ、恐るべき事なり。それにつき去る春、或る人関東洪水の事によつて問はれし事あり。予が返答せし趣、物語すべし。○或る人の問ひにいはく、何れの方も、際の払ひも例年の通り首尾よく仕舞ひ、正月を祝はる。某も人に遇はば、先づもつて御慶といへば、先方よりも、御無事に重年目出度しといふ。しかれども、我が心苦しければ、一切目出度からず。所以は去年関東の洪水に、我が蔵のごとくに思ひし三軒の得意は、家財より田畠まで流され、身がらほうほう、命を助かられしばかりなり。依りて当分の見舞ひに、

現代語訳

私の言うのは、正直からする倹約なので、人を助けることに至ります。孔子は、人が生きていけるのはまっすぐだからであり、まっすぐでなくて生きているのは幸いにして免れているにすぎない、と言われました。これで見れば、まっすぐでなくて生きていても死人と同じで、恐ろしいことです。それについて、去る春、ある人から関東の洪水のことで問われたことがあります。私が答えた趣旨をお話ししましょう。――ある人が問いました。「どなたも年末の払いを例年どおりうまく済ませて、正月を祝っておられます。私も人に会えば、まずは新年おめでとうございますと言い、先方も無事に年を重ねてめでたいと言います。けれども私は心が苦しいので、少しもめでたくありません。わけは、去年の関東の洪水で、自分の蔵のように頼りにしていた三軒の得意先が、家財から田畑まで流され、命からがら助かっただけだったからです。そこでさしあたりの見舞いに、

解説

『論語』雍也篇の「人の生くるや直し、之を罔くして生くるは幸ひにして免るるなり」を引き、正直でない生は死人と同じだと言い切った後、梅岩は実際の相談を語ります。去年の関東の洪水とは、寛保二年(一七四二)に江戸と関東一円を襲った大水害のことです。相談者は、頼りにしていた得意先三軒が家財も田畑も流され、年末の払いができなくなった商人でした。取引先の被災で自社の資金繰りが詰まる。今でいえば連鎖倒産の危機に、倹約と正直の教えがどう答えるのかが、ここから試されます。

この章句が説くこと

正直洪水得意先借金論語

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