斉家論 / 下
借たる物は返し、毛すじほども私なく、ありべかゝりにするは、正直なる所也、此正直行はるれば、世間一同に和合し、四海の中皆兄弟のごとし、我願ふ所は、人々こゝに至らしめんため也、分て士は、政のたすけをなし、農工商の頭なれば、淸潔にして正直なるべし、もし私欲あらば、其所は常闇なり、又農工商も、家の主は家內の頭なり、もし私欲あらば、家內が常闇となる、すべて物の頭となるものは可愼事也、然るに欲心に蔽れ、此正直を行はずして、あさましき交りになり行は、かなしき事也、故に十五年以來、其私欲を離るゝ事を說來れり、私欲ほど世に害をなすものはあらじ、此味を知らずしてなす儉約は、皆吝に至り、害をなすこと甚し、
新字:借たる物は返し、毛すじほども私なく、ありべかゝりにするは、正直なる所也、此正直行はるれば、世間一同に和合し、四海の中皆兄弟のごとし、我願ふ所は、人々こゝに至らしめんため也、分て士は、政のたすけをなし、農工商の頭なれば、清潔にして正直なるべし、もし私欲あらば、其所は常闇なり、又農工商も、家の主は家内の頭なり、もし私欲あらば、家内が常闇となる、すべて物の頭となるものは可慎事也、然るに欲心に蔽れ、此正直を行はずして、あさましき交りになり行は、かなしき事也、故に十五年以来、其私欲を離るゝ事を説来れり、私欲ほど世に害をなすものはあらじ、此味を知らずしてなす倹約は、皆吝に至り、害をなすこと甚し、
書き下し
借りたる物は返し、毛すじほども私なく、ありべかゝりにするは、正直なる所なり。此の正直行はるれば、世間一同に和合し、四海の中皆兄弟のごとし。我が願ふ所は、人々こゝに至らしめんためなり。分けて士は、政のたすけをなし、農工商の頭なれば、清潔にして正直なるべし。もし私欲あらば、其の所は常闇なり。又農工商も、家の主は家内の頭なり。もし私欲あらば、家内が常闇となる。すべて物の頭となるものは慎むべき事なり。然るに欲心に蔽はれ、此の正直を行はずして、あさましき交はりになり行くは、かなしき事なり。故に十五年以来、其の私欲を離るゝ事を説き来たれり。私欲ほど世に害をなすものはあらじ。此の味を知らずしてなす倹約は、皆吝に至り、害をなすこと甚だし。
現代語訳
借りた物は返し、毛筋ほどの私心もなく、あるべきとおりにするのが正直というものです。この正直が行われれば、世間一同が和合し、天下の人はみな兄弟のようになります。私が願うのは、人々をここに至らせるためです。とりわけ士は政治の助けをし、農工商の上に立つ者なので、清廉で正直でなければなりません。もし私欲があれば、その場所は闇に閉ざされます。また農工商でも、家の主は家内の頭です。もし私欲があれば、家内が闇になります。すべて物の頭となる者は慎まなければなりません。それなのに欲心に覆われ、この正直を行わずに、浅ましい付き合いになっていくのは悲しいことです。だから十五年このかた、私欲を離れることを説いてきました。私欲ほど世に害をなすものはないでしょう。この味わいを知らずにする倹約は、みな吝嗇に行き着き、ひどい害をなします。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『斉家論』下先づ名聞利欲を離るべし。然れども柔弱にてははなれがたく、名利のこゝろは発るべし。発るとも一生行はざれば、扠も正直者なりと、天下の人よろこぶべし。天下の人に悦ばるゝほど、目出たきことはあるまじと思へり。いかん。○或る人曰く、正直者といはるゝは、誰も望む所なり。しかれども、借方を済ます事はいかゞすべき。○答ふ、汝世間の者によろこばるゝは、誰も望む所といふ。喜ばるゝが望みならば、家財残らず売り払ひ、赤裸になり、借金を済まさるべし。ことごとく済まされなば、今の世にたぐひ稀なる正直ものと、世挙げてよろこぶべし。其の正直と又神の正直と、正直に二品あるべきや。其の正直が通るならば、汝も直に太神宮の末社同前なり。
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『斉家論』下神に捧ぐる散銭のごとし。しかるに、世間に此の貴まるゝ事を嫌ひ、私欲をもつて邪知者を頼み相談せば、何程の借金有りとも、二三歩通りよりあつかひかけ、弁舌を以ていひまはさば、四五歩どほりにては済むべし。少しなりともおほく残すを手がらとし、其の残る金銀を我が物と思ひ、人をだます事を所作とするは、俗にいふ話盗人といふ者なり。謀計は眼前の利潤たりといへども、必ず神明の罰に当たる。正直は一旦の依怙にあらずといへども、終に日月の憐みを蒙るとは、皇太神宮の宝勅なり。神の罪人とならば、居所はあるまじ。広き世界に住み得ずして、狭き住居するはかなしき事なり。ひろき世界に住み得ずして、せばき住居するといふは、土地のことにてはなし。広大なる心を、微塵のごとくなして、くるしむことを云ふ。又正直を行ひ、心に恥づることなければ、限りなき天下の広居に居て、深長なるたのしみあることなり。我が教ふる所は其の話盗人の難を遁れさせ、正直者といはせ、鏡のごとき神明の御心にかなふやうにならるゝは、目出度き祝ひにあらずやと云ふ。
