斉家論 / 下
神に捧る散錢のごとし、しかるに、世間に此貴まるゝ事を嫌ひ、私欲をもつて邪知者を賴み相談せば、何程の借金有とも、二三歩通よりあつかひかけ、辯舌を以ていひまはさば、四五步どほりにては濟べし、少成ともおほく殘すを手がらとし、其殘金銀を我物と思ひ、人をだます事を所作とするは、俗にいふ話盜人といふ者なり、謀計は眼前の利潤たりといへども、必神明の罰に當る、正直は一旦の依怙にあらずといへども、終日月の憐を蒙るとは、皇太神宮の寶勅なり、神の罪人とならば、居所はあるまじ、廣き世界に住得ずして、狭き住居するはかなしき事なり、ひろき世界に住得ずして、せばき住居するといふは、土地のことにてはなし、廣大なる心を、微塵のごとくなして、くるしむことを云、又正直を行ひ、心に恥ることなければ、限りなき天下の廣居に居て、深長なるたのしみあることなり、我敎る所は其話盜人の難を遁れさせ、正直者といはせ、鏡のごとき神明の御心にかなふやうにならるゝは、目出度祝ひにあらずやと云、
新字:神に捧る散銭のごとし、しかるに、世間に此貴まるゝ事を嫌ひ、私欲をもつて邪知者を頼み相談せば、何程の借金有とも、二三歩通よりあつかひかけ、弁舌を以ていひまはさば、四五歩どほりにては済べし、少成ともおほく残すを手がらとし、其残金銀を我物と思ひ、人をだます事を所作とするは、俗にいふ話盗人といふ者なり、謀計は眼前の利潤たりといへども、必神明の罰に当る、正直は一旦の依怙にあらずといへども、終日月の憐を蒙るとは、皇太神宮の宝勅なり、神の罪人とならば、居所はあるまじ、広き世界に住得ずして、狭き住居するはかなしき事なり、ひろき世界に住得ずして、せばき住居するといふは、土地のことにてはなし、広大なる心を、微塵のごとくなして、くるしむことを云、又正直を行ひ、心に恥ることなければ、限りなき天下の広居に居て、深長なるたのしみあることなり、我教る所は其話盗人の難を遁れさせ、正直者といはせ、鏡のごとき神明の御心にかなふやうにならるゝは、目出度祝ひにあらずやと云、
書き下し
神に捧ぐる散銭のごとし。しかるに、世間に此の貴まるゝ事を嫌ひ、私欲をもつて邪知者を頼み相談せば、何程の借金有りとも、二三歩通りよりあつかひかけ、弁舌を以ていひまはさば、四五歩どほりにては済むべし。少しなりともおほく残すを手がらとし、其の残る金銀を我が物と思ひ、人をだます事を所作とするは、俗にいふ話盗人といふ者なり。謀計は眼前の利潤たりといへども、必ず神明の罰に当たる。正直は一旦の依怙にあらずといへども、終に日月の憐みを蒙るとは、皇太神宮の宝勅なり。神の罪人とならば、居所はあるまじ。広き世界に住み得ずして、狭き住居するはかなしき事なり。ひろき世界に住み得ずして、せばき住居するといふは、土地のことにてはなし。広大なる心を、微塵のごとくなして、くるしむことを云ふ。又正直を行ひ、心に恥づることなければ、限りなき天下の広居に居て、深長なるたのしみあることなり。我が教ふる所は其の話盗人の難を遁れさせ、正直者といはせ、鏡のごとき神明の御心にかなふやうにならるゝは、目出度き祝ひにあらずやと云ふ。
現代語訳
神に捧げるお賽銭のようなものです。それなのに世間では、この尊ばれる道を嫌い、私欲から悪知恵の者に頼んで相談すれば、どれほどの借金があっても、二、三割の返済から交渉を始め、弁舌で言いくるめれば、四、五割の返済で済むでしょう。少しでも多く手元に残すことを手柄とし、その残った金銀を自分の物と思い、人をだますことを仕事にするのは、俗にいう騙り盗人というものです。「謀りごとは目の前の利益にはなっても、必ず神の罰に当たる。正直はその場の得にはならなくても、ついには日月の憐れみを受ける」というのは、伊勢の皇太神宮の御託宣です。神の罪人となれば、居場所はないでしょう。広い世界に住めずに狭い住まいをするのは悲しいことです。広い世界に住めずに狭い住まいをするというのは、土地のことではありません。広大な心を塵のように小さくして苦しむことを言うのです。また正直を行い、心に恥じることがなければ、限りない天下の広い住まいにいて、深く長い楽しみがあります。私が教えるのは、あなたを騙り盗人という難から逃れさせ、正直者と言われるようにし、鏡のような神の御心にかなうようにすることで、これこそめでたい祝いではありませんか、と言いました。
解説

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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
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『講孟余話』離婁上 第七章此の章、公孫丑上篇第七章と同一の手段、同一の議論にして、均しく恥の一字を以て人を激励す。恥の一字は孟子喫緊の語なり。故に云ふ「人は以て恥無かるべからず」、又云ふ「恥の人に於ける大なり」(並びに盡心上篇に見ゆ)。然れども恥を知らぬ人に至りては、孟子の説も亦窮すべし。斉の景公の涕出でて呉に女すを見て、一時の権道、保国の良図と思ふの族は、人間に羞恥と云ふことあるを夢にも知らず。斯の人をして路に当たらしめば、国体を失ひ国事を誤ること、豈に限りあらんや。然れども恥は人心必有の物なれば、木石に非ざるよりは恥なきことを得ず。其の恥なきと云ふ者は、真に恥なきに非ず。恥づと雖も是れを処することなき故に、強ひて恥ぢざるの容をなすのみ。其の中心益々自ら恥づるなり。是れに因りて孟子又是れを処するの法を掲示し、遂に五年・七年等の効験を挙げて是れを歓動す。是に於て誰か敢へて羞恥を棄てて効験に趨かざらんや。況んや文王を師とするは甚だ容易なることにて、即ち上章反求在身の説に過ぎず。其の政に発する者は民を養ひ且つ教ふるに過ぎず。其の兵に発する者は民を弔ひ罪を伐つに過ぎず。已に羞恥の甚しきを知り、又効験の易きを知る。誰か敢へて其の図を改めざらんや。如何ぞ今人頑然として移らざる。時に復た孟子あることなし。吾将た誰をか尤めん。悲しいかな。
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