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『斉家論』下その放心を求むるのみと、孟子も既に説きたまへり。予が教ゆる所もこれによれり。孟子の開示する所、至りて重きことなれば、容易のことにあらず。しかれども、執行の功により、放心を求め得ることあり。求むるときは、心の一致なることを知る。故に士農工商、をのをの職分異なれども、一理を会得するゆへ、士の道をいへば、農工商に通ひ、農工商の道をいへば、士に通ふ。なんぞ四民の倹約を別々に説くべきや。倹約をいふは他の儀にあらず、生まれながらの正直にかへし度き為なり。天より生民を降すなれば、万民はことごとく天の子なり。故に人は一箇の小天地なり。小天地ゆへ、本私欲なきものなり。このゆへに我が物は我が物、人の物は人の物、貸したる物はうけとり、
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『斉家論』下傍輩の衣類多く有るを見て羨ましくおもひ、不自由成る親本へいひやれば、親は聞くより不便に思ひ、借金して成りとも、一つづゝもこしらへのぼせ、最早能きかと思へば、又たらぬものをいひやれば、拵ふる事は成りがたく、のぼさねば子共が不便なり。いかゞして成りとものぼしたく思ひ、なやみ煩ふ者多く、いたましき事なり。かやうの類は心を付け、助くればなる事なり。夫故貧しき親兄弟に、其の苦労をさせざるやうにいたしたき志なり。元来今般の倹約は、上を恐れ、己が賤しきことを知り、約を守り、万分の一なりとも礼義を守らば、をのづから親類はいよいよ睦しく、家内の者には、親兄弟の労を遁れさせ、出入りの人々には、恵みの端とも成り、子としては、先祖父母への孝となり、をのづから上を恐るる恭順の道ともならんか。或る人曰く、門人方、倹約の序文をみれば、町家相応にては面白し。しかれども、町家ばかりの倹約にて、大道の用にたらず。同じくば世間一同に用ゐるやうに、教へらるゝがよかるべしと思へり。汝の門人には、武士方もありと聞けり。此等の教はいかん。
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『斉家論』下或る人又曰く、汝いふ所の倹約は、正直が本なる事をいひ、且つ常にも正直を第一に教へらるゝにつき、或る人へ答へられし物語、一通り聞こえたり。汝所存の通り赤裸と成りても、正直を用ゆる志に候や。しかれば、論語に、葉公孔子に謂ひて曰く、吾が党に躬を直くする者あり、其の父羊を攘む、然るを子これを証すとあり。父が悪事にても、隠さずあらはすは、ありべかゝりの正直なり。又前にひかるゝ御神託に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり。天地は見えし通り明らかにして、隠す所なし。汝がいふ所もかくす事なく、ありべかゝりの正直なれば、御神託に同じふして真直なり。然れば、汝がいふ所は、神道の上の事なるべし。某思ふは左にあらず。惣じて世間の事、汝がいふごとくさつぱりと、裸には成りがたき所あり。故に孔子も葉公にこたへて曰く、吾が党の直き者はこれに異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直き事其の中にありとのたまへり。汝も我も同じく儒書を学び、かやうに相違あるはいかん。
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『斉家論』下答ふ、汝は町家のことは瑣細にて、大道に用ゐられずと云ふ。某思ふは左にあらず。上より下に至り、職分は異なれども、理は一なり。倹約の事を得心し行ふときは、家とゝのひ国治まり天下平らかなり。これ大道にあらずや。倹約をいふは、畢竟身を修め家をとゝのへん為なり。大学に所謂、天子より以て庶人に至るまで、一に是れ皆身を修むるを以て本とすと。身を修むるに、何んぞ士農工商のかはりあらん。身を修むる主となるは如何。これ心なり。此の身の微なるを喩へていはゞ、大倉に稀米一粒あるがごとし。しかれども、天地人の三才となるは、唯心のみ。古今たれか此の心なからん。然れども是を知る者まれなり。知るといへども、其の通りを行ふ者甚だかたし。惟君子は誠を存し